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沖縄から東京へ!流転の写真日記

Keep on Rolling!

2006-01-31 | Photo-diary
本日より、なんとか再開。
想定通り、Macの全データは跡形もなく消失。
アプリケーションからATOKまで
インストールし、できるだけ前回の環境に
近づけようとするも、なにかが違う。

苦しみもがきながらの再スタートとなる。

先週土曜日で
「はじまりの一枚」展も終了し、
完全な独り立ちをすることに。

まずは、徐々に、徐々に、
今までのフィルムを再度確認し、
データ化することを進行。

と同時に、できる限りシャッターを切る習慣付け。

50年代の二眼レフ、Rolleiflexを購入予定。
写真のトーンもスタイルも少しずつ変化するかも。

Keep on Rolling!2006年をこうご期待!
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Sudden-death その2

2006-01-23 | Photo-diary
ライブドアショック。
この一週間の陥落は、まさに霹靂の思いだろう。
堀江貴文も犯罪者扱いとなってしまった。

彼の右腕とされていた人物が
ここ沖縄で自殺をしている。

なぜ、沖縄で?

しかもチェックインしたホテルは
国際通りの外れにある
寂れたカプセルホテル。

ビジネスホテルの乱立で
ここ沖縄でのカプセルホテルの需要は極めて低い。
おそらく那覇市内では、ここだけかもしれない。

偽名を使い、寂れたカプセルホテルに入り、自殺を諮る。
なんとも背筋の凍る思いである。
・・・彼をそこまで追いつめたのはなんだったのだろう。

昨日の夜中、テレビ番組で劇団四季のドキュメントを観た。
大日本帝国のBC級戦犯を扱った演劇「南十字星」の話だ。

フィリピンやインドネシアなど
アジア各国で侵略を進めた日本軍の現場指揮官が、
敗戦ののち、軍事裁判で即刻死刑を言い渡される。

誰かが背負わなければ、前に進まない状況とは言え、
突然、絞首刑を言い渡された軍人たちの焦燥感は計り知れない。

国を呪い、その不遇を嘆いたことだろう。

それでも彼らは日本の未来を思い、
復讐心を捨て、その運命を受け入れようとする。

胸が熱くなった。

それぞれのSudden-death。
ひとつの命が断たれることのエネルギー。
その因果は違えど、断たれた事実は変わらない。

メメント・モリ。

・・・「死を想え」。

命はどこまでも尊い。




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Sudden-death

2006-01-23 | Photo-diary
金曜日の夜に、愛用のMacが、突然、立ち上がらなくなった。
見事な突然死だ。

今まで取り込んできた写真データも
仕事のデータも、メールのアカウントも、
すべてがふっとんだ。

こんな不条理があっていいのか・・・・。

コンピュータ社会にどっぷり漬かっていた証拠。
元々カタチのないもの・・・と高をくくってしまえば
案外、すんなりと事は進むものかもしれない。

しかし、周りはそれをゆるさない。

メールがバンバン入ってくる。
催促の電話や進捗を伺う電話がかかってくる。

サイバー社会にしっかり組み込まれ、
対応ができなければ、たちまちサイバー不具者扱いである。

こちらも途方に暮れてしまう。

ひたすらMacの復活を願うしかない。
しかし、ゼロからの再構築は根気のいる作業。
今から、ゲッソリ。

・・・・・。

写真は、大阪の地下鉄淀屋橋駅。
あまりにサイバーなデザインにびっくり。
ヨーロッパを彷彿とさせる空間である。

しばらくblogの更新はできないかもしれない。


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楠葉センチュリータウン

2006-01-19 | memories
大阪府枚方市楠葉花園町5-5-301。
楠葉センチュリータウン。

小学校2年生から中学2年生の夏までの6年間、
ボクはこの6棟もある15階建ての集合マンションで暮らしていた。

もう25年も前の話である。

当時としては、かなり画期的な集合住宅だった…と
今改めて、思う。

1棟に300世帯。それが6棟。
なんと1800世帯以上の家族が
限定された地域に住んでいたのだ。

各棟には集会所が設けられ、
各世帯ごとの駐車スペースと物置スペースが確保されていた。
6棟間の中央には時計台があり、
野球やサッカーを楽しむ運動場が配され、
その公園を囲むようなカタチで水路が巡っていた。

…見事な集合住宅だ。

このマンションのおかげで、
近くには小学校と中学校が建立された。

楠葉西小学校と楠葉西中学校。

マンションに住まった家族のその多くが、
社宅として借り受けた転勤族であり、
さもなければ、パイロットや医者、弁護士などの
高給取りであった。

1800世帯の多くは、
当時を象徴する中流階級であったように思う。

子供たちは連れだって同じ小学校に通った。
同じような境遇だから、すぐさま仲良くもなった。

同じ通学路を行き帰り、
同じ遊び場で野球をし、
同じような習い事で席を並べた。

箱庭のようなタテに密集した空間。
15階から見下ろす情景は、子供心に異様さを覚えた。

向かいの棟に並ぶ300世帯の窓、窓、窓。
思い思いのカーテンが、それぞれの個性を演出している。
300世帯それぞれの独立した人生模様が描かれ、
それぞれが確立した世界を形成している…はずだった。

