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沖縄から東京へ!流転の写真日記

【Oct_20】両国シアターカイ

2021-11-24 | KANAZAWA
ファミリーアーツwithエムズクルー『マリアの首』@両国シアターX

キャスト
那須野恵 新上貴美(演劇集団 円)
斎藤萌子(エムズクルー) 高橋未央(劇団 文化座)
小川沙織(劇団 文化座) 箕輪菜穂江
おのるみ 島村勝
菊地真之 吉田道広(無名塾)
今井聡 青木隼
大森寛人 石井智也
近童弐吉

スタッフ
作/田中千禾夫
上演台本・演出/南英二
舞台美術/尾谷由衣
舞台監督/市川貴光
舞台監督補佐/栗林昌輝
照明/竹内右史
音響プラン/川口博
オペレーター/岸智美
音楽作曲/超阪部智彦
衣装/萩原玲子
映像製作/高橋和久 カンタロー 村中誠
宣伝美術/濱野カホル

写真UPしました〜!
【on_Flickr】1020_MARIAsHEAD



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【Jun_05】家主さま、見つけました。

2021-06-05 | KANAZAWA
本日、天井裏の大清掃。見つけました、家主様です。ありがたや〜。#photobybozzo
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【Apr_27】竹野ジャジャ山三十三観音菩薩像_33

2021-04-27 | KANAZAWA
竹野ジャジャ山の三十三観音菩薩像。

江戸時代後期に村人の手により30余年の歳月をかけ、
嘉永3年(1850)に建立された。
三十三は民間信仰で無限を表し、
観音様はあえて浄土には行かず、
三十三の姿に身を変え、
人々を苦しみから救うという。

信仰は文化が生活に根付いた格好の例である。

かように人間の営みは文化で形成される。
そのことをお忘れではあるまいか?

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【Apr_07】城崎温泉末代山温泉寺にて

2021-04-09 | KANAZAWA
温泉寺で和尚さんの話を聞く。
道智上人が神託を受け湧出したのが720年。
以来1300年もの隆盛を極めた温泉地が、ここ城崎。
長谷寺と同木同作の十一面観音像や、室町時代の文化財級掛け軸を拝観するに、
この場所が持つ宿命にも近いパワーを感じる。
今でこそ原宿のような温泉地に成り下がっているが、
もっと大きな影響力で世界を変える場だと思う。

【on_Flickr】0407_KINOSAKI

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【Mar_29】細川三郎Jr.@小松

2021-04-06 | KANAZAWA
東北を経巡り2,300㎞。
最後の目的地金沢ではALPオーナー
細川三郎Jr.に大変お世話になりました〜!

小松市の実家にウチらを泊めてくれ、
三郎さんの遺影ともご対面いたし、
Jr.の歴史を垣間見た思い。有難かったっす!
写真は明朝、実家前にて!
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【Mar_10】池内風@太平館

2021-03-11 | KANAZAWA
池内風(かわいいコンビニ店員飯田さん主宰)@大倉山太平館
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【Mar_10】DAWN

2021-03-11 | KANAZAWA
昨日の夜明け。
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【Feb_12】発端は泪橋

2021-02-13 | KANAZAWA
カワグチタカオ ダンス 『THE RED SUN』 with 大谷能生 (sax)
Friday Feb 12, 17:00 (Tokyo time) @恵比寿 AL
followed by a conversation with 高田冬彦

写真UPしました。
【on_Flickr】0212_REDSUN



『哀愁』と『華麗』がテーマでした(笑)

大谷さんと隆夫さんの駆け引きがごにょごにょと伝わってきて、
観衆が引き込まれてゆく様が密空間におけるナマの醍醐味だわぁと思わせるLIVE。
こういう皮膚感覚な体験って、オンラインでは求められないモノだと。
すげぇ良かった。
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【Feb_11&18】bozzo_WS@ZUCCOROCCA

2021-01-28 | KANAZAWA
昨日はズッコロッカで子どもたち相手に写真で遊んだよ。
真っ暗な部屋ペンライトで絵を描く。
フラッシュで撃ち合う男子、飛び跳ねる女子、
それぞれが長時間露光であら不思議、
トラがバターになるようにひとつの軌跡が定着しました。
2月には本格的なWSやります〜02/10【子供版】02/18【大人版】おたのしみに。

#photobybozzo

【bozzo_WS@ZUCCOROCCA】

2月10日(水)1600-1800
『ぺんらいとdeえがこっか!?子供ver.』

〜カラダとライトで写真に光の絵を描こう〜

【内容】
長時間露光って言葉は知ってますか?
カメラを三脚につけ、シャッターを長い時間開けて撮影するスタイル。
そうすると、動かないモノはクッキリ。動くモノはブレて写ります。
じゃあ、ペンライトを振り回すと…どうなるか?
動くモノと動かないモノ、光を使って、写真を描く。
そんな実験に参加したい人、集まれ!!

