0326。
快晴。
しかし、花冷え。
写真のコトを
悶々と考えている。
…被写体への「介入」が足りない。
「踏み込み」が足りない…との指摘。
さっそく「天才アラーキーの写真ノ方法」を読み解く。
●
写真っつうのは、事件がないほうがドラマチックだし、重要なものが入ってるワケよ。
「火事だ!」っていうより、火事なんかじゃないときの「心の火事よ」(笑)とかさ。
そういうことのほうが写真は表現しやすいんだよ。事件が起こっちゃうと、結局
内面まで到達できないのよ。事件っつうのは表層がすごいからね。
デジタルはね、湿りがないんだ。写真は湿式でなくちゃね。
デジタルはね、なんかパサパサしているような感じがするの。
そして、デジタルはすぐ消してまた撮れる。女々しいなあ、これは。
生きること、生、それと死。生と死に対する愛、それが写真なんですよ。
ファインダーを覗いて、シャッター音が連続するでしょ、そうすっと
その音でなんとなく無に近づく感じがするの。シャッターを切り続けているとね、
その音が止まるのよ。それは死に近づいた瞬間だと思うんだけど、
その死と生の間を行ったりきたりするのが、写真でしょ。
●
「介入」するとは、被写体に食い入ること。
その食い入るしつこさが写真に定着して、ドロッとした湿気を帯びる。
アラーキーの「小説ソウル」は、
1992年、共になくなった在日韓国人の作家、
中上健次と李良枝へのオマージュ写真集。
その湿り気は、中上健次の文章そのままだ。
姫の寝息を聴き寝返りを打ってかたわらに身をよこたえた自分の体に姫の手や足が当たる時がある。
男はその姫の手のぬくもり足の重みを感じ息をひそめることが無上の喜びだった。
女二人を斬り殺したのは姫の寝顔を見姫の息の音を自分だけ耳にしそしていつでも姫を
里の女らのように犯そうと思えば出来るこの今が欲しかったからだと独りごちた。
時々山中の夜を寒いと言った。姫の肌に男は肌を寄せ姫がそのまま寝入るならその姿のまま
動かず擦り寄せた男の肌がくさい股間がもぞもぞ動き意志に逆らって勃起する性器が気色悪いと言うなら離れた。
「化粧 ~紅の滝~ 中上健次」
この息もつかせぬ舌を這わせるような執拗な文体。
このねちっこさが「介入」だと思った。
何かを記憶したいと思って写真を撮る人がいるかも知れないけど、
あたしの場合は撮った瞬間に記憶がなくなるのよ。あたしに記憶がなくなってもいいの、
記憶は写真機がするんだから。でもね、写真は、記憶を失いたいと思って撮ってるかもしれないのよ、
ほんとに。写真を撮ることで新しい記憶が出てくるんですよ。
考えてみるとね、写真というコトの中にはウソとマコト、虚実が混ざって入っているんだね。
それで、あたしはともかくシャッターを無心に押しているだけなんだよな。
私に主体性はないのよ。主体性は被写体にあるってこと。
物語は写される側にあるって言ったけど、それと同じことだな。
「介入」して「無心」に撮る。
全身が眼となって、被写体に食い入る。舌を這わす。
その執拗さが、この淡泊な距離感を変えることになる。
「やさしい」だけが取り柄の写真を、魅力的にする…のか。
●
写真は、アラーキーに「現像液に自分の精子を混ぜているって本当ですか?」
…と質問をぶつけた写真家。大森克己ワークショップの同期だ。
彼の写真は、フレームに収まらない生命力に溢れている。
快晴。
しかし、花冷え。
写真のコトを
悶々と考えている。
…被写体への「介入」が足りない。
「踏み込み」が足りない…との指摘。
さっそく「天才アラーキーの写真ノ方法」を読み解く。
●
写真っつうのは、事件がないほうがドラマチックだし、重要なものが入ってるワケよ。
「火事だ!」っていうより、火事なんかじゃないときの「心の火事よ」(笑)とかさ。
そういうことのほうが写真は表現しやすいんだよ。事件が起こっちゃうと、結局
内面まで到達できないのよ。事件っつうのは表層がすごいからね。
デジタルはね、湿りがないんだ。写真は湿式でなくちゃね。
デジタルはね、なんかパサパサしているような感じがするの。
そして、デジタルはすぐ消してまた撮れる。女々しいなあ、これは。
生きること、生、それと死。生と死に対する愛、それが写真なんですよ。
ファインダーを覗いて、シャッター音が連続するでしょ、そうすっと
その音でなんとなく無に近づく感じがするの。シャッターを切り続けているとね、
その音が止まるのよ。それは死に近づいた瞬間だと思うんだけど、
その死と生の間を行ったりきたりするのが、写真でしょ。
●
「介入」するとは、被写体に食い入ること。
その食い入るしつこさが写真に定着して、ドロッとした湿気を帯びる。
アラーキーの「小説ソウル」は、
1992年、共になくなった在日韓国人の作家、
中上健次と李良枝へのオマージュ写真集。
その湿り気は、中上健次の文章そのままだ。
姫の寝息を聴き寝返りを打ってかたわらに身をよこたえた自分の体に姫の手や足が当たる時がある。
男はその姫の手のぬくもり足の重みを感じ息をひそめることが無上の喜びだった。
女二人を斬り殺したのは姫の寝顔を見姫の息の音を自分だけ耳にしそしていつでも姫を
里の女らのように犯そうと思えば出来るこの今が欲しかったからだと独りごちた。
時々山中の夜を寒いと言った。姫の肌に男は肌を寄せ姫がそのまま寝入るならその姿のまま
動かず擦り寄せた男の肌がくさい股間がもぞもぞ動き意志に逆らって勃起する性器が気色悪いと言うなら離れた。
「化粧 ~紅の滝~ 中上健次」
この息もつかせぬ舌を這わせるような執拗な文体。
このねちっこさが「介入」だと思った。
何かを記憶したいと思って写真を撮る人がいるかも知れないけど、
あたしの場合は撮った瞬間に記憶がなくなるのよ。あたしに記憶がなくなってもいいの、
記憶は写真機がするんだから。でもね、写真は、記憶を失いたいと思って撮ってるかもしれないのよ、
ほんとに。写真を撮ることで新しい記憶が出てくるんですよ。
考えてみるとね、写真というコトの中にはウソとマコト、虚実が混ざって入っているんだね。
それで、あたしはともかくシャッターを無心に押しているだけなんだよな。
私に主体性はないのよ。主体性は被写体にあるってこと。
物語は写される側にあるって言ったけど、それと同じことだな。
「介入」して「無心」に撮る。
全身が眼となって、被写体に食い入る。舌を這わす。
その執拗さが、この淡泊な距離感を変えることになる。
「やさしい」だけが取り柄の写真を、魅力的にする…のか。
●
写真は、アラーキーに「現像液に自分の精子を混ぜているって本当ですか?」
…と質問をぶつけた写真家。大森克己ワークショップの同期だ。
彼の写真は、フレームに収まらない生命力に溢れている。