#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【永積タカシ】光と影

2010-08-27 | MUSIC
だれでもない どこにもないぜ
僕だけの光と影
闇の向こうの光を見に行こう
光と影

僕はいま ゆれるキャンドルをみてる
ただ ぼんやり ぽっかり はっきり くっきり すっぽり うっとりと
いつだって君の側 健やかな光と影が
降り注ぐようにと 少しだけ願った

あの日僕ら ケモノみたいに抱き合った
玄関閉め キスして 孤独をぶつけて 火の玉になった
その先に 痛みがあろうと
不安で胸が張り裂けようと
今を薄めたくなんてなかった 深く刻みたいと思った

いつだって その輝きに
真っすぐに 熱くなれたら
なんにだってなれるぜ どこへだって行けるんだぜ

だれでもない どこにもないぜ
君だけの光と影
光の先の闇を見に行こう
光と影
そして僕は 一人どこへ行くんだろ
君一人幸せにできないやつに 何が言えるんだろ
ありがとう ってつげた 君に
僕はなんて言えたらよかったんだろ・・・

いつだってその輝きに
真っすぐに 熱くなれたら
なんにだってなれるぜ どこへだって行けるんだぜ

だれでもない どこにもないぜ
君だけの光と影
光の先の闇を見に行こう
光と影

だれでもない どこにもないぜ
僕だけの光と影
闇の向こうの光を見に行こう
光と影

億千万の光と影
今から逢いに行くんだぜ
聞かせてほしい 君の中にある
光と影

億千万の光と影
今から逢いに行こうぜ
聞かせてほしい 君の中にある
光と影

聞かせてほしい 君の中にある
光と影

光と影/ハナレグミ

      ●

優しさや思いやりのきれいな気持ちだけが自分じゃない、
上手くいかないことや認められないことも含めて自分なのだと思う。

そんな葛藤を抱えながらも
一生懸命「生」を体現しようとしている
20代、30代の人たちに日々接して、
ボクの中でも何かが大きく開かれようとしている。

己の中の「光と陰」をカタチにしようと藻掻く表現者たち。

カラダを使って、音を使って、言葉をつかって。
不器用にぶつかり、ひしめき、傷つき、それでも表現しようとする。

そんな葛藤する姿が、写真に収められれば…。
「光と陰」で、一枚のタブローに為し得たなら…
…とボクも葛藤する。

本日、ダンス撮影@廃校。

かつての小学校の教室で、
夏の陽射しに肉体がうごめき、
汗が滴り落ちる。

時代の光と陰、
肉体の光と陰が、
邂逅する…。



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【bozzo】祝初優勝!興南高校~!

2010-08-21 | Photo-diary
「感動をありがとう!」

08月21日土曜日。晴れ。

東京でワンセグにかじりついて
2時間の熱戦を見た、興南vs東海大相模の決勝戦。

点が入るたびに、
「ああ、沖縄にいたなら」…と、
何度思ったことだろう。

沖縄にいるとき以上に、
胸が熱くなった。

興南4回裏1イニング7点の攻撃のときには、
東海大相模の一二三投手の健気さに胸を打たれ、
「もういいんじゃないか…」…と、
興南の畳みかける攻撃のすごさに驚愕した。

甲子園。

両チームの勝利への思いがひとつになる舞台。
9回表、最後のバッターを三振で仕留めたときの
興南ナインの興奮…。

「イチバン!イチバン!」

人差し指を大きく天に向けて、マウンドに駆け寄る姿…。
ケータイの小さな画面をわしづかみにして、
おろおろと涙を流した。

「沖縄は今、すごいことになっているのだろうな」

静かな東京で、沖縄を想う。
おめでとう!興南高校!
感動をありがとう!



