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沖縄から東京へ!流転の写真日記

【Dec_26】ガイアシンフォニー第3番

2018-12-27 | BOOKS&MOVIES
ガイアシンフォニー第3番』再見!@シネマチュプキ田端

視覚障害の方が映画を楽しめるよう、音声ガイダンスを付した映画を上映する映画館で、
星野道夫さんの妻直子さんのアフタートークがあるとのことで足を運ぶ。

「ガイアは一つの大きな生命体」をテーマに第8番まで続く龍村監督の作品だけど、
あらためて深く心揺さぶられる体験でした。

五千年一万年のスパンで流れる時を感じ、
有象無象の営みの一部として人間が存ることを、
誠実に紡いでゆくその姿勢。

同じ生き物として何をそんなに急いでるのか…と猛省するしかないほど、
この作品には豊かな時間が溢れていました。

特にハワイのナイノア・トンプソンが、
人間の感性だけで5000キロの航海をする章は、
地球と人間のつながりがいかに自然なことかを絵解きするようで、
激しい嗚咽を伴う感動がありました。

星野道夫の残した志が、20年の歳月を経て語られる素晴らしさ。
直子さんも映画の中で語ってるように、
悲劇的なものから本当の希望が生まれる…というテーゼは、
この悲惨極まりない現代社会に一条の光が射す救いだと、心底思った次第。

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【Dec_26】1/10_Fukushimaをきいてみる

2018-12-27 | BOOKS&MOVIES

古波津陽監督『1/10 Fukushimaをきいてみる』初回上映体感。

2013から回を重ね、定点観測も6回目。
フクシマの声も多様になってきて、なるほど「モヤモヤ度」も上がったような。

聞き手のみゆきさんも出産を経験し、受け止め方も多様になっただろうし、
浪江や楢葉の近距離圏も、未来に向けての現実的な動きが本格化したこともあって、
【原発事故】から前に進もうとしているフクシマの今が伝わってきた。

何より印象的だったのが、みゆきさんのご両親。
「生業を取り戻す」訴訟の結審が下って【一部勝訴】となっても、
「決してナシにすることはできね」の一言が、突き刺さる。

まだまだ何度でも振り返って考えなければならない話なのだ。

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【Dec_01】『ピアソラ 永遠のリベルタンゴ』

2018-12-04 | BOOKS&MOVIES
アストル・ピアソラ没後25周年記念ドキュメンタリー
ピアソラ』@ル・シネマ初日鑑賞。


息子ダニエルと娘ディアナの目線から語られる父アストルの素顔。
産まれながら足が捻れていて、一歳の時に手術を5回もした…という衝撃の事実に先ずは驚き!
そのためか、父ノニーノの息子への愛情がハンパなく、
ピアソラもその下支えがあったから生涯をバンドネオンに捧げられたのかと思うと、
「adios nonino」の楽曲の深さ、涙なしには聴けない。

1966年の離婚からパリに居を移しイタリアを経て1978年に帰国するまで、
自分の音楽を確立すべく闘う姿もすざまじいし、
帰国後の名声を得て亡くなるまでがなんと10年そこそこで、
報われるも死には抗えずで、後ろ髪引かれる思い。

彼の人生全てが彼の音楽そのものであり、
改めてピアソラタンゴの魅力に打ち震えるのでした。

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【Sep_19】絶対矛盾的自己同一

2018-09-19 | BOOKS&MOVIES
人の精神というのは、地表の部分を高くしようとすればするほど、
地下の部分も同じだけ呼応して深くなるわけです。
つまり、人が善を目指そうとすればするほど、
悪というのは、補償作用として必ずその人の中で同じ分伸びてきます。
同じように人が健康になろうと思えば思うほど、
地下にあるその人の不健全な部分は深まっていくはずなんです。


           (村上春樹インタビューより)

【絶対矛盾的自己同一】互いに矛盾し、依存する行為と直観が自己否定を通して同一性を保つ状態。(西田幾多郎)
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【Sep_01】死者たちと言語を共有しているからこそ言語による創造が可能になる

