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#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

This Happy Madness

2007-06-30 | MUSIC
What should I call this happy madness
That I'm feeling inside of me
Some kind of wild October gladness
That I never thought I'd see

この幸せな狂気をなんと呼ぼう
内側から湧き出てくるこの気持ちを
僕が感じることのないだろうと思っていた
十月の歓喜のような激しい気持ち

What has become of all my sadness
All of my endless lonely sighs
Where are my sorrow now

あれだけの悲しみは一体どこへ行ったのだろう
果てしなき孤独なため息のすべては
僕の悲しみは今どこにあるのだろう

What happend to the frown
And is that self-contented clown
Standing there griniing in the mirror really me
I'd like to run through Central Park
Carve your initials in the bark
Of every tree I pass for everyone to see

あのしかめっ面はどうなったのだろう
今では自己満足した道化師のように
鏡に向かってにっこり笑って立っているのは本当に僕かい?
セントラルパークを駆け抜けたい気分さ
通り過ぎる木々の幹一つ一つに
みんなに見えるように君のイニシャルを彫りたい

I feel that I'm going back to childhood
And I'm skipping through the wild wood
So excited that I don't know what to do
What would I care if I'm a Juvenile
I smile my secret little smile
Because I know the change in me is you

子供時代に戻ったような気分さ
荒れ林をスキップしながら駆け抜けている
嬉しすぎてどうしたらいいのか分からないくらい
子供じみていても構わない
秘密の小さな笑みを浮かべるのさ
僕を変えてくれたのは君だから

What should I call this happy madness
All this Unexpected joy
The turned the world into a baby's bouncing toy
The Gods are laughing avove
One of them gave a little show
And I fell gladly,madly into love

この幸せな狂気をなんと呼ぼう
この予期せぬ喜びの気持ちを
世界を赤ちゃんの跳ねるおもちゃのように変えてしまった
神様たちが天の上から笑っている
そのうち一人がちょっとだけ姿を見せてくれた
そして僕は朗らかに、喜びながら、狂おしく恋に落ちたのさ

           Writtin by Antonio Carlos Jobim - Gene Lees- Vinicius DeMoraes

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Estrada Branca

2007-06-30 | MUSIC
白い道
白い月
夜も更けて
君の不在がひたひたと寄せてくる
ひたひたと歩く
僕の隣を
面影が 想いが
人生を打つ
死んでしまった人生を

鳥たちの道
月夜
この道は こんなにも独り
独り 僕は進む
悲しく月を見上げ
前へ進んでいるのに
歩いても歩いても君に近くなる

夜が昼であったなら
陽が輝き 詩が流れたなら
旅立ちが哀しみでなく喜びであったなら
この道に落ちる影が 僕一人のものではなかったなら
この道に
僕を追う もう一つの影を見られたなら

町はもう ずいぶんと遠くなった
遠く あの町に 愛する君を置いてきた
優しさの欠片もなく この道を僕は独り
歩いていく
死にたい気持ちを抱かえたままで

        Writtin by Antonio Carlos Jobim
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fotologue更新!

2007-06-26 | PHOTO
ほぼ1年ぶりにfotologueを更新する。

「写真新世紀」に提出した写真群だ。

「R.S.V.P.」がそのタイトル。
フランス語で「R?pondez s'il vous pla?t」
お返事ください…の意。

目の前の対象を記録するためにシャッターを切るのが写真だ、
とアタマでは理解しながらも、撮りためた写真を眺めていると、
どうもこいつは自分のことしか興味がないらしい…と気づく。

対象を見つめているようで、対象からのリフレクトとしての自分を求めている。

どこまでもナルシストな自分が、そこに居る。
ならばいっそのこと、その状況をタイトルにしてしまえ…と考えたのが、RSVPだ。

38枚の写真群は、いろんな土地で記録されながら、
すべて自分自身に収斂されていく。

初めて訪れる場所で、その場を記録しながら、
結局は自分の居場所を再確認すべく、対象に問いかけている。

だから、そこに対象の気持ちは写し込まれていない。
なんともひとりよがりな写真群であるか。

この開き直りはどうしたものか。

もう少し純化を心がけるべき…だと、改めて思った。






fotologue「bozzo★bozzo★bozzo」
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セカンドオピニオン

2007-06-26 | Photo-diary
膝の宣告を食らってから一週間。

その間にライブのステージもこなし、
プールでのリハビリも行い、
仕事中もふつうに振る舞い、
行き帰りも徒歩で通勤し…と、
なにひとつ不自由がないことに気づく。

これって、もしかして治ったりしてない?