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【青山真治】ユリイカ

2010-08-20 | BOOKS&MOVIES
 「何が幸せか!」と、沢井はあらん限りの大声で叫んだ。
 そうしなければ云うことできないと思った。
 「そんなもんが幸せでたまっか!直樹はどこにおってもよかと。
 いつか直樹は戻ってきて失くしたもんば取り戻すと!
 そん時、お前みたいなもんが直樹の邪魔をしよるやろう。
 ばってん俺は死んでも直樹を守ってみせるけん。そいを忘れんごとしとけ!」

ユリイカ…【EUREKA】帰納と演繹に加えて、直感が知識に至る道である。
      I found it!「わかった!」とアルキメデスが叫んだ言葉。

およそこのタイトルとはかけ離れた3時間半の映画である。

冒頭の引用はバスハイジャックを受けた運転手沢井が、
同じくハイジャックを体験し、精神のバランスを失った兄妹、
直樹と梢をバスに乗せ、原点の旅に出た時のセリフ。

この映画を青山真治は中上健次へのオマージュとしている。

登場人物の心のすれ違いを経て、
口数少なくともお互いを思う気持ちが浮かび上がってくるあたりは、
兄妹が啞になってしまう設定からも、意図が伝わってくるが、

3時間半のほとんどが、その無台詞のモノクロ描写で進行する。

映像表現の常套句「独白」すら存在しない。
しかも長回しである。ワンアングルで、耐える演技。
見ているこちら側が緊張する空気。

遠景でひたすら逃げ惑う兄「直樹」。追いかけるいとこ「秋彦」。
画面を右に左に行き交う状況が、ワンアングルで10分。
窓枠から眺めているような光景として、描かれる。

BGMも入らない。モノクロ。風にそよぐカーテンと、直樹の息遣い、草いきれ。
ただ、それだけ。

しかし、その無台詞長回しの表現から、
啞になった兄妹の云うに云われぬ苦悩が滲む。

その傷みがクライマックスに表出するのが、「直樹」が殺人を企て、
沢井に引き留められるシーン。

啞だと思われていた直樹が口を開く…

 「なして、殺したら、いけんとや」
 恐怖に震え、重く淀んだ声だった。初めて聞く直樹の声だった。
 何よりそれが悲しかった。
 「いけんては云うとらん」
 そう答えるのがやっとだった。いまここの直樹に云うならそれしかなかった。
 沢井は左手を伸ばした。直樹は警戒したが、動けなかった。
 沢井はその手でナイフの刃と直樹の指とを一緒に掴んだ。
 痛みは感じなかった。直樹が抜き取ろうとするのを強く握った。
 刃が掌に食い込むのがわかった。すぐに血が滴り落ちた。

実直な沢井の行動に、涙があふれる。

 彼は娘を見ていた。昨夜のことが嘘のように思えた。
 救けてほしいと思った。ここから、この自分の眼でみているものから、
 できるなら救けてあげてほしい。おれは素直で、柔順な男でありたい。
 誰をも殺したくないし殺されたくない。誰おも殴り傷つけなくないし、
 誰からも殴られたり傷つけたりされたくない。やさしい人間でありたい。
 善人でありたい。娘は、彼の腕に抱かれている。手で、腹を触られ、わらう。
 娘の腹はいったい中になにが詰っているのだろうと思うほどふくらみ、固い。
                      (火宅/中上健次著)