しかし、ハチの巣穴のように並列した300もの世帯を
向かいの棟から眺めていると、違った感慨を覚えた。

…ブロイラー飼育のニワトリたち。

高層マンションにツキモノの飛び降り自殺が、
この場所でも後を絶たなかった。
ひどいときには、日を重ねて起きることもあった。

集会所脇の茂みに、
自殺者と思われる人型のカタマリが
しばらく放置されていることも、しばしばあった。



高度成長期後に建てられた集合型マンション、楠葉センチュリータウン。



ブロイラーのように集約され、囲われた1800世帯の家族は、
成長を約束された経済社会のなかで、明日を夢見て、
それぞれが楽しく生活していた…はずだ。

…25年も前の話である。

現在の1800世帯の家族は、この箱庭の中で、
何を思い、何を掴んだのだろう。









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雨の金閣寺

2006-01-17 | Photo-diary
そのとき金閣が現れたのである。

雨の京都で訪れた金閣寺は
予想以上の存在感で、
霞む視界に金色の輝きを湛えていた。

25年ぶりに見る金閣。

息を呑んだ。


それは私と、私の志す人生との間に立ちはだかり、
はじめは微細画のように小さかったものが、みるみる大きくなり、
私をかこむ世界の隅々までも埋め、
この世界の寸法をきっちり満たすものになった。

巨大な音楽のように世界を充たし、
その音楽だけでもって、
世界の意味を充足するものになった。

時にはあれほど私を疎外し、
私の外に屹立しているように思われた金閣が、
今完全に私を包み、その構造の内部に私の位置を許していた。


…そのままだ。

溝口の心をわしづかみにし、
その美しさゆえに現実とのはざまに常に介在した
あの金閣が、そのままの姿で、そこに、在った。

…これは現実なのか。

世界を変えるのは、行為ではなく認識だと
溝口は炎燦めく金閣を眺めながら、想った。

…その存在を眼前にしながら、私もまた、
私自身を内包する世界の再認識を迫られている…と想った。
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ギルドギャラリーでの展覧会

2006-01-17 | works
1月14日より大阪のギルドギャラリーにて
大森克己ワークショップの集大成、
「はじまりの一枚」展覧会がはじまった。(28日まで)

大阪の御堂筋を少し入った「船場丼池ストリート」にある
ギルドギャラリーは、2階に渋いJAZZのレコード店を持つ
マーメイドビルの4階にある。

1階のそば屋をそのまま中に入り、
奥の階段を上がりきったところで広がる白い空間。

受講生13人の作品が横一列、並列に展示されていた。

やはり、こうやって人様の前に露出されることで
見えてくる部分は大きい。
展示の領域に入った作品は、キビシイ状況に置かれながらも
潔く自身を提示していた。

展示することの意味を改めて感じた。




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BROOCH

2006-01-13 | BOOKS&MOVIES
昨日、本屋でステキな絵本に出会った。

内田也哉子さんの詩と、渡邉良重さんの絵が
半透過の紙に綴られたリトルモアの本。

「BROOCH」

その中の一節。

(前略)

それから
青い空を
青く憶った

外の世界を見ることは

内なる自分に 耳を澄ますことに似てるはず

なのに 気づくと

見失ってしまうこともしばしば

現在地さえも
わからなくなる

たった今 踏み出した一歩

ここまで連なる幾千の足あと

後ずさりしても
スキップしても
たとえそこに立ち止まったとしても

途切れることのない あゆみに

放心する

(後略)



…途切れることのない あゆみ。

どきりとした。

すべてはつながっている。

日々の営みが、その先につながっている。

しかと、生きていこう。

…そう、思った。
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「まっさ~じ~、まっさ~じ~」

2006-01-10 | Philippine
ホワイトビーチで驚いたのが
この写真にあるような女性のマッサージ師が
ビーチでマッサージをしていること。

「まっさ~じ~、まっさ~じ~」
語尾の上がった独特の言い回しで
誰彼かまわず、声をかけている。

100ペソという安価な値段で
全身にオイルを塗って、意外と隅々まで
「まっさ~じ~」してくれるようだ。

夕方、大柄な白人が砂浜に寝そべって
上から下まで揉みくちゃにされていた。

シルエットが巨大な白いアザラシを連想させる。

飼育係のおばちゃんが、アザラシの背中を揉んでいる感じ。
意に介せず、イビキすらかいているアザラシ。
言われるままにお腹を出して、ブヘ~と気持ちよくなっている。
デッキブラシを用意すべきだったか。

…んん。


これで100ペソなら、悪くないか。
シシカバブを取るか、「まっさ~じ~」を取るか、
「まっさ~じ~」は次回試してみたい。


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煙が目に染みる

2006-01-10 | Philippine
夕方も5時頃。
ホワイトビーチ沿いのレストランが
一斉にシシカバブ(串焼き)を始めた。
木炭を使った本格的なBBQだ。

