02/26の岡本太郎現代芸術賞レセプションにて。
川崎市長や美術館長の前で
「芸術は爆発だ!」と叫ぶ。(ウソ)
何度も思うのだけど、
「守り」に入ってる人のお話と
「攻め」につき動かされている人のお話とじゃ、
人を感動させるエネルギーが違うね。
既得権にまみれて
周りに気を遣って言葉を選ばなきゃいけないポジション
…てのも、大変なのだろうけど、
「切り開く」人か、「余儀なくされる」人か。
いまはどちらが求められているか。
…といっても「大阪維新の会」の橋下市長のように、
煽動すりゃいいってのも、おかしなもんだけど。
国民が9条改変しないで、「自己犠牲はしないこと」を選ぶなら
自分はこの国とは別のところに住もうと思う…だなんて、
そんな奴の口車に乗っちゃだめだよ。
川崎市長や美術館長の前で
「芸術は爆発だ!」と叫ぶ。(ウソ)
何度も思うのだけど、
「守り」に入ってる人のお話と
「攻め」につき動かされている人のお話とじゃ、
人を感動させるエネルギーが違うね。
既得権にまみれて
周りに気を遣って言葉を選ばなきゃいけないポジション
…てのも、大変なのだろうけど、
「切り開く」人か、「余儀なくされる」人か。
いまはどちらが求められているか。
…といっても「大阪維新の会」の橋下市長のように、
煽動すりゃいいってのも、おかしなもんだけど。
国民が9条改変しないで、「自己犠牲はしないこと」を選ぶなら
自分はこの国とは別のところに住もうと思う…だなんて、
そんな奴の口車に乗っちゃだめだよ。
02/26は岡本太郎の101回目の誕生日。
「文明の進歩に反比例し、人の心がどんどん貧しくなっていく現代に対するアンチテーゼとしてこの塔を作ったのだ」
…という太陽の塔が、今江戸東京博物館で展示されている。
田中優さんは言う。未来の扉は二つしかないのだ…と。
ひとつは「余儀なくされる未来」、もうひとつは「自分の意志で開く未来」。
自分の意志で選択し、切り開いた未来は「させられたもの」にはならない。
どんな未来だろうと、自分の選択の結果なのだから、諦めもつく。
一方で、未来を選ばない…という扉は、すべてに従わなければならないが、
責任は負わずに済む。それは誰かのせいであり、社会のせいであるからだ。
2012年、3月11日まであと2週間。
これから先のニッポンの、世界の未来を、
「切り開く」のか、「余儀なくするのか」。
それはひとりひとりの意志にかかっている。
岡本太郎は常に切り開いていく人だった。
だからこそ、生誕100年を大いに祝い、今でも彼の言葉に耳を傾ける。
「解決できる見通しの見えない課題」だらけのニッポン、世界だからこそ、
真っ正面から切り込んでいき、難題に立ち向かう。
岡本太郎がそうしたように、いま私たちは切り開く使命にある。
「文明の進歩に反比例し、人の心がどんどん貧しくなっていく現代に対するアンチテーゼとしてこの塔を作ったのだ」
…という太陽の塔が、今江戸東京博物館で展示されている。
田中優さんは言う。未来の扉は二つしかないのだ…と。
ひとつは「余儀なくされる未来」、もうひとつは「自分の意志で開く未来」。
自分の意志で選択し、切り開いた未来は「させられたもの」にはならない。
どんな未来だろうと、自分の選択の結果なのだから、諦めもつく。
一方で、未来を選ばない…という扉は、すべてに従わなければならないが、
責任は負わずに済む。それは誰かのせいであり、社会のせいであるからだ。
2012年、3月11日まであと2週間。
これから先のニッポンの、世界の未来を、
「切り開く」のか、「余儀なくするのか」。
それはひとりひとりの意志にかかっている。
岡本太郎は常に切り開いていく人だった。
だからこそ、生誕100年を大いに祝い、今でも彼の言葉に耳を傾ける。
「解決できる見通しの見えない課題」だらけのニッポン、世界だからこそ、
真っ正面から切り込んでいき、難題に立ち向かう。
岡本太郎がそうしたように、いま私たちは切り開く使命にある。
日暮里d-倉庫の看板前で、
出演者の記念撮影。
右から千田真司さん、舞城のどかさん、
中島康宏さん、おっきなわたるさん、五十嵐耕司さん。
ひとりひとり実力あるダンサーが
それぞれのダンスを尊重しあって完成した
今回の「Seasons Of Love」の舞台。
これも千田さんの人柄によるところが大きいかも。
実直なMC、素敵でした。お疲れ様でした。
出演者の記念撮影。
右から千田真司さん、舞城のどかさん、
中島康宏さん、おっきなわたるさん、五十嵐耕司さん。
ひとりひとり実力あるダンサーが
それぞれのダンスを尊重しあって完成した
今回の「Seasons Of Love」の舞台。
これも千田さんの人柄によるところが大きいかも。
実直なMC、素敵でした。お疲れ様でした。
横浜美術館で行われている「松井冬子展」を観に行く。
「世界中の子と友達になれる」というタイトルは、
彼女の東京藝大2002卒業制作の作品名。
子供の頃にふと「世界中の子どもたちと友達になれる!」と
確信した彼女は、大人になった時にそれが妄想であることを知る。
しかし、そのあり得ないことを確信した妄想に
狂気にも近い疑念を感じ、この絵を制作したのだという。
個展のポスターにもなったその絵を、じっくりと観た。
棚から溢れるように垂れ下がる薄紫の藤。
その藤をかき分けるようにして周りの様子を伺っている少女。
期待に胸が膨らんで、笑顔がこぼれている。
きっと藤に隠れている世界中の子どもたちの気配を想像しているのだろう。
背後には空っぽの揺りかご。しっかりとした籐編みの造りだ。
