bozzo★bozzo★bozzo

沖縄から東京へ!流転の写真日記

【apr_24】田附勝

2012-04-24 | PHOTO
写真家、田附勝さん。

コニカミノルタプラザで
本日より木村伊兵衛写真賞受賞作品展「東北」、開催。

展示の言葉が
実直な田附さんの姿勢を顕していて
胸を突いた。

以下。

      ●

心も体も東北に向かっていた。
1994年に東北を旅したとき、ぞわぞわするような血のたぎりを感じた。
19歳だった。
その感覚は私の中に残り、やがて大きくなっていった。
この21世紀にいながら太古の昔の東北を感じることができるのではないか。
太古の昔の東北人の視点を意識しながら、東北を撮ろうと思った。

2006年から東北の地に足を踏み入れ、少しずつ撮影を始めた。
撮りたい一心で東北の地を軽自動車で駆け回った。
東北にいると、人と獣の存在がとても近くに感じられた。
同時に、生と死は隣り合わせのように感じられた。
その感覚を追いかければ、自分なりの「東北」を撮りきることが
できるかもしれないと思っていた。
しかし、東北の撮影はいつも私の想像を超えていた。

鹿を追う猟師の足手まといになりながら撮影した。
雪深い山中で乾いた銃声が響き、鹿が倒れた。
雪に血が散っていた。
太平洋でメカジキと闘う突棒漁師の兄弟の船に乗せてもらった。
それは知り合ってから4年後のことだった。
死者の声を聞くことができるというオガミサマは、
見えない眼を、まっすぐカメラに向けてきた。

彼ら彼女らを写真に写し出すことは
同時に彼ら彼女らの世界に足を踏み入ることであった。
いつも自分の覚悟を試されているような気がした。
そんな撮影だった。

私は東北を撮りながら、日本とは何かを問い直そうとした。
日本人の原型を東北人に見出そうとした。

しかし、撮影に一区切りをつけた直後、
2011年3月11日、東北は大震災に遭ってしまった。
私は結論が出ないことを考え続けた。
いや、何も考えていなかったのかもしれない。
ただ、ただ、今でも東北に向かう。
そして写真を撮る。
それしかなかった。

震災後、写真に写るものは、明らかに変化した。
うろたえる自分が、そこにいる。

東北から何かが聞こえてくる。
そいつをカメラで正面から捕まえるために、私はまた東北の地へと向かう。

                              田附勝

      ●

とにかく、間近で観て欲しい。
どろっとした血潮が脈打った「ナマ」な写真たち。

生きるというのは、本来こんなにも「剥き出し」なのだ。


Comment

【apr_24】Jaime Humphreys

2012-04-24 | Photo-diary
イギリス人の友人、ジェイミと今日はランチ。
彼もニッポンにかれこれ10年。
なんと、永住ビザの申請ができるらしい。

そういや、顔もなんだかニッポン人に似てきた。

Comment

【apr_20】Jackson Pollock

2012-04-20 | ART
寒空の下、竹橋の国立近代美術館へ。

作家の生誕100年を記念した大回顧展。
20歳の時に制作した頭部の塑像から
1950年、絶頂のドリッピング/ポーリング作品、
そして、事故で亡くなるまでの昏迷期の作品まで。

人生をかけて、これほどまでにわかりやすく
表現することの意義を突き付ける作家もいないのではないだろうか?

初期の混沌としながらもプリミティブに指向するポロックの作品群は、
幾分稚拙さ(未消化)はありながらも、己の反問を直截的に露わそうとしている。

何度も何度も塗りを重ね、最後に全面を強い色で塗りつぶしながら、
ネガポジ反転の発想でフォルムを塗り残してみたり、
オートマティックな描写(自動記述)でA4サイズのノートに
細かな線を執拗に繊細に、重ねてみたり…と、

イメージするポロックの力強さ(大胆さ)からは
およそかけ離れたナイーブな面がみえてくる。
(その力強さって実は「強いアメリカ」の転写に依るモノが大きいのだろうけど)

1950年の作家絶頂までの道程が、
混沌と昏迷を繰り返し悶絶しながらも
「絵画」としての表現に超克していくのだ…といった
ぶれない意志が伝わってきて、胸をうった。

そして、大輪の花を咲かせたような
ポロック充溢の1950年。

ポーリング/ドリッピングの見事なこと!

執拗な…ホントに執拗に細かくスナップされた白・黒・黄色のペンキが、
何層も何層も何層も塗り重ねられ、しかしそれが破綻せずに
ある一定の迸り(ピュシス)をキープしたまま、冷凍保存したかのように面前する。

なんという、感情の横溢!
顔射!顔射!顔射!顔射!

これほどまでに作家の躍動が
画面全体に定着した作品を知らない。

それも決して全肯定な生の謳歌を装った
100%ポジティブな様相ではないのだ!

暗澹とした心持ちのままのたうちまわり悶絶し、
憑き動かされるように射精を繰り返すかごとく、
木棒にペンキを滴らせ、ひたすらスナップする。

自己の存在が掌握しきれないのだ!…と絶叫する有り体。

その様子は、1912年に生を授けて、38年間いのちを消耗してきた
ジャクソンそのものの嗚咽が、キャンバスに憤怒したかのようだった。

そう、血潮なのだ!