2018-09-01 | BOOKS&MOVIES
「『傷ついたんでしょう、少しくらいは?』と妻は僕に尋ねた。
『僕もやはり人間だから、傷つくことは傷つく』と木野は答えた。
でもそれは本当ではない。少なくとも半分は嘘だ。
おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ、と木野は認めた。
本物の痛みを感じるべきときに、おれは肝心の感覚を押し殺してしまった。
痛切なものを引き受けたくなかったから、真実と正面から向かい合うことを回避し、
その結果こうして中身のない虚ろな心を抱き続けることになった。」


                (村上春樹著『女のいない男たち』)


今の日本だな。

死者たちと言語を共有しているからこそ言語による創造が可能になるより。
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【Aug_28】村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』

2018-08-28 | BOOKS&MOVIES
私はその光の中でぼろぼろと涙を流しました。
体じゅうの体液が涙となって、
私の目からこぼれ落ちてしまいそうに思いました。
私のからだそのものが溶けて液体になってそのままここに流れてしまいそうにさえ思いました。
この見事な光の至福の中でなら死んでもいいと思いました。
いや、死にたいとさえ私は思いました。
そこにあるのは、今何かがここで見事にひとつになったという感覚でした。
圧倒的なまでの一体感です。
そうだ、人生の真の意義とはこの何十秒かだけ続く光の中に存在するのだ、
ここで自分はこのまま死んでしまうべきなのだと私は思いました。


(村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』間宮中尉の長い話)
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【Aug_28】村上春樹『沈黙』

2018-08-28 | BOOKS&MOVIES
村上春樹と言えば、最近見つけた『沈黙』が秀逸。
鴻上尚史さんが「同調圧力」の国民性に、
特攻隊の話を例に警鐘を鳴らしているけど、
この『沈黙』は、その最たるものと言える。

そしてハッキリと一線を画すくだりが書かれている。

「でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の話を無批判に受け入れて、
そのまま信じてしまう連中です。自分では何も生み出さず、何も理解してないくせに、
口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。
彼らは自分が何か間違ったことをしているんじゃないかなんて、これっぽっちも、
ちらっとでも考えたりしないんです。彼らは自分が誰かを無意味に、
決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思い当たりもしないような連中です。
彼らはそういう自分たちの行動がどんな結果をもたらそうと、なんの責任も取りやしないんです。
僕が本当に怖いのはそういう連中です。そして夢の中に出てくる人々は顔というものを持たないんです。
沈黙が冷たい水みたいになにもかもにどんどんしみこんでいくんです。
そして沈黙の中でなにもかもがどろどろに溶けていくんです。
そしてそんな中で僕が溶けていきながらどれだけ叫んでも、誰も聞いてはくれないんです」


ノモンハンの無責任な戦略の話と言い、昨今の安倍ありきな政治論争と言い、
その無責任さはSNSによって助長されていること必至。
自らを省みず、傷つけることにも無頓着で、ひたすら排斥の一手を繰り返す輩の多いこと。
この恐ろしさに村上春樹は向き合い、
だからこそ「オウム真理教」への一辺倒な世論にも一石投じてきたのだと。
省みる弛まぬ努力が必要なのだ。

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#村上春樹
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【Jul_05】ニッポン国VS泉南石綿村

2018-07-06 | BOOKS&MOVIES
原一男監督作品『ニッポン国VS泉南石綿村

原一男監督23年ぶりのドキュメンタリー。
初の生活者を撮る。

2006年の石綿全面禁止から、被害者発掘を経て国賠訴訟を起こし、
最高裁勝訴までの約10年をカメラは執拗に追い掛ける。

上映時間3時間35分。必要な長さだと思った。

国の犯罪を国のシステムで裁く矛盾が徐々にあからさまになるあたりが瞠目。


石綿産業自体が1907年から始まって戦後隆盛を極めていくのだけど、
その担い手が日本統治下の韓国人や被差別部落の人たちだった…というのがもはや策略的で、
「産業社会の発展の妨げとなる規制はNG」なる地裁の判決も
国のために民を犠牲にする【国家】の成り立ちそのもので、憤憤もの。

