#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【oct_27】EACH_LITTLE_THING

2012-10-28 | PHOTO
昨日は写真家熊谷聖司さんの個展を観に
monogram@学芸大学へ。

ボクの大好きな写真集「EACH_LITTLE_THING」の
内実が伺えるということもあって、
デザイナー高橋健介さんとのトークショー終了まで5時間、
しつこく写真家のそばで写真家の言葉を心に刻んできた。


   2011.3.11以降
   写真を撮る事とはどのような意味があるのか?
   それを発表することについても考えてきました。
   その結果、この作品達が生まれました。
   同名のタイトルで10シリーズの写真集を制作予定しています。

   「わたしの欲望とは何か」そのことを常に感じていたい。


これが写真展「EACH_LITTLE_THING」に向けた写真家の言葉だ。

熊谷さんは言う。
ニッポン人の感性や思考がどんどん閉じられた方向に向かっていると。

「一番洗脳されやすい国民だよね」

街を闊歩する人、電車に乗る人、カフェで珈琲を飲む人、
眼にする人々すべてが、耳にイヤホンを付け、ケータイの画面を指でスクロールしている。

眼を閉じ、耳を閉じ、口を閉ざす。
(見ザル、聴かザル、言わザル)

どんどん外界との関係を絶って、
ヴァーチャルな己の欲望の中で溺れている。

 「わたしの欲望とは何か」

震災以後、ニッポン人はマスコミから発せられる情報が「真実」ではないことを思い知らされた。
TVや新聞の報道が、操作された既得権者にとって都合の良い内容であることに気付かされた。

そこからネットによる情報獲得が急速に浸透し、SNSのコミュニティに埋没する傾向が加速した。
海流の「大局」を捉えるよりも、さざ波の「細部」に一喜一憂し、日々流されることを好んだ。

しかしマスコミにせよ、SNSにせよ、操作された情報であることに違いはなく、
一元化された情報ソースに「付和雷同」するニッポン人社会は、どんどん閉塞感へと向かう。
「一番洗脳されやすい国民」とは、多様な思考に不寛容な国民であるということ。

島国であり、単一民族であると言われ、ただでさえ思考の一元化は免れないのに、
震災以後は、「見ザル、聴かザル、言わザル」の同調圧力によって、より「閉ざされて」しまった。

写真家熊谷聖司が提示している「EACH_LITTLE_THING」は、
写真家熊谷聖司そのままの「オープンマインド」な姿勢だ。

震災前も震災以後も、熊谷さんの「世界と対峙する距離感」は変わっていないように、ボクは思う。

     変わったのは「世界」のほうだ。

そのことに熊谷さんは震災以後、意識的になった。無自覚から自覚へと変わった。

     変わったのはそこだけ。

だから、いつ触れても熊谷さんの写真からは「世界の真意」が垣間見える。

 「世界はこんなにも多様で、おもしろいものが溢れている」

もっと五感を奮わせ、世界が放つさまざまな「ナマ情報」をキャッチせよ!

EACH_LITTLE_THING…。

それぞれが、同じ小さな事柄。
しかし、それはただ「LITTLE」なだけでなく、「THING」…モノとしてそこにごろんと横たわっているのだ。

5時間の密着で、ボクはその感性に思考に、肉薄できたような気がする。

   ●

最後に「欲望」について、中上健次的な言葉を引用したい。

  欲望は己の内部に自発したはずなのだが、
  しかしそれは関係の中で外部の何かに投影され、
  その何かにそそのかされ誘惑されるというカタチでしか作動しない。
  
欲望には常に対象が伴う。欲望は常に受動態なのだ。

「わたしの欲望とは何か」を問うことはつまり、「わたしにとって世界とは何か」を問うことなのだ。












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【野狐禅】ぐるぐる

2012-10-21 | MUSIC
野狐禅/ぐるぐる 
         作詞・作曲:竹原ピストル



その四角い囲みからは
今にも「希望」が溢れんばかり

ああ 卒業アルバムの中の 自分の個人写真から
思わず目を逸らしてしまいます

あまりの切なさに「遺影!遺影!」などと奇声を発しつつ
スキップを踏めば 焼酎の空き瓶ふんづけて
仰向けにドサリッと ぶっ倒れました


くるぶしを蚊を射されたときのような
やるせなさを 

ニコチンタールでコーティングされた
胸一杯に吸い込めば

ああ ボクとこの街との絆みたいな
生温かい夜風が カーテンを トントン叩きます


  涙があふれて 涙がこぼれ落ちそうになって
  ガムテープで 顔面を ぐるぐるにする
  涙は感情の 涙は感情の「墓場」だぜ
  ガムテープで 顔面を ぐるぐるにする

