“In The Zone”_vol.9 米澤 一平×田村香織@喫茶茶会記
昨日の“In The Zone”は「観る/観られる」のボーダーを無化する試み。
演者と観客の「あいだ」を意識させるアプローチはうまく行ったのか?
公演前の往復書簡をそのまま舞台の演出に活かして、
舞台衣裳制作へのプロセスを追体験するような参加型作品となった今回、
アフタートークでVS?collectiveのAKIさんが指摘したように、
コトバと身体の関係を浮き上がらせたモノとしても興味深い展開となった。
その関係をつなぐモチーフとして「脈拍」が重要な役割を担っていたのだけど、
トークの最後に川橋さんがまとめていたように、「脈拍」から見えてきたのは他者との関係性。
てんでバラバラなリズムを刻む個々の「脈」も、場を有することで自然と律動が共振し、
いつしかひとつのバイオリズムを形成することとなる…とは、
その着地点が明快であったら、どれだけ素晴らしい
「観る/観られる」の融合となったことだろう。
“In The Zone”とは、演者の集中力によって導かれる新たなゾーンだっただけに、
演者と観客の「あいだ」から生まれる共振の“気づき”は、
オルタナティブな世界一直線なはず。
ロゴスとピシュスのせめぎ合いにこそ、
「生きる術(アートマン)」が存在することを、
結実させた“In The Zone”。
残り3ステ、次回は11/17目黒陽介さんです。
昨日の“In The Zone”は「観る/観られる」のボーダーを無化する試み。
演者と観客の「あいだ」を意識させるアプローチはうまく行ったのか?
公演前の往復書簡をそのまま舞台の演出に活かして、
舞台衣裳制作へのプロセスを追体験するような参加型作品となった今回、
アフタートークでVS?collectiveのAKIさんが指摘したように、
コトバと身体の関係を浮き上がらせたモノとしても興味深い展開となった。
その関係をつなぐモチーフとして「脈拍」が重要な役割を担っていたのだけど、
トークの最後に川橋さんがまとめていたように、「脈拍」から見えてきたのは他者との関係性。
てんでバラバラなリズムを刻む個々の「脈」も、場を有することで自然と律動が共振し、
いつしかひとつのバイオリズムを形成することとなる…とは、
その着地点が明快であったら、どれだけ素晴らしい
「観る/観られる」の融合となったことだろう。
“In The Zone”とは、演者の集中力によって導かれる新たなゾーンだっただけに、
演者と観客の「あいだ」から生まれる共振の“気づき”は、
オルタナティブな世界一直線なはず。
ロゴスとピシュスのせめぎ合いにこそ、
「生きる術(アートマン)」が存在することを、
結実させた“In The Zone”。
残り3ステ、次回は11/17目黒陽介さんです。
須貝と岡田『富獄百景/きりぎりす』観劇〜!