2月18日(木)1400-1630
『写真deエモろっか!?』

〜光と色で感情を表す写真術。スマホでも一眼レフでもOK!〜

【内容】
カメラ=写真は感情を表す道具です。
被写体との関係がそのまま写真に表れます。
遠い人はよそよそしく。近い人は親密に。
興味ある人には思わずカメラを向けるけど、
嫌いな人は撮ろうとも思わない。
そういう意味で、写真は感情表現なツール。
bozzoなりの、光と色を味方につけたエモる写真術お伝えします。

2月18日(木)1800-2000
『ぺんらいとdeえがこっか!?大人ver.』

〜カラダとライトで写真に光の絵を描こう〜

【伝える人、bozzo】
舞台写真家。91年多摩美GD卒。
カメラマン助手、Gデザイナー、アートディレクターと、
職と土地を流転し、2009年夏より沖縄から東京へ。写真家として独立。
ダンス、演劇、音楽等の舞台撮影を主な分野とする。
「写真には見えないものを見せる力がある」が信条。
www.bozzo.jp
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【Oct_18】立石裕美『イチキューロクマルVol.4』途中経過発表会

2020-10-19 | KANAZAWA
立石裕美『イチキューロクマルVol.4』途中経過発表会


2015年日暮里d倉庫初演から、カフェアリエ、BankART、テレプシコール…と関わってきた作品。
「自ら陶酔し観客を陶酔させること」に疑問を抱き、1960年代のアメリカのムーブメントに共鳴し始まったこの『1960』は、
5年の月日を経て、「管理体制などの国家システムに人生をかけて反発」する姿勢を先鋭化させた。
作品後半のケチャップとの死闘は、国家システムでこそぎ取られた内面の顕れだと、ボクには感じた。
血みどろの闘いを経てでも守らなければならないものが、あると思う。
摩耗するな、日本人。


#photobybozzo
#サル化する世界

1960年代、若者や芸術家の叛乱が世界中で繰り広げられた。
高度経済成長期の真っ只中、テレビの普及によって情報が錯綜し
ベトナム戦争や社会での出来事がリアルタイムで伝わるようになった。
そんな中、ニューヨークのジャドソンチャーチで起こった革新的なダンスのムーヴメント。
その中心人物であったトリシャ・ブラウンとイボンヌ・レイナ―のした仕事や実践から
私は次のような事柄に興味を持った。

立つ、座る、横になるといった身体の基本的な動作からダンスをつくる。
パッションやセクシーさを見世物にしない。身体こそが唯一リアルなものであり続ける。
ダンスそのもののために文章を書き線を描く。


躍動の時代に冷静である事で新しいダンスを導いた。
そして当時の日本で若者や芸術家のした次のことに興味が湧いた。

フォークゲリラと名のる若者が公共空間を占拠しその機能を中断させた。
日本で舞踏を確立した土方巽は関節を曲げずに歩行し肉体行為の中心に「硬いもの」を求めた。
彼らは力による管理体制などの国家システムに人生をかけて反発した。


私はこれまでダンスで舞台に立ちダンスを教え報酬を得て生きていた。
回り、飛び、必要以上に大きなアクションをし、身体を酷使し、
自ら陶酔し観客を陶酔させることをダンスだと信じてやってきた。
けれどそれに何の意味も見いだせなくなっていき、
場合によっては観客に対し誘惑ともとれるような行為に不快感を覚えるようになった。
そのうちに身体が動かなくなった。

私の身体は昔から突然、一瞬だけ意識がなくなり身体が硬直する。
その度に色々なモノに身体をぶつけ、持っていたモノを投げ飛ばし怪我してきた。
全て無意識で覚えていない。