よく見るといろいろな発見がある。
笑顔の少女の両足先からは血が流れている。指先も赤くなっている。
溢れるように垂れ下がる藤にスズメバチが数多く群がっている。
その藤の花もよくよく見ると女性器の面影がある。
成立している世界が、実は大きく歪んでいるのだ。
まるで自分たちが現存する世界をあざ笑うかのような、第三者の目線がある。
そう、松井冬子の作品には常に第三の眼が存在している。
大輪を掲げ支えきれない様子の白菊の花。
花弁が不自然に長く絡まるように増殖して地面に垂れ下がっている。
その常軌を逸した菊の、熟れっぷりに「執念」のようなものが見え隠れする。
擬人化した訳ではない。その異様に育った白菊に想いを注ぐ第三の眼。
会場には数多くの人体解剖図を写生した鉛筆画もあった。
精緻なタッチで、内臓に浮かぶ血管のうねりを捉えている。
その執拗なまでの目線。しかし、そこには第三の眼があった。
画家の目だけではない、なにか憑き動かされているような第三の眼。
いや、もしかしたら、自分自身が備えている目線なのかもしれない。
この世はかりそめ、高次元を射影した影の姿。
目に映り浮かび上がる現実と思われるそのものは、次元を超えた世界の投影。
断片の連なりに相関は掴みきれないのだけれど、
ふっと視線を外にずらし、この世を鳥瞰的に眺めてみれば、
その因縁果が一目に見渡せる。
彼女が幽霊を多く手がけているのは、決して偶然ではなく、
その鳥瞰からのぞき見たこの世に、たまたま象形された自身の姿。
…そんな次元を超えて行き来するような空間把握、時空移動にひどく共鳴する。
これはまさに時代の空気をマーブル模様のように写し撮った展覧会だ。
ロールシャッハテストのようなシンメトリーの世界。
「この疾患を治癒させるために破壊する」と題された千鳥ヶ淵のサクラの夜景は、
時空移動の窓のような「救い」として大きな衝撃を与えた。
ボクは癒されている、この空間の中で確実に癒されている、そう陶酔した。
横浜美術館 松井 冬子 展
Yokohama Museum of Art
Fuyuko MATSUI Exhibition
- 世界中の子と友達になれる -
- Becoming Friends with All the Children in the World -
2012年3月18日(日)まで
March 18 (Sun), 2012
「世界中の子と友達になれる」というタイトルは、
彼女の東京藝大2002卒業制作の作品名。
子供の頃にふと「世界中の子どもたちと友達になれる!」と
確信した彼女は、大人になった時にそれが妄想であることを知る。
しかし、そのあり得ないことを確信した妄想に
狂気にも近い疑念を感じ、この絵を制作したのだという。
個展のポスターにもなったその絵を、じっくりと観た。
棚から溢れるように垂れ下がる薄紫の藤。
その藤をかき分けるようにして周りの様子を伺っている少女。
期待に胸が膨らんで、笑顔がこぼれている。
きっと藤に隠れている世界中の子どもたちの気配を想像しているのだろう。
背後には空っぽの揺りかご。しっかりとした籐編みの造りだ。
よく見るといろいろな発見がある。
笑顔の少女の両足先からは血が流れている。指先も赤くなっている。
溢れるように垂れ下がる藤にスズメバチが数多く群がっている。
その藤の花もよくよく見ると女性器の面影がある。
成立している世界が、実は大きく歪んでいるのだ。
まるで自分たちが現存する世界をあざ笑うかのような、第三者の目線がある。
そう、松井冬子の作品には常に第三の眼が存在している。
大輪を掲げ支えきれない様子の白菊の花。
花弁が不自然に長く絡まるように増殖して地面に垂れ下がっている。
その常軌を逸した菊の、熟れっぷりに「執念」のようなものが見え隠れする。
擬人化した訳ではない。その異様に育った白菊に想いを注ぐ第三の眼。
会場には数多くの人体解剖図を写生した鉛筆画もあった。
精緻なタッチで、内臓に浮かぶ血管のうねりを捉えている。
その執拗なまでの目線。しかし、そこには第三の眼があった。
画家の目だけではない、なにか憑き動かされているような第三の眼。
いや、もしかしたら、自分自身が備えている目線なのかもしれない。
この世はかりそめ、高次元を射影した影の姿。
目に映り浮かび上がる現実と思われるそのものは、次元を超えた世界の投影。
断片の連なりに相関は掴みきれないのだけれど、
ふっと視線を外にずらし、この世を鳥瞰的に眺めてみれば、
その因縁果が一目に見渡せる。
彼女が幽霊を多く手がけているのは、決して偶然ではなく、
その鳥瞰からのぞき見たこの世に、たまたま象形された自身の姿。
…そんな次元を超えて行き来するような空間把握、時空移動にひどく共鳴する。
これはまさに時代の空気をマーブル模様のように写し撮った展覧会だ。
ロールシャッハテストのようなシンメトリーの世界。
「この疾患を治癒させるために破壊する」と題された千鳥ヶ淵のサクラの夜景は、
時空移動の窓のような「救い」として大きな衝撃を与えた。
ボクは癒されている、この空間の中で確実に癒されている、そう陶酔した。
横浜美術館 松井 冬子 展
Yokohama Museum of Art
Fuyuko MATSUI Exhibition
- 世界中の子と友達になれる -
- Becoming Friends with All the Children in the World -
2012年3月18日(日)まで
March 18 (Sun), 2012