乾燥地帯で米も満足に採れない泉南地区に産業を興したがゆえに、
盲しいだ民は嬉々し働き、石綿吸いこんで呆気なく亡くなっていく。

このドキュメント中も原告が21人、次々と亡くなる。

10年の月日はその惨状を記録するために必要な長さだった…と監督は述懐する。

それでも時の大臣が泉南に現れたら「もう怒り忘れました」などとのたまう原告。
どこまでも【国家】というシステムに馴致されている民。

ああ情けない。たかだか150年ですよ、国家なんて。

なぜその成り立ちそのものを疑おうとしないのか?
国家が起ち上がってからこの国は幸せになったのか?
4度の戦争と公害、優生思想による強制避妊手術など、
税金巻き上げて碌なことしとらんわ。

「最高裁が認めたから謝る」という厚労大臣の発言が端的ですわ。

結局、政治は10年20年のスパンでは見通せないモノを動かすコト。
その決断に10年20年先の未来を下す重さがなければ、不均衡なワケで、
その実態を政治家は露にも実感していないことが大問題。

原告のひとりが「そん時の大臣が来るわけじゃなし、謝られてもね」という感慨がホントすべて。

どこまでも無責任なシステムが今の政治機構であり、
その無責任なシステムに大量のお金をむしり獲られ、
私利私欲で動かされてしまっている実態を、
国民ひとりひとりがもっと怒らなければならない。

システムそのものが均衡を大きく欠いているのだ。

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【Jul_01】焼肉ドラゴン

2018-07-03 | BOOKS&MOVIES

鄭義信初監督作品『焼肉ドラゴン』鑑賞〜!


舞台作品観てないのだけど、舞台で観たらサイコーだろうな…という凝縮した作り。
人間模様の描き込み素晴らしい。そんでもってキャスティング超良い!
アボジとオモニの人柄がぐいぐいで、それに引っ張られて大泉洋が奔放に演じていてリアル。

敗戦後の日本で、在日として精一杯の境遇の中、
連れ子の娘3人にヤンチャな息子を育て、
在日同士寄り添いながらも懸命に生きてきた70年前後の大阪で、
万博とともに世間の排他度が増し、遂には居場所を失う家族の話。

どこまでも日本は弱者排斥で優生思想が1996年まで法としてまかり通っていただけあり、
蜘蛛の糸を断ち切るような横暴さで寄る辺ない人々をバサバサ切り捨てて来た。

そのツケが「万引き家族」であり、新幹線や富山での無差別殺人に帰結していると思う。
どこまでも消費者マインドで他者より優位に生きたい!ばかりで、
同じ命を犠牲にするシステムが堅牢に出来上がってしまってるわな。

だから、安倍がいつまでも安泰なんだわ。絶望的な社会に辟易です。

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#鄭義信
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【Jun_14】是枝裕和監督作品「万引き家族」

2018-06-15 | BOOKS&MOVIES
是枝裕和監督作品『万引き家族』鑑賞〜!

写真家鈴木陽介さんのメインヴィジュアルそのままの、
「家族」とは何かを問うた作品…と思ったら、違ってた。

「神社が物騒」とか「公園の土は汚い」とか、アナログからデジタルへ
保存様式が波形からドットに変化してからというもの、
人間の思考回路もいつの間にかなだらかな波形からゼロイチのドットに変わったみたい。

この映画も実はそういうことを表出していて、「家族」であるか否か…という名付けも、
実は外部からの装いでしかなく、映画の中では個々の説明はなされない。

リリーフランキーがお父さん?であれば、安藤サクラはお母さん?
樹木希林はどう見てもおばあちゃんだけど、松岡茉優はじゃあ、妹?みたいに、
「家族」も想定の域を出ないし、生計は「万引き」ってことになってるけど、まぁハッキリしない。