2つの太宰作品を交互に読み解き、やがて一つへ昇華される…須貝さんの企ては絶妙に冴えていて、
『きりぎりす』におけるコオロギが『富獄百景』の富士と対峙することで、
自然を畏怖する人間の謙虚さが見えてくるのだった。いよいよ明日楽日2回のみ。
私は、あの夜、早く休みました。電気を消して、ひとりで仰向に寝ていると、
背筋の下で、こおろぎが懸命に鳴いていました。
縁の下で鳴いているのですけれど、それが、ちょうど私の背筋の真下あたりで鳴いているので、
なんだか私の背骨の中で小さいきりぎりすが鳴いているような気がするのでした。
この小さい、幽かすかな声を一生忘れずに、背骨にしまって生きて行こうと思いました。
この世では、きっと、あなたが正しくて、私こそ間違っているのだろうとも思いますが、
私には、どこが、どんなに間違っているのか、どうしても、わかりません。(『きりぎりす』)
ねるまへに、部屋のカーテンをそつとあけて硝子窓越しに富士を見る。
月の在る夜は富士が青白く、水の精みたいな姿で立つてゐる。
私は溜息をつく。ああ、富士が見える。星が大きい。
あしたは、お天気だな、とそれだけが、幽かすかに生きてゐる喜びで、
さうしてまた、そつとカーテンをしめて、そのまま寝るのであるが、
あした、天気だからとて、別段この身には、なんといふこともないのに、
と思へば、をかしく、ひとりで蒲団の中で苦笑するのだ。
(中略)
素朴な、自然のもの、従つて簡潔な鮮明なもの、そいつをさつと一挙動で掴まへて、
そのままに紙にうつしとること、それより他には無いと思ひ、さう思ふときには、
眼前の富士の姿も、別な意味をもつて目にうつる。
この姿は、この表現は、結局、私の考へてゐる「単一表現」の美しさなのかも知れない、
と少し富士に妥協しかけて、けれどもやはりどこかこの富士の、
あまりにも棒状の素朴には閉口して居るところもあり、これがいいなら、
ほていさまの置物だつていい筈だ、ほていさまの置物は、どうにも我慢できない、
あんなもの、とても、いい表現とは思へない、
この富士の姿も、やはりどこか間違つてゐる、これは違ふ、と再び思ひまどふのである。(『富獄百景』)
2つの太宰作品を交互に読み解き、やがて一つへ昇華される…須貝さんの企ては絶妙に冴えていて、
『きりぎりす』におけるコオロギが『富獄百景』の富士と対峙することで、
自然を畏怖する人間の謙虚さが見えてくるのだった。いよいよ明日楽日2回のみ。
私は、あの夜、早く休みました。電気を消して、ひとりで仰向に寝ていると、
背筋の下で、こおろぎが懸命に鳴いていました。
縁の下で鳴いているのですけれど、それが、ちょうど私の背筋の真下あたりで鳴いているので、
なんだか私の背骨の中で小さいきりぎりすが鳴いているような気がするのでした。
この小さい、幽かすかな声を一生忘れずに、背骨にしまって生きて行こうと思いました。
この世では、きっと、あなたが正しくて、私こそ間違っているのだろうとも思いますが、
私には、どこが、どんなに間違っているのか、どうしても、わかりません。(『きりぎりす』)
ねるまへに、部屋のカーテンをそつとあけて硝子窓越しに富士を見る。
月の在る夜は富士が青白く、水の精みたいな姿で立つてゐる。
私は溜息をつく。ああ、富士が見える。星が大きい。
あしたは、お天気だな、とそれだけが、幽かすかに生きてゐる喜びで、
さうしてまた、そつとカーテンをしめて、そのまま寝るのであるが、
あした、天気だからとて、別段この身には、なんといふこともないのに、
と思へば、をかしく、ひとりで蒲団の中で苦笑するのだ。
(中略)
素朴な、自然のもの、従つて簡潔な鮮明なもの、そいつをさつと一挙動で掴まへて、
そのままに紙にうつしとること、それより他には無いと思ひ、さう思ふときには、
眼前の富士の姿も、別な意味をもつて目にうつる。
この姿は、この表現は、結局、私の考へてゐる「単一表現」の美しさなのかも知れない、
と少し富士に妥協しかけて、けれどもやはりどこかこの富士の、
あまりにも棒状の素朴には閉口して居るところもあり、これがいいなら、
ほていさまの置物だつていい筈だ、ほていさまの置物は、どうにも我慢できない、
あんなもの、とても、いい表現とは思へない、
この富士の姿も、やはりどこか間違つてゐる、これは違ふ、と再び思ひまどふのである。(『富獄百景』)
tantan『安全+第一』@セッションハウス
再編集しました〜!改めてスゴい作品だわ。
【on_Flickr】0225_TANTAN
振付・構成・出演/亀頭可奈恵
出演/阿部真理亜、岡安夏音子、佐々木萌衣、田端春花、吉田圭
再編集しました〜!改めてスゴい作品だわ。
【on_Flickr】0225_TANTAN
振付・構成・出演/亀頭可奈恵
出演/阿部真理亜、岡安夏音子、佐々木萌衣、田端春花、吉田圭