人間は愛する行為で、救われる。
この映画は、それを語っている。

愛される対象ではなく、愛する対象を持つこと。

それがどれだけの励みになるのか、
登場人物の地獄の苦悩をワンアングルでひたすら描き、
台詞を極力削く中で、浮かび上がる「愛する行為」。

沢井は啞の兄妹を「愛する」ことで、なんとか救われる。

生きる意味を、どうにか心にとどめる。

エンドロール手前、妹の「梢」が山頂で初めて声を上げるとき、
3時間半モノクロだった映像が、突然カラーへと変わる。

「愛する行為」を経て、「生きる」ことを掴む…印象的なシーン。

その後読み返した中上健次の著作には、
血の繋がった者同士の愛憎劇が数多く描かれていた。
「愛する行為」が決して成就しない捻れた血縁関係。

ずっしりと重く臓物に沁みた映画だった。


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【井上陽水】アジアの純真

2010-08-18 | MUSIC
アジアの純真/PUFFY

 北京 ベルリン ダブリン リベリア
 束になって 輪になって
 イラン アフガン 聴かせて バラライカ

 美人 アリラン ガムラン ラザニア
 マウスだって キーになって
 気分 イレブン アクセス 試そうか

 開けドア 今はもう 流れでたら アジア

 白のパンダを どれでも 全部 並べて
 ピュアなハートが 夜空で 弾け飛びそうに
 輝いている 火花のように

 火山 マゼラン シャンハイ マラリア
 夜になって 熱が出て
 多分 ホンコン 瞬く 熱帯夜

 開けドア 涙 流れても 溢れ出ても アジア

 地図の黄河に 星座を 全部 浮かべて
 ピュアなハートが 誰かに めぐり会えそうに
 流されて行く 未来の方へ

 白のパンダを どれでも 全部 並べて
 ピュアなハートが 世界を飾り付けそうに 輝いている
 愛する限り 瞬いている

 今 アクセス ラブ

      ●

1996年の作品である。
今聴いても、ぶっとんでいる。

アジアの元気なイメージが、
そしてデビューのPUFFYのイメージが、
見事に表現されている。

この未整理の、はちゃめちゃぶりが、
アジアなんだなあ。

この、純真な、むき出しな、
欲望のかたまりみたいな部分が、
今の世界には必要なんじゃない?

コンプライアンスとか
くだらないこと言ってる前に、さ。

亜細亜的純真/Edge Player

Asia no Junshin/Gigantor
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【大貫妙子】突然の贈りもの

2010-08-17 | MUSIC
突然の贈りもの
甘く香る花束
頬を寄せて抱きしめる温もり

別れもつげないで
独りぼっちにさせた
いつの間にか六度目の春の日

 置き忘れたもの なにもかも
 そのままにあるの
 幸福でいたなら それでよかった

あなたの気まぐれに
つきあった仲でしょ
いつだって嘘だけはいやなの

必ず待ち合わせた
店も名前をかえた
この街へ戻ってきたのね

 初めて出逢った 時のように
 心がふるえる
 尋ねてくれるまで 待っているわ

皆とはじめた
新しい仕事にもなれて
元気でいるから 安心してね

突然の贈りもの/大橋トリオ

     ●

…夏だねえ。
朝も早くから自転車で
ひまわりを撮影しに。

8時だというのに、
照り返す陽射しに、うだる。

久方ぶりに沖縄の強い光を思い起こさせる。

…おきなわ。

夏、うだる、汗、熱、情。

あの店も名前を変えた…なんて、しょっちゅうだったけど、
そんなこんながすべて、胸、たぎる。


…そういや、この夏は、
まだ、海を、見ていない。






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【Element of the Moment】蒲田Star Woods Space

2010-08-12 | ACT!
8月12日。木曜日。
台風が来ている影響か、朝から風が強い。

今日はこれから新幹線で仙台へ。

夜半過ぎには台風接近とのこと。
沖縄がなつかしい。

      ●

 ヘンな町だった。
 それは、ぼくが予備校の駅前の学生援護会で、
 富士見荘を紹介されてひっこしたときからの印象だった。
 どぶ川にかかったあやめ橋、その橋の名前すらなにやら
 いわくがありそうだった。一度、斎藤がぼくにその橋の名前から、
 何を連想するか訊いてきた。いつごろの昔かわからないが昔、
 このあたりの土手にあやめの花が咲き乱れていた、と答えた。
 斎藤は、あやめとは、人を殺めるという意味のあやめだと言った。
               (黄金比の朝/中上健次著1978年)

そのあやめ橋からほど近いところに、
昨夜のスターウッズスペースはあった。
Star、Woods、Space…まったく意味のない単語の羅列だ。

思った通り、内装は壁一面青く塗られ、
椰子の木の貧相なイミテーションの葉が垂れ下がり、
宇宙空間を模したようなフットライトが青く光る、
蒲田らしいLIVEスペースだった。

蒲田の「か」の字も語ることの出来ない自分が、
「蒲田らしい」だなどと、感じること自体、間違っていた。
そんな間違った感情を抱くほど、この町は止まっていた。

中上健次を読むと、どうしても文章が投げやりになった。
…そんな文章の立ち姿が、ボクは好きだった。

      ●

久々のEOMライブだった。
おそらく沖縄以来。
みなと握手を交わし、笑顔で語り合う。

桜坂のしめった夜を思い出す、慈しみ深き感覚。
ああ、なんと居心地のよい空間なのだろう。
ここが「蒲田」であることはもう、どうでもよかった。

EOMのサウンドがそこにあり、
ボクが彼らを画額に収める。
それだけで十分だ。
あとはグラス一杯のアルコールがあれば、
ほどよい酩酊が、高揚の後押しをしてくれる。