  
桜のアーチをくぐり抜けてから
一体どんくらいの 年月が流れたんだろ

ああ うまいこと 思い出せねぇな いや
思い出したところで ナンのメリットもありません

パンパンに 膨らんだ 東京23区推奨ごみ収集袋を
窓際に積み上げれば

ほら見たことか 未来まで 半透明に呆やけてしまいました

  
夜明けがキライ 夕暮れがキライと
ダダをこね

アホ丸出しのハムスターみたいに
空っぽの24時間を カラカラと回転させれば

その遠心力に堪えきれず
真夜中の 体育座りが 千切れ飛び
ああ 夜空は それを無表情に 吸い込んでゆくのです


  言葉(うた)があふれて 言葉(うた)がこぼれ落ちそうになって
  ガムテープで 顔面を ぐるぐるにする
  言葉(うた)は感情の 言葉(うた)は感情の「墓場」だぜ
  ガムテープで 顔面を ぐるぐるにする


  涙があふれたら 涙がこぼれ落ちそうになったら
  ガムテープで 顔面を ぐるぐるにしろ
  涙は感情の 涙は感情の「墓場」だぜ
  ガムテープで 顔面を ぐるぐるにしろ


    ●


オリュウノオバはそうやって二人の若い男らは、自分らが路地と路地のそれぞれに生まれた
同じ人間である事、路地のある紀州と環境のまるで違うそこに同じような路地(コタン)があり、
同じ宿命を持って生まれた事を確かめたのだと思ったが、いっそそれなら、ひ弱な女郎を相手にせず、
腕の血をすすり合うとか、血判を押して、望希楼にとぐろを巻く荒くれらをそそのかして暴動を起し、
道庁を乗っとり、新聞社を爆破し国をつくればよいと思ったが、二人は互いに体のどこかでひもが切れたように、
女郎が血を流し失心するまでいたぶりつづけた。二人は互いの手柄を確かめるようににんまり笑った。
二人が服を着替え階段を降りかかると女郎が眼ざめ、二人が宙に浮いて滑るように歩くのを見て声を呑んだ。
                            (カンナカムイの翼・中上健次著「千年の愉楽」より)

    ●

野狐禅と中上健次。
血脈や宿命といった自分ではどうしようもならない部分に
それでも抗い、傷つき、果てることを美しいとする感性。
ニッポン人に今、大きく欠けているのは、この感性だと、断言する。

誰もが人生から、宿命から、自由だ、自由だと、奇声を上げ、
ドタバタと周りを傷つけ、それでも我田引水に我欲を剥き出しにし、
好き放題に領地権争いの目くじらを立て、短い人生を我がモノ顔にすることが真っ当だと勘違いしている。

己の人生は、代々連綿と続く「人間」という生命体の一翼を担っているだけであり、
「人間」として何を引き継いでゆくのか…という一点に、曇り無い眼で応えてゆくことが本望だとする
彼らのメッセージをしかと受け止めて生きている人は、少ない。




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【田村隆一】帰途

2012-10-16 | Mement_Mori


  
     言葉なんかおぼえるんじゃなかった
     言葉のない世界
     意味が意味にならない世界に生きてたら
     どんなによかったか


     あなたが美しい言葉に復讐されても
     そいつは ぼくとは無関係だ
     きみが静かな意味に血を流したところで
     そいつも無関係だ


     あなたのやさしい眼のなかにある涙
     きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦     
     ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
     ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう


     あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
     きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
     ふるえるような夕焼けのひびきがあるか