軟骨が自然治癒するはずもなく、
ただ単に傷に慣れてきただけなのだが、
そのような淡い期待を抱いてしまった。

しかし、少なからずも
手術の宣告を受けた先週より
明らかに症状が軽くなってはいないか?

これは、もしかしたら
手術でカラダを傷つけなくとも
何かしらの措置がありそうじゃないか!

…そんな気持ちがもたげてしまったら、もう止まらない。

早速セカンドオピニオンを受けに
那覇市内のスポーツ外科へ。

問診でいきなりすべての事情を吐き出し、
MRIで先生の意見を伺いたいと申し出る。

運良くMRIの検査室が空いており、
すぐさま検査を実施。

40分間の高磁場にさらされ、
手足の痺れを再び体感する。
一週間で二度のMRIが人体に及ぼす影響を
ふと心配するが、未知の領域。

結果は、手術を要するほどの状態ではないが、
いずれまた何かの弾みで急な痛みに襲われる可能性はある…とのこと。
削れた半月板を掃除することで、不安が払拭できるのだから
この機会に思い切って済ませてしまうほうが得策…と。

思い起こせば、
右膝は常に何か問題があった。

テニスのあとや、ジョギングのあとなど
疲労している状態の時、突然、
関節が外れるような動きとともに
激痛が走っていたのだ。

もともと軟骨に何か欠陥があったようだ。

その問題が払拭できるなら、
これはイイ機会だ…と素直に受け止める。

セカンドオピニオンを経て、
ようやく手術を受け入れることが出来た。

…さて。いよいよ来週。





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“低気圧オヤジ”な夏

2007-06-20 | Photo-diary
本日朝から浦添市にある総合病院にて
入院に関する手続きを行ってきた。

0703入院。
0704手術。

手術前の検査として
胸部のレントゲン、採血・検尿、心電図をとる。

病院の雰囲気は、何度味わっても
あまり気持ちいいものではない。
微かな採光。滞る空気。チラつく蛍光灯。
過度の演出が禁物なのはよくわかるが、
禁欲主義的な削ぎ落とされた環境も、いかがなものか。

せめて淀みなくクリアにフラットに、もてなすことはできないのだろうか。

人生2度目の入院となった。
一度は正月直後の虫垂炎手術で一週間ほど。
小学校4年生のころだ。

それ以来だから、28年ぶり?

6人の大部屋で
どこまで凹んだ時間を過ごすのだろう。

たった3時間の滞在で、これだけの落ち込みよう…だ。
術後のリハビリも1ヵ月ほどある。
“高気圧ガール”とは裏腹な“低気圧オヤジ”な夏になりそうだ。


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今年は、手術か?

2007-06-16 | New York
「放って置いても、復活したりしないんですか?」

半月板の断絶。

たかがジョギングで?
2キロ走っただけだぜ?

「軟骨なので、縫い合わすか、削り落とすしかないんです。」

「つまり…?」

「手術をオススメします。」

「最短2泊3日で大丈夫です。間接鏡を使って…内視鏡ご存じですか?
 膝の脇から穴をあけて、関節の間にある半月板の状況を確認しながら、作業します。」

「はあ…」

突然の宣告に、こちらのアタマはついて行けてない。
「手術」という単語が、うまく飲み込めないでいる。

「まあ、今すぐに決定されることはないですよ。
 仕事のご都合も、家庭のご都合もございますでしょうから。」

「手術をしないで、治す方法はないんですか?」

「リハビリだけで治す方法はありますが、半月板が元に戻ることはありません。」

悪夢だ。
削り落としてしまったら、膝はどうなるんだろうか?
ジョギングどころの話じゃなくなるのでは?

「とりあえず、持ち帰らせてください。」

速まる動悸に、息が詰まりそうになる。

 

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今年は、どうするべき?