土方巽が「硬いもの」を求めたように自らの身体を意識して固めてみようと思った。
ただ淡々と身体を硬直させ、突然脱力するという行為を繰り返してみた。


(立石裕美)
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【Aug_15】龍三さん&ミコさん

2020-08-24 | KANAZAWA
龍三さん&ミコさん@神保町ラドリオ前。
目出度いふたりとお祝いランチをしました〜。
馴れ初めやら家族のこと、このコロナ禍で思ったことなど語らい。
何より龍三さんの水俣との関係が興味深く、
社会をシフトしていくことの難しさを共有できるおふたりだなぁと深く感入り。
これからも志し共によろしくです〜。
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【Aug_06】東浩紀『生き延びる命とは』

2020-08-06 | KANAZAWA
東浩紀『生き延びる命とは


「統計や確率などの数字で権力が人々を管理する状況では、人間は誰もが一つのサンプルでしかない」
「ウイルス危機を口実にして権力の行使が強化されていることを警戒すべき」


…誰もがこの未曾有の事態に尻込みし、【個体の生】に固執するばかりで、
命が人と人とのつながりの中で成立していることを見失ってる。
目の前のリスク回避が、5年後10年後のリスクを呼び寄せていることを自覚すべき…と東さん。

『生き延びるだけが真実か?』の問いかけは、自分さえ良ければ…という自己責任と表裏。
「自分には分かっている」前提で互いの言動を攻撃しても、どこにも行き着かないのでは?

「人間はリスクを引き受けることで社会を成り立たせてきたのだという事実を思い出すべきです。
たとえば学校に行けばいじめられるかもしれないけれど、誰にも会わなければ友達もできない。
人間は、価値とリスクのバランスを考えるコトで社会を作ってきました。
不安に襲われるのは仕方がない状況ですが、そのために大事な価値を
あまりに簡単に手放してしまっていないか、もっと点検すべきです。」


奇しくも『アートにエール』に上がった映像作品『オーダーを待ちながら』には、
リスクを請け負ってでも繋がりを求める願いが込められていると思ったわ。

企画室磁場/オーダーを待ちながら


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【Jul_01】山本太郎_街宣@亀有駅南口

2020-07-02 | KANAZAWA
山本太郎_街宣@亀有駅南口

雨風強い中、大方の人々が家路を急ぐが、
山本太郎候補、大いなる熱量でもって、この社会の歪みを説く。
辺境のマージナルな人々に手を差し伸べる施策は、
我田引水、功利的に物事を進める現政権の真逆をいくものだが、
我関せずの有権者が多いことに驚。

合理の呪縛が制度を固定化する。
変化は内なる情動からしか生まれないことを、
太郎は胸襟を開いて真摯に語っていた。

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【on_Flickr】1207_GRAYISH_QUILT

2020-06-17 | KANAZAWA
久世龍五郎ソロ舞踏『Grayish_Quilt』@中野Terpsichore

照明/三枝 淳 音楽/友井亮輔 舞監/相良ゆみ

【on_Flickr】1207_GRAYISH_QUILT

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【May_30】「料理の人類学入門」by宮台真司

2020-05-25 | KANAZAWA
料理の人類学入門』by宮台真司@下北沢DawinRoom
日時:2020年5月30日(土)19:00〜21:00
ゲスト:宮台真司|社会学者・映画批評家・都立大学教授
料金:¥2,900 税込|配布テキスト資料付き

「人間以外の人間的な存在は料理を必要としない」故に、料理を考えることは、
自然から隔絶された人間中心主義の行く末を考えるコトになると同時に、
「共食=共に食べる」行為の減少、つまり共同体の喪失が倫理の喪失にもつながるのだ…
との考察を『料理の人類学』として語られる講座。

以下コピペ
↓↓↓

■なぜ人類は生き残るべきなのか。もはや少しも自明ではありません。
例えば、共同体的 な集まりtogethernessの必要を負担免除するシステム化(市場化と行政化)で、
人間は感情的に劣化していきます。これは必然です。

↓↓↓

■システム化(市場化と行政化)やそれを支えるテック化は、
負担を免除したい(=便利で快適にしたい)という、
遺伝的基盤に支えられた人間中心主義的なものでしたが、
汎システム化の段階に至って、人間をできる限りテックに置き換えたいという、
人間を不要にする方向で(=人間をノイズやコストとしてカウントする方向で)
脱人間中心主義化しつつあります。