侍が刀を振り下ろし、
肉体の切断面からスプラットされる
その血潮そのものなのだ!

しかも、である。

ポロックは1950年に己を絶頂まで導いた
ポーリング/ドリッピングな絵画のスタイルを
翌年封印する。

ジャクソンポロックそのものと言わしめる
そのオリジナル性に富んだひとつの技法を
翌年にはすべてかなぐり捨て、新たな表現を模索するのだ。

あれだけの大輪の花を咲かせた1950年からリセットし、
再度創造の泉にアタマを突っ込むポロック。

なんという強靱な指向性。

ブラックポーリングと呼ばれるそれらの作品は
頂までの超克を終えぬまま、1956年_44歳で幕を下ろす。

劇的な、あまりに劇的な生涯。
展示の最後に飾られたポートレイトは
寂しげにレンズをのぞき込む、禿げかかった男だ。

不器用にしか己の命と向き合えなかったジャクソンポロック。
そのいたたまれなさが、1950年の1年に作品として凝縮された生涯。

どこまでも自己と対話することでしか
表出には至れない…と、体現してくれたポロック。
クリエイターは必見。





Comment

【portrait】河野知美

2012-04-19 | PHOTO
女優・河野知美
Comment

【portrait】内田周作

2012-04-19 | PHOTO
俳優・内田周作
Comment

【apr_17】Memento mori

2012-04-17 | UNITE!NIPPON
4月17日(火)。今日も早朝からビル清掃。
空調とLEDが整ったインテリジェント(!)オフィスの
フロアを滞りなくバキューム(掃除機)することが仕事。

毎朝、同じ作業を繰り返す。
苦労といえば、朝が早いことだけ。
だから、思考フリーな2時間。

山本太郎の著作を反芻しながら、
「なぜ今、再稼働なのか」に思いを巡らす。
カラダは無人のオフィスでバキュームをかけている。
勝手に動く手足に作業は任せて、
ふわふわと脳味噌に血を集める。

企業の側に立って考えてみると、話は明快だ。
全国に54基ある原発は、いわば「電気の工場」。
自分たちの商品を生産するラインを閉鎖するということは、
商品の供給が滞る(売るモノが作れなくなる)だけでなく、
要らなくなった工場を廃棄する負担をそれだけ抱えること。

そこでピンと来た。

なるほど、なるほど。
ただでさえ処理に難渋する原子力。
トイレのないマンションの喩えもあるように、
原子力に関しては、汚物を処理する方法論がない。

増して54基もの原子力発電所である。
これがすべて閉鎖→廃棄となれば、
どれだけの負債を計上することになるのか?

ああ、なんということだろう、この経済って奴は。
アンチエイジングも甚だしい話じゃないか。

結局のところ、戦後の高度成長は、
その文脈から「死」を排除してきたのだ。


人口が減り、高齢化が進む中で、
経済構造も成熟期から爛熟期へと(衰退期?)移行。
しかし、いつまでもアンチエイジングの錬金術を掲げ、
自分たちはまだまだ成長し続けると豪語する。

実は実は、もうエンディングノートを記す時なのだ。

なんということだろう。
「死」を排除した片端な円環でいつまでも夢ばかり描きながら、

どんどん綻びが酷くなっている状況を小出しにして
「小じわを頭皮に押しやると法令線も目立たなくなりますよ」など
その場しのぎの弥縫策で金を巻き上げ(消費税増税)、

死」を視界から追いやることばかりに躍起となっている。

「再稼働」は、そんな死に態から目をそらす活力剤(バイアグラ?)だと信じているのだ。
もういい加減に現実を見据えたらどうなんだ。

ボクたちは今回の事故で汚染されたフクシマの土壌と恒久的に向き合い、
事故によって発生した大量のガレキや廃棄物を安全裡に処理するだけでなく、
54基もの原子力発電所を何十年もかけて廃棄処分にし、
それこそ大量の核廃棄物を、長い時間をかけて地下深くに埋葬しなければならない。

それだけじゃない。
1千兆円にも膨れあがった国の借金と
真摯に向き合うことも必要なのだ。

エンディングノートの騒ぎじゃないぞ。

どれだけ死に態なんだ。

これもアンチエイジングで不老長寿だと
死をごまかしてきた戦後ニッポンの欺瞞が生んだ結果である。

  Memento mori「死を想え」

我々はもっと死生観のある国民ではなかったか?















Comment

【apr_15】脱原発・山本太郎

2012-04-15 | BOOKS&MOVIES
「栴檀は双葉より芳し」
才知のすぐれた人は、幼少の頃から、すでに並外れた素質を表す…の意。

メロリンQ時代から政治に物申していた
山本太郎の自伝「ひとり舞台」を一気に読んだ。

芸能界デビューから役者への転向、
深作欣二監督と井筒和幸監督との出会い、
母の教育方針のこと、フィリピンでの経験、
そして、東日本大震災でつかんだ自身の思い。

井