2007-06-16 | New York
待合室で待つこと、およそ10分。

「ほほ、そんなに早く結果が出るの?」

半信半疑で診察室に入ると、輪切りに展開された自分の右膝が。
コンピュータ処理で自在に右膝の内側に侵入。
出たり入ったりを繰り返しながら、
レントゲンでは見ることのできなかった
軟骨の状態、筋肉の状態、半月板の状態を確認する。

大腿骨がガッチリと脛骨にぶつかり、
その周りを靱帯が支えている。
我ながら、見事な膝の構造体だ。

そこで医者は、半月板の状態を説明しだした。

上からみた断面図と、横からみた断面図を交互させながら、
半月板のカタチを調べてみると…。

どうやら半月板そのものが断絶している…らしい。

このまま放っておいても悪化するばかりで
良くなる保証はないらしい。


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今年は、さらに寝耳に水

2007-06-16 | New York
去年の腰痛は、環境の変化もあって、
順調に恢復を続け、今はその後遺症もなく、
硬直しコチコチになった背中がウソのようだが、

今年もそれに勝るような出来事が起こってしまった(T_T)。

核磁気共鳴画像法(Magnetic Resonance Imaging, MRI)
なる生体内撮影を金曜日におこなった。

なんのことはない、2週間前にジョギングで痛めた膝が
なかなか完治しないので、大事をとってスポーツ外科に行ってみたのだ。

レントゲン検査では、膝の複雑な構造をチェックすることが出来なかったので、
日を改めてMRI検査に臨んだわけだ。

高磁場を起こす大きな円盤の下に40分間。

カラダを動かさないように固定しながら、磁力に晒される。
体内のあらゆる細胞が反応しているんじゃないだろうか…
と思わせる強い磁力が、右膝を中心に行ったり来たり。

つま先からアタマの中まで電気風呂に入ったような痺れに襲われる。
意識も朦朧として、指の感覚がなくなり、五指すべてがもぎ取られたような錯覚に。

それでもなんとか高磁場の試練に耐え、痺れたアタマで待合室に。





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去年の、今頃は救急車

2007-06-16 | memories
ぼくの6月はどうやら「健康運」が下がる月らしい。

去年の6月も、突然の激痛で動けなくなって救急車のお世話になった。
しばらくは腰を折り曲げることもできず、何をするにも気後れ気味でクサクサしていた。

それでもがんばって
風呂屋通いを続け、柔軟体操でカラダをほぐし、
徐々に徐々に日常生活ができるカラダへと戻していった。

その時間およそ、3ヵ月。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とは、よく言ったものだ。


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【やんばる珍道中】やんばるくいな荘

2007-06-16 | Photo-diary
今回お世話になった宿は、国頭の「やんばるくいな荘」。
奥間ビーチから車で5分ほどのところにある。

おもてなしが素敵で、
夕飯もボリュームたっぷり。
グルクンの唐揚げから、テビチの煮付け、ご飯も大盛りで、
値段も手頃だから、バックパッカーにはうってつけだろう。

とにかく私たちを愉しませてくれたのは、「蛍ツアー」。

沖縄最古ので、芭蕉布でも有名な「喜如嘉」の山奥へ車を走らせ、
山道になったところで、ヘッドライトを消してみると…。

そこには一面、蛍のイルミネーションが!

青白い光を明滅させながら、ゆっくりと飛翔する蛍たち。
実際に手に取ってみると、光の強さからは想像もつかないほど、小さい。
この小さな体で、あれだけの明滅を繰り返しているのだから、
「短命でも仕方ないかも」と感心しきり。

とにかく満天の星空の下、天地を自然のイルミネーションに挟まれ、
宙を舞っているようなふわふわした感覚に襲われた。

これも考えてみれば「晴れ女」のおかげ。
雨が激しく降った後の晴天だから、水も豊富だし、空気もキレイ。
蛍たちもお尻を発光させて、その悦びをカラダで表現していた…と思う。

ものすごい蛍の数!