それにしても、彼らの音は、一体感がある。
昨日はガンジーのベースも絶妙な音量だった。
アキラのスリリングなハットワーク、
yu-jiのやさしい旋律。
コハモトさんのエキセントリックなグルーヴ、
ワダミツのツボを心得たハーモニー。

今夜が関東ツアー最終日。

下北沢BAR?CCOで、20時スタート。

「Song Book ツアー 2010」
出演:element of the moment
OPEN:19:00/START:20:00頃から2ステージ予定
CHARGE:2000(+オーダー分1.000-)
公演はcco@club251.co.jpにて予約可。
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【大貫妙子】街

2010-08-11 | MUSIC
街/大貫妙子

こんなに広い
街なのに今日もまた

心を少し
触れ合うこともないまま

どこへ行っても
見知らぬ人波に疲れ

独りで部屋を
離れることもないまま

すれ違う時はいつでも
少し優しくなる私を気付く人はいない

      ●

1998年の沖縄上陸の年、
すじぐわ~の音楽祭で比屋定篤子さんに初めて接して、
沖縄の情緒と湿気に程よくブレンドされたこの曲を聴いて、
ひとり涙を流した。
ちょっとしたホームシックという奴だったのか…。
当時の感覚はもう思い出せないけれど。

「君の住む街にとんで行きたい」

翌日、すぐさまタワーレコードに行って
このシングルを買ったわけだけど、
そのカップリングで、比屋定さんがカバーしていたのが、「街」。

大貫さんの声より、少しだけ物切なく聞こえて好きだった。

今でもこの曲を聴くと、
あのときのなんだか
妙に切なモードな自分を思い出す。

      ●

すれ違う時はいつでも
少し優しくなる私を気付く人はいない

今日は高尾山に登ってきたのだけど、
下山する人とすれ違うたびに
このフレーズを思い出しては、
“やさしい”気持ちになっていたのを、
気付く人はいない。(当たり前か)






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【Pat Metheny】Are You Going With Me?

2010-08-09 | MUSIC
Are You Going With Me?/Pat Metheny(1993)

8月8日。88の日。
沖縄のステーキ屋を思い出す。

昨日は知り合いの写真家の事務所開き。
隅田川沿い…対岸にスカイツリーを見上げる場所で、
夕暮れから夜更けまで写真談義。

大勢の人が集い、写真のことやら、イラストのことやら、
人生のことやら、思い思いにしゃべり倒して帰って行った。

みんな一生懸命生きているのはわかるけど、
別に相手を罵倒しなくてもいいんじゃない?
…なんて。

競争社会について行けなくなる。

じめっとした風が、隅田川から流れてきて、
ふと背中のあたりに収まった。

「はぁ」

Are You Going With Me?

風が後押しするかのように、
背中が軽くなり、いつのまにか国道を駆けっている。

Pat Metheny…すばらしきギタリスト。

1981年のアルバム「Offlamp」から
さまざまなバージョンで現在まで弾き継がれている曲だけど、
いつどんなときに、どんな気持ちで聴いても、
すぐさまAre You Going With Me?と浮ついた気持ち…
そんな旅情に掻き立ててくれる。

しかし30年…。
(嗚呼…なんとボクらは悪戯に流されているのだろう)
今日たまたま「熱闘甲子園」を見たけれど、この番組も30周年。

なんと…あのPatももうすぐ57歳。

1996年の五反田簡保ホール来日LIVEは、
目の前のPatのプレイを見入ったあとに、
友達のクルマでHighway飛ばし悦に入っていたけど、

なんだろうな、変わらぬこの逃避行癖は。

ひとつところに収まれない、うわついた気質。
Are You Going With Me?…今日も心に風が吹いている。

きっと、風になりたいんだな。


Are You Going With Me?/Pat Metheny (2008)






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【bozzo】阪急百貨店うめだ本店

2010-08-07 | works
08月03日から大阪に入る。
ことの詳細は森のせいかつを。

大阪はとにかく暑かった。
東京よりは確実に暑いと実感。

そして人も熱い。
大阪の人は、なにかが違う。

エネルギーをたくさんもらってきた。

今回の出店でブースを共有したアバンティさん。
早くからオーガニックコットンの良さをみつけ、
商品化とその価値を世に説いてきた社長の渡邊さんは、
とてもアグレッシブかつフレキシブルな女性。

