国会議員共同声明へ「撤回が県民総意」
沖縄戦「集団自決」への日本軍の強制などの記述を削除・修正した教科書検定意見について
今沖縄県では、9月29日の県民大会に向けて大きなうねりをみせているが、
沖縄が生んだ「精神の詩人」山之口貘さんを、
娘の山之口泉さんが追想した文章に胸を打たれたので、
そのまま抜粋したいと思う。
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父は確かに沖縄県に生まれたのだが、
私が育つ頃、沖縄は、ただのオキナワであった。
私が学校で社会科の時間に習った一都一道二府四十二県の中に、
沖縄は、含まれていなかったのである。
まるで外国便のようにして沖縄から届く航空便の差出人の住所は、
なるほど、如何にも不安定で、宙ぶらりんの沖縄そのままの姿をさらしているように見えた。
が、父は、自分が沖縄に便りをする時、全く素知らぬ顔で、
沖縄県…と、宛先を書き出すのだ。
そう書くことが、まるで何かになるように。
だから私も、未だ存命だった祖父母に年賀状を書く時に、見よう見まねで、
たどたどしく、おきなわけんやえやまぐん…と宛名書きをしたのである。
そんな県などどこにもないと、学校の授業では教えられながら。
(中略)
父の死後、八年たって、オキナワは、沖縄県に戻った。
私の子供たちは、皆、沖縄を沖縄県と呼ぶのを当たり前のこととして育っていく。
沖縄が、日本の県ではなく、さりとて、アメリカの州なんかでもなかった、
あの空白の時間を、彼らは知らない。そして、それに先立つ戦争を。
それらをいやというほど知り尽くしている人々の数は、次第次第に減っている。
父の友人達の多くは、すでに旅立ってしまった。
今にすっかりいなくなってしまうだろう。
新聞やテレビやラジオは、何食わぬ風に沖縄を沖縄県と呼んでいる。
今となっては、父のあのやり場のない憤りも悲しみも、世界の片隅にそんなものがあったことさえ、
誰も気づきはしない。全ては包まれ押しやられ、
やがて新しい時代の波がそれらをすっぽり呑みつくしてしまうに違いない。
まるで、一匹のねずみのように。
けれど、少なくと今は未だ、私は忘れることができないでいる。
母国のない宙ぶらりんの沖縄に向かって、故郷を失くした宙ぶらりんの父が頑なに書き続けた、
沖縄県の県の字を。「沖縄は日本だ」と、死ぬまで繰り返し続けた、
断固たる沖縄訛りの声音と共に。
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戦後35年。沖縄県としてはまだそれだけの歳月しか経っていない事実。
たかが35年で風化させてしまえるのか、戦争の事実を。
ここはしっかりと国を相手に戦うしかない。