肉のあぶらで白い煙がモウモウと立ちこめる。
斜光が煙に遮られ、あたりがホワイトアウト。

ビーチ全体、真っ白になってしまった。



シシカバブの値段はだいたい100ペソ以下。
日本円で200円ほどで、あぶらジュウジュウ、
焦げ味最高の肉にありつける。


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日没から海に入る

2006-01-08 | Philippine
日本全体が寒波に襲われ、
雪の事故が各地でおこって大変だった時、

ボク達はミンドロ島のホワイトビーチで、
海水浴を楽しんでいた。

…地球は広い。

沖縄から2時間でマニラに到着。
そこからさらに南下しているとはいえ、
この気候の違いには、驚かされる。

ダイビングスポットとして
はるばるヨーロッパから大勢の白人が
バカンスに来る場所だけあって、
海の透明度はバツグン…と思って潜ってみたら
海岸付近は、意外に濁っていた。

たなびく雲の燃えるような夕焼けを
ビーチにしゃがみこみ、ぼーっと眺める。

現地の子供たちが、海水浴を楽しんでいる。

フィリピン人も沖縄と同じく、日没から海に入る。

海岸線からの面光に浮かぶシルエット。
さざ波のフォルムもすべからく細部まで描写されている。

暮れる青紫の空が海に反射して、絶妙なハーモニーだ。
シンフォニックな情景が眼前に広がった。

…壮大な眺めだ。

露出も構わず、シャッターを切った。

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サバニ乗り合い船

2006-01-08 | Philippine
バタンガスからホワイトビーチまでの2時間、
バンカーボートと呼ばれる両舷に支えのついた舟で航海する。

幌はついているものの、両脇から波しぶきが
ビシャー、ビシャーと入ってくるから、たまらない。

波のうねりを直に受けるから、
乗り心地も最高に悪い。

おまけに2時間の長旅…。

まわりは異国の人ばかり。
この時は韓国人のツアー客が
ドドドドっと乗り込んできたので
飛び交う言葉はハングル語。

モーターの爆音と波しぶきで聴覚が完全に奪われて、
うねりで平衡感覚も危うい状態だから、
いつ吐いてもおかしくないな…と思っていたら、
突然、前方の中国人がゲエイゲエイやり始めた。

…おお。

視界をよそへ移して
平静を装う。

すると、右側に座っていたイスラム系の男の子も
…ゲエイゲエエイ。…なんと鮮やかなピンクの吐瀉物。
…何を食べたら、そんな色になるんだ…。

…うっ、おおっ。

これは効いた。胸倉を回遊する吐き気に襲われる。
…上空を仰ぐ。目をつぶってはいけない。一挙にうねりと同化してしまう。


…と、左を見ると、妻が顔面蒼白になっている。
言わんこっちゃない。…すぐさまビニール袋を口元に。
…ゲエイゲエエイ。背中をさすりながら、楽になることを願う。


…。

その後、うねりは収まり、
なんとか航海は乗り切った。

港に上がって感じるコンクリートの堅さが、うれしかった。

…なんだかんだ言っても、これも旅の醍醐味。
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Puerto GalelaのWhite Beach

2006-01-07 | Philippine
マニラから乗り合いバスに揺られて2時間、
Batangasというルソン島南端の港から
さらに乗り合い船(?)に文字通り揺られて2時間。

ミンドロ島のプエルトガレラという
ダイビングでは超がつくほど有名なエリアの
ホワイトビーチに辿り着いた。

北も南も西も東も
まったくアタマに指針のない状況で
とにかく言われるがまま、バスに乗り込み
ひたすら走り続け、着いたら着いたで
あらゆる種類の勧誘も無視して通り抜け、
バタンガスという物騒な名前の港で
これまた不安定なデカいサバニに乗り込み、
波の揺れをモロに受け、アタマの中がゆしどうふ状態。

意識朦朧の状態で降り立ったビーチがここ、ホワイトビーチ。

白浜に隣接するさまざまな種類のホテルから
自分のふところと好みに属したホテルを選び出し、
落ち着いたのが、午後の3時。朝の8時からの長旅だった。

…フィリピン版サバニの揺れで
軟化した脳みそをゆるやかに硬化しながら
ホワイトビーチを散策してみると
…これが、意外といいところ。

海の透明度も申し分なく、ビーチの賑わいも
ほどよい感じ。何より、ゆっくりとした雰囲気が、
あのマニラの喧噪とは対照的だ。

もちろん、相変わらずの勧誘の応酬だけれども
子供たちの目に悲壮感はなく、
どこまでも豊かな島の効能に自らを預けている。

フィリピンのイメージが
すっかり変わってしまった。





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Malingayang Pasko at Manigong Bagong Taon

2006-01-05 | Philippine
クリスマスから新年にかけて、
フィリピンのマニラで過ごした。

タイトルは現地のタガログ語で
「メリークリスマス&ハッピーニューイヤー」の意。

写真は1日(元旦)の夕方。
マニラベイと呼ばれる海岸沿いでのひとときだ。

これからNew Year Festが開かれる。
フィリピンは夜になってから、盛り上がる。

年末年始のマニラとプエルトガレラの写真を
これからupしていこうと思う。

新年はフィリピンで始まった。

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