とてもごにょごにょとしていて、実際、暮らす家屋の中も盗品で溢れかえり、
足の踏み場もないって感じだし、アングルも常にモノが介在していて、判然としない。

スクリーンからは体温ばかりが滔々と伝わってくる。

冬から夏にかけての、湿度の上がり具合と共に、
彼らの密度も濃厚さを増していき、
同じく縁側で隅田川の花火を眺めているような気分に、なる。


そうなのよ、人間って、特にニッポンって、
個人のプライバシーとか、全然気にしないところだったのよ。


いつも自然と共にあり、里山には神社があって、
八百万の自然神との仲を取り持つ存在で、
百姓は年がら年中つちに塗れて、
夕方になれば風呂場で背中を流し合い、

苗字なんて大それたモンはなくて、
一人一人は「よっちゃん」や「まさちゃん」だったりしてた。

だから、となりの子が夕餉に混じっていようが、
寝床に横になっていようが、構わなかった…の。

それがさ「お国」という概念がなんだか素晴らしいって発想に
付和雷同した明治からってもの、
「お国」にとっての「国民」という、
上から目線の仕組みばかりがまかり通ることとなって、
いつの間にやら序列でもって「マイナンバー」まで紐付けられることに。

だからすべては「お国」と共に思考もデジタル化してきたのよね。

劇中、サクラが「ワークシェア」という名目で午前中パートがお休みなシーンがあるのだけど、
「シェア」という思考も本来であれば「お国」が先陣切って行う取り組みなワケで。

「ルームシェア」「カーシェア」の類も、「お国」が「国民」を財としか見ていない証左で、
要は貧窮にセーフティを掛けるわけじゃなく、個人が工夫して成り立っている。

「お国」の仕組みがそこまで功利に走っているから、
その背面を伺うようにして存在していた「家族」であったのに、

「お国」の隷にしょっ引かれて、すべてが瓦解する筋立てはもう、
遅きに逸したこの国の暴走に、
「国民」が翻弄される様を寓話的に表出している映画で、

パルムドール賞ってのは、救いなんでしょうか?お慰みなんでしょうか?

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【Jun_05】「牡蠣工場」と「港町」

2018-06-06 | BOOKS&MOVIES
想田和弘監督の観察映画
第6弾『牡蠣工場』と第7弾『港町』を鑑賞。


同じ岡山は牛窓から生まれたドキュメンタリーなのだけど、セットで観ることで炙り出てくるモノがあった。
どちらも第一産業の現実を見せつけているのだが、
この国が敗戦後70年、人間の基礎となる「食」について疎かにしてきたツケが今顕れていると思った。

『牡蠣工場』では、震災の打撃を食らった南三陸の漁師ワタナベさんが、
牛窓に希望を見出し奮闘する話ではあるのだけど、
人手不足の現実を中国人を呼び寄せることで解決していく現実と、

『港町』では、過疎化の進んだ牛窓の町中で、細々と漁を営み、
競りを経て魚屋にさかなが並ぶ「流通」の担い手がすべて後期高齢者であるという現実。

人が人として生きていく上で根底となる「食」の現場が、
片や外国人労働者によって、片や後期高齢者によって支えられている。

経済発展だ、外貨獲得だ、と国力を保つためには
海外との競争社会に競り勝たなければならない…という、夜郎自大な虚勢でもって、

その大義のためなら、国民を欺こうが、税金をムダに注ごうが、
アメリカにおべっちゃらを使おうが、なりふり構わぬ体たらく。

その結果として、今この国に有るのは、
「食」というモノに意識を注がぬ、社会構造なのだ。

国に翻弄されて残った営みが、過疎化した『港町』のモノクロームな世界…というのは、
まさにシニカルだし、それをセンチメンタルだ郷愁だと切り離して考えていては、駄目なのだわ。

観察映画が炙り出したものは、まさに国として存亡の危機を迎えた、日本の現実だと思う。
だからって、この国を建て直せ…とは思わない。
むしろ、亡国のその先に、ホンモノの生き様があると、ボクは覚悟している。

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#想田和弘
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【May_07】悲観的になると日本人は愚鈍化する