「オーガニックは一日にしてならず」の言葉どおり、
三年以上の月日と手間暇をかけて自然栽培で収穫する「綿」、
オーガニックコットンをMADE IN JAPANの品質にこだわって
製品化している。

瀬戸内海に古くからある紡績工場を使って「糸」にし、
今治・山形の腕の良い職人の手でさまざまな表情を見せる「布」へ。

その製造工程は、ホントに息が切れるほど、長い。
そこまでして本物にこだわる渡邊さんの思いとはなにか。
 
 「安く早く大量につくることを最優先にしてきた産業構造に、
 足並みを揃えられない製品です。しかしだからこそ、
 オーガニックコットンにしかできないものづくりがあります。
 日本が永い年月かけて培ってきた技術は、オーガニックコットンの
 特長である、安心・安全をささえるために、なくてはならないのです」

農薬を使わず、自然の摂理に則って栽培・収穫され、
人の手を通じた息の長い工程を経て、お客様の手に届く幸せ。

そんな当たり前のことを守ろうとしている渡邊さん。

ファストファッションが本流となり、日本の下請け工場が閉鎖を余儀なくされ、
安くて加工が容易な化学繊維により、アトピーなどに悩む女性も増え、
経済不況という触れ込みで、実は刹那な選択を強いられている消費者。

UNIQLOやH&Mなどの店頭に広がる色彩豊かな商品群は、
一見、自分たちの「個」を表現するアイテムが増え、
個性的なファッションを生んでいるように見えるけれど、

実はモノそのものの価値が下がり、モノを見る目が乏しくなり、
画一化された貧相な価値観…痩せた土壌へと導かれている事実。

この現実に狼煙を上げ、果敢に挑んでいる姿は、
そのアグレッシブな容貌と相まって、とても頼もしく見えた。

やはり、経済一辺倒で人間そのものが疲弊している。
「人間」とは本来、もっと賢い生き物であったはずだ…
…との思いが、募ってしまってしょうがない。

政治しかり、経済しかり、物づくりしかり…。
ここで「舵取り一杯!」と声高にする人がもっともっと
増えなければ、何かが大きく欠落した社会となる。

そんな気持ちを強くした、この大阪出張だった。












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【bozzo】野崎三丁目フェスティバル

2010-08-01 | MUSIC
7月31日。土曜日。
7月最後の日。曇り時々晴れ。

森のせいかつ」でも紹介した
「野崎三丁目フェスティバル」が
ここ三鷹市野崎で開かれた。

あきゅらいず美養品が、三鷹に移って半年。

地元との交流を深めるべく開いた
地産地消の「森の食堂」も徐々になじんできた頃。

ファサードもWAKU WORKSさんが
森仕様にリデザインし、良い雰囲気に。

ここいらで夏の夜に送る小粋な音楽祭を。
…と企画されたのが、このフェスティバル。

出演したううじんさん、森ゆにさん、田辺玄さん、
今宵限りのスペシャルセッションということで、
ギター、ピアノに歌というシンプルな構成で、
約2時間、100名ほどの人が酔いしれた。

      ●

もう、うっとり。
音楽って、なんて良いもんなんだろう。

LIVEに出向くたびに思うこと。

そのたびに、自分の不出来を呪う。
ああ、あんなに自由に音楽を生み出せたら…。
感情をストレートに、音に変換し、伝えられたら…。

なかばトラウマなんじゃないか?
そんな気持ちに駆られるほど、
今宵のLIVEは胸の奥に、じーんと来た。

特に森ゆにさんが歌った「AMAPOLA」と、
ううじんさんが歌った「きみがおもうより」。

AMAPOLA, my pretty little poppy,
You're like that lovely flow'r so sweet and heavenly.
Since I found you,My heart is wrapped around you.
And loving you, it seems to beat a rhapsody.
AMAPOLA,the pretty little poppy must copy
its endearing charm from you.
AMAPOLA,AMAPOLA,
How I long to hear you say "I love you."

どちらも愛を歌った曲なのだけど、
何というのか、その愛の深さが、
今はグサリと心に突き刺さる。

おそらく青山真治の「ユリイカ」を観たからだろう。
この話は、後日。







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