↓↓↓

■我々の、人間中心主義的な料理の享受は、
人間と人間ではない生き物を、まるで自明であるかのように差別します。
そのことを前提として、社会の全てのプログラムが成り立っています。
「自然から間接化された結果、意図せず人間中心主義に陥って、生態系から復讐される」
という昨今の我々のあり方を、反省するための視座を与えるのです。

↓↓↓

■社会学は、家族を、「共住=ともに住む、共食=ともに食べる」
集団として、定義してきました。
1980年代とは経済的隆盛を背景に単身赴任が急増した時代です。
ただでさえバラバラになりつつあるのに、
残された家族が共食する機会も減ることで
──個人が多様な社会参画機会を得ることで──
家族の共同性が急に崩れていくのです。

↓↓↓

■食において最終的に問題になるのは、
認知recognitionsでなく、倫理ethicsです。
倫理は最終的に根拠がないものです。
ロジカルな根拠はないという意味です。
では倫理の基盤は何か。

↓↓↓

我々は、人類学的な時代を
生きていた頃に持っていた倫理を、
既に失ったのです。
理由を簡単に言うと、
環境──我々のsurroundings──が、
自然=世界であるより、
人間=社会になったからです。
我々とコミュニケーション可能なものが、
人間だけに限られたということです。
それが冒頭に「間接化」と表現したことです。


↓↓↓

■例えば、想像力が欠けた人たちは、
「自然食がいい」とか「有機野菜がいい」とかいう話をしがちだけど、
全部「身体にいい」という話に閉じ込められているでしょう。
これでは 駄目なのです。
スローフードという1980年代前半から始まった運動は、
そもそも原理的に 「オーガニック」も「トレーサビリティ」も
目的ではないことに注意しましょう。

↓↓↓

■汎システム化に抗うために、
まず「顔が見える範囲」に向けて、つまり仲間のために、
農作物にせよ工芸製品にせよ一生懸命に作るわけです。
仲間が食べるのだから仲間のためになるものを作ろうと思うし、
そういう努力を見ているから食べる人=買う人も、
スーパーマーケットよりは高くても仲間から買おうと思うわけです。
なぜかというと、仲間のために善いことをしようと思うという
事実性factualityが 「存在する」からですね。
つまり「我々が倫理を手放さないための運動」なんですよ。

↓↓↓

■他方、システム(市場と行政)に取り囲まれた我々消費者は、
自分の健康のために「オ ーガニックかどうか」「トレーサブルかどうか」
を気にして製品を需要し、会社や行政にクレームを付けます。
クレームの一部は法律や条令の立法legislationに繫がります。
だから「いいもの」を作らざるを得ません。
しかし、そこで働いているのは、
ウェーバーがいう「資本制のシステムで生き残るための損得勘定」です。
つまり、そこでは共同体(=仲間)が失われているがゆえに、
倫理が失われているのです。

↓↓↓

■平たくいえば、人間的な感情やそれに基づく倫理によって
「仲間のために良いものを作 ろう」と思っているのか、
「そうしないと売れないからオーガニックでトレーサブルなも のを作ろう」
「有毒な添加物を入れると法律や条令に引っかかるから添加物を控えよう」
と思っているのか、という違いです。

↓↓↓

■なぜ共同体を維持するのかというと、
それは「人間的なものの本質は、倫理にある」 と見るからです。
「人間的なものの本質は、善いことをしようと思うという事実性にある」ということです。
損得に閉じ込められず、損得を越えた倫理へと開かれるには、
まず共同体 が回復しなければいけません。
共同体が回復した時にだけ、我々は、その共同体=仲間を支えるものを守ろうという、
損得勘定を越えた内発性=内から湧き上がる力を、手にできます。

↓↓↓

■こうした機能的な連関についての思考それ自体が、実は生態学的な思考です。
生態学は エコロジーecologyの訳ですが、多くの人が誤解しているような
「自然は大切」というイデ オロギーではありません。
生態学的な思考自体は、ナチスやディープエコロジーがそうであるように、
どこまででも非人間的なものになり得ます。
そうならないために必要なのは、論理つまりロゴスではなく、
倫理つまり損得勘定を超える感情が働くという事実性です。


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