2018-05-07 | BOOKS&MOVIES
悲観的になると日本人は愚鈍化する。

そして、その反対の「根拠のない楽観」にすがりついて、
あれこれと多幸症的な妄想を語ることは積極的に推奨されています。

原発の再稼働も、兵器輸出も、リニア新幹線も、
五輪や万博やカジノのような「パンとサーカス」的イベントも、
日銀の「異次元緩和」も官製相場も、


どれも失敗したら悲惨なことになりそうな無謀な作戦ですけれど、
どれについても関係者たちは一人として
「考え得る最悪の事態についてどう対処するか」については、
一秒も頭を使いません。
すべてがうまくゆけば日本経済は再び活性化し、
世界中から資本が集まり、株価は高騰し、人口もV字回復…というような話を
(たぶんそんなことは絶対に起きないと知っていながら)している。

思い通りにならなかった場合には、どのタイミングで、
どの指標に基づいてプランBやプランCに切り替えて、
被害を最小化するかという話は誰もしない。
それは「うまくゆかなかった場合に備える」という態度は敗北主義であり、
敗北主義こそが敗北を呼び込むという循環的なロジックに取り憑かれているからです。


そして、この論法にしがみついている限り、
将来的にどのようなリスクが予測されても
何もしないで居ることが許される。

その点では現代日本のエリートたちも先の戦争指導部と
マインドにおいてはほとんど変わりません。


いずれの場合も高い確率で破局的事態が到来することは予測されている。
けれども、破局が到来した場合には社会全体が大混乱に陥るので、
そんな時に「責任者は誰だ」というような他責的な言葉使いで糾明する人間はもういない。
そんなことしている暇もないし、耳を貸す人もいない。
だったら、いっそ破局まで行ったほうが、個人の責任が免ぜられる分だけ「得」だ。
それが「敗北主義こそが敗北を呼び込む」という裏側にある打算です。


         (『人口減少社会の未来学』序論 by 内田樹)

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【Nov_03】『CODA』先行上映

2017-11-04 | BOOKS&MOVIES
明日封切!坂本龍一のドキュメンタリー『CODA』先行上映


【CODA】終結を意味するタイトルの、坂本龍一のここ5年を追ったドキュメンタリー。
震災にガンの告知と暗雲立ちこめる中、8年ぶりの新作『async』の制作過程を密着。

そこに在るのは、どのように終結するかへの模索だった。
自分の人生を振り返ってみて、どのように着地するか…とは、
何を残していけるのか、何を伝えていけるのか、への回答。

「炭鉱のカナリア」となって、自身が感じたものを統べてカタチにすること。
その集大成がひとつの【祈り】に昇華されていたことが、何より興味深かった。

震災で流されたピアノの、塩害で錆び、調律も儘ならない様を見て、
「自然の姿へ戻ろうとする力」と称して絶賛し、
その崩壊のノイズに命の源泉を見るスタンスは、

原発を初めとした近代主観主義の犯してきた人間主体の『強欲の意志』
【CODA】を迎えていると警鐘する。

しかし、それを声高に訴えるのではなく、
タルコフスキーの『サクリファイス』のように、
渾身の力で一音一音に魂を込め、音楽に昇華せんとする、
その切実さが胸悼む。

『async』の楽曲が、澱のように、少しずつ少しずつ心に着床してゆく100分であった。
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【Apr_01】チッソはわたしであった。

2017-08-15 | BOOKS&MOVIES
そしてチッソとは何なんだ?
私が闘っている相手は何なんだということがわからなくなって、
狂って狂って考えていった先に気付いたのが、巨大な「システム社会」でした。
私がいっている「システム社会」というのは、法律であり制度でもありますけれども、
それ以上に、時代の価値観が構造的に組み込まれている、そういう世の中です。
それは非常に怖い世界として見えました。
狂っているときに、とんでもない恐ろしい世界だと思いました。
このまま行けばその仕組みの中に取り込まれてしまうという危機感があったから、
そこから身を剥がねばならないと思って認定申請を取り下げ、
それ以来、他の患者の人たちにも自分なりの呼びかけ方をしてきたわけです。

   この40年の暮らしの中で、
   わたし自身がクルマを買い求め、運転するようになり、
   家にはテレビがあり、冷蔵庫があり、
   そして仕事ではプラスチックの船に乗っているわけです。