     言葉なんかおぼえるんじゃなかった
     日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
     ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
     ぼくはきみの血のなかにたったひとりで掃ってくる

     ●

言葉なんか覚えたおかげで、
目の前の事象がかすんでしまう。

言葉に変換することばかりに意識が行っちゃって
言葉にならないもっと大事な何かを見過ごしてしまう。

最近、頓にそう思う。

     「言葉なんか、覚えるんじゃなかった。」

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【aug_30】山崎阿弥

2012-10-08 | ACT!
声のアーティスト、山崎阿弥さん。

「名づけることのできない仕事#2」にて。

不思議な人だ。

「あと/さき」と題された声のパフォーマンス。

 何もない場所に投入された何かが次第に違和感を失って
 空間や時間ににじんでいき、何もないと思っていた空間や時間に
 何かが姿を現すことがあります。

この言葉どおり、声がふぉわぅっと投入された空間で、
声そのものが浮遊し、それが幾層もの声の層となって、満たされていく。

丑三つ時の西表島で、獣たちが蠢いているような、
見えないモノが顕れてくるような…そんな予兆を伴った空間。

声ひとつで、ここまで世界を変容できる山崎さんって。


近々来週、新たなパフォーマンスが開かれる。

路地と人

GwaGwa × Ami Yamasaki 「アメツチ」
2012年10月13日(土)~10月21日(日)
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【aug_30】安野太郎

2012-10-08 | ACT!
東中野RAFTの企画「名づけることのできない仕事#2」に出演の安野太郎さん。

リコーダーロボットのデモンストレーション。
楽器を演奏するロボットは数あれど、
その殆どすべては人間のようにいかに奏でるか…を念頭に置いている。

安野さんの発想は、そこが違う。

ロボットが演奏する楽器なのであるから、
ロボットなりの世界観があるはずだ!

では、ロボットになりきって
リコーダーを演奏してみましょう!

…結果は…!?

見事にロボット観に裏付けられた音楽。
超絶すぎて、言葉にならなかった。
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【aug_29】老け役の雄大

2012-10-08 | ACT!
千歳烏山のAPOCシアターにて。

集団リレーションシップ 第3回公演
ロボット
に出演の我が朋輩、雄大





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【地営業】沖倉喜彦

2012-10-08 | Mement_Mori
沖倉製材所の代表、沖倉喜彦さん。

70年前、刈りまくった。
50年前、植えまくった。
30年前、放ったらかした。
10年前から刈りまくり始めた。

「財」になれない「材」、Small_Woodがどっさり余ってる。

…ということで、国のいい加減な林業計画に振り回されて
 ニッポンの木材はいまとんでもない状況に置かれている。

戦中、戦後の需要に応えるカタチで
はげ山になるほど刈られた多摩の森。

50年前には「拡大造林」政策で沢山の杉・桧が植えられたのだが、

育った杉材・桧材は、高度経済成長によって
海外の木材が多用されることになり、そのまま放って置かれた。

結果、国内の林業に携わる人たちが激減、人工林も荒れ放題で、
大量の杉花粉が偏西風に乗って、都会の人たちを苦しめる結果となった。

どこまでも愚策なニッポンの政治。
これも国民に目を向けず、産業界ばかりに気を取られている…
もっといえば、アメリカの機嫌ばかり伺っているから、
国産の豊富な木材をまったく自給せず、海外産の木材を安く仕入れる…などという事態になった。

結果、今頃になって間伐材をどんどん刈っているのだけれど、
使い道のない無用な木材として山で朽ち果てるのを待っている…情けない状態。

沖倉さんは、なんとかニッポンの森を再生させたい…との思いから、
この間伐材をうまく利用する商品「SMALL_WOOD_TOKYO」を++と共同開発した。

「敷くだけフローリング」や「モテモテキューブ」など、
DIYの要素をうまく取り入れて間伐材利用をアピール。
とても安価で、ニッポンの木材を日常に持ち込むことができる。


木の温もりがある生活。

150年前は当たり前だったニッポンの文化が、
安直な欧米追随とアメリカ服従で、ここまで破綻するとは。

さらに原発ゼロの好機も、
アメリカ服従で色あせようとしている…。










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