とても珍しい光景を堪能できて、今回はホントに幸せだった。



民宿やんばるくいな荘
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【やんばる珍道中】奥間ビーチ その3

2007-06-16 | Photo-diary
奥間ビーチは、正式には「JALプライベートリゾートオクマ」。

この1月に完成したクリスタルチャペルも、夕焼けに照らされて
なんともいえず美しい情景となった。

すべてがクリスタルな透明感で、潔癖な空間が演出された教会。
お互いをさらけ出し、愛を誓うには、最高の舞台だろう。


オクマ・フェリシア教会
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【やんばる珍道中】奥間ビーチ その2

2007-06-16 | Photo-diary
夕焼けの素敵な時間をビーチで過ごす。

ゆるやかな波音に無心になって、
白波に洗われたサンゴの死骸を観察。

良く見ると、ジャイアン?スネ夫?

童心に帰って、夢中になった。
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【やんばる珍道中】奥間ビーチ その1

2007-06-16 | Photo-diary
本部町からひたすら北上して、奥間ビーチに。
梅雨空はどこへ行ったの?と思わせる見事な夕焼け。

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【やんばる珍道中】花人逢

2007-06-12 | Photo-diary
妻の地元の友だちが2名、この週末に来沖。
ひとりの女性は、見事な「晴れ女」で
週間天気の雨マークをこの週末だけ「晴れ」にして帰って行った。

だから、ここ本部の「花人逢」からの眺めもサイコーなものに。

3人の顔も、思わずほころぶ。









ピザ喫茶 花人逢
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友だちが本を出しました

2007-06-12 | BOOKS&MOVIES
突然だが、2005年02月11日の挙式の写真だ。

この衣装を作ってくれたのが、大学の友人「平岩夏野」さん。
この時も、いろいろ無理を言って、ふたりの服を仕立ててくれた。
おかげで、とても印象的な挙式となった。

その彼女が、本を出した。
平岩夏野web
「平岩夏野の自由な着方ができる服たち」

            ●

 絵を描いていると何度も描いてしまう形があります。
 それを布に大きく描いて切り抜き、自分に巻き付けてみる…。
 すると思わぬシルエットになる。
 向きを変えるとまた違う。

 そんな試作をしているうちに
 「いろんな着方ができるというのは理にかなったことでは」と
 感じるようになりました。
 人によって似合う着方が違ったり、
 着る日の気分や場によって違うのもいいはずです。
 「できるだけ着る人にとって自由度がある服を作りたい」
 これは服の仕事にかかわるようになるきっかけでもありました。
 デザイナーが作る「型」に体を押し込むような服に
 抵抗を感じていたからです。
 確かに服は見られるためのものでもありますが、
 同時にもっと個人的なものなのではないか、と。
 風を感じて気持ちいいと思ったり、
 なんだか歩く一歩一歩が楽しく感じられるとか。
 そうして感じたことがおのずと出てくるときの、
 その人らしさこそ大切にしたい…と。

 一着の服が人によって全く違う雰囲気になっているのを見るのは
 ワクワクすることです。
 こんなふうになるんだ、という可能性の幅を
 一緒に広げてもらうようでうれしくなるのです。

 あまり細かいことは気にせず、まずは「好き」と思う布で、
 自分だけの一着を作ってみてください。
 自分ならどうやって着よう、とイメージしつつ。
                  (巻頭メッセージ全文抜粋)

            ●

彼女の服は、この言葉の通り、一枚の布から突拍子もない立体感で、
着る人に驚きと悦びを与えてくれる。
自分自身もクリエイティブに関わることが出来た…と満足させてしまう余白がある。

彼女自身も、非常に余白をもった性格の持ち主で、
決して相手を圧迫せず、語り口もゆったりとしていて、
こちらまで余裕をもった心持ちにさせてくれる、希有な人物。

高校生の夜間校時代からマイペースな印象のある、不思議な感覚の女性ではあったけれど、
紆余曲折を経ながらも、こうやって1冊の本に自分の作品を集約する結果を出すのだから、
その陰の努力や集中力は、半端なものではなかったと思う。


だから、自分のことのように、うれしい。
ぜひとも手にとって欲しい一冊。
そして、ぜひとも身につけて欲しい一枚の布たち。
この機会にぜひ。




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