   いわばチッソのような化学工場が作った材料で作られたモノが、
   家の中にもたくさんあるわけです。


   水道のパイプに使われている塩化ビニールの大半は、当時チッソが作っていました。

   最近では液晶にしてもそうですけれども、私たちはまさに今、
   チッソ的な社会の中にいると思うんです。
   ですから、水俣病事件に限定すれば
   チッソという会社に責任がありますけれども、
   時代の中ではすでに私たちも「もうひとりのチッソ」なのです。
   「近代化」とか「豊かさ」を求めたこの社会は、私たち自身ではなかったのか。
   自らの呪縛を解き、
   そこからいかに脱して行くのかということが、
   大きな問いとしてあるように思います。

ですから、水俣病事件の中で、人間を暴き出そうとしたはずだけど
どうも仕組みを作って逃れようとしてきたんじゃないか?
それは加害者側の問題だけではないように思います。
もちろん、同列だとは云いませんが、逆に云いますと、時代はすでにもう、
被害者・患者が問われる水俣病になっているんじゃないか。
私たちは、ここにおられる方々も、ここの外におられる方々も、
誰しもすでに加害性と被害性を持ち合わせざるをえない存在になっている。
ですから、水俣病患者だからといって別枠ではないんじゃないか。
さまざまな仕組みや制度が「人間として」あるいは「人として」という
主体を覆い隠してしまっているんではないかということを申し上げたいのです。

   すでに歴史的な事実として加害者対被害者の構造はありますし、
   政治的な問題としてもありますが、お話してきたように私は今、
   事の本質がそこにあるとは思っていません。
   水俣病事件に限らずさまざまなことをマニュアル化し、
   制度化し、機械化し、そしてそれを「近代化」と呼んできた時代は、
   水銀で侵されたといっても命溢れる水俣の海を埋め立てただけではなくて、
   いくつものごまかしの仕組みを作って制度的、機械的な埋め立てを続けてきたのではないか。

   それは、一言でいえば「詐りの記憶装置」を作ってきたということではないか。

   それによって私たちは、生命としての本質、
   命の本質の記憶から外れてしまったところに来てしまったのではないか?という気がします。
   「命の記憶」を喪失した状態であるがゆえに、
   さまざまな事件が起きているのではないかと思わずにはいられないわけです。

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【Aug_12】「海辺の生と死」by島尾ミホ

2017-08-14 | BOOKS&MOVIES
『海辺の生と死』@テアトル新宿

さんざん観るべき映画を見逃してきたので、この映画だけでも…と縋る思いでテアトル新宿へ。
一挙に島時間へ引き込まれた。全篇「満島ひかり=島尾ミホ」のための映画。

1945年3月、沖縄は慶良間諸島に米軍上陸で、その後の本島上陸→南部決戦と悪夢の3ヶ月を送る…という時に、
奄美の加計呂麻島はこんなにも穏やかで、まともな島生活を送っていたのだな…という、
沖縄も上陸前はもしかしたらそれぐらい長閑だったのかしら、と羨むような空気。

8月の原爆投下の時期に至っても、オルガンを弾きながら歌う余裕がある…とは。

実際、加計呂麻島での巡り合わせは思し召しであったのかと思えるほどの、
島尾敏雄中尉と大平ミホのつながりは神秘的でさえある。
息子の伸三さんが2008年に綴った両親の話からは想像がつかないほどの神秘性である。

いや、それだけ純真な愛に没入できたからこそ
戦時を生き抜くことが出来たのかも知れない。
ミホが敏雄を守ったのだ。

それほどの深みを満島ひかりは自然体で演じていた。

これだけ運命的な時間を生きたふたりだからこそ、
死の淵を彷徨う「死の棘」の濃密な時間もあったのか…と思う。

「おとうさんの字は晩年になるに従い、
丸みを帯びて来て、
字を書く時にまで自分を偽っているようで、
私にはむしろ不気味に思えるのでした。」
(島尾伸三)

ますます島尾家を、奄美を、加計呂麻島を知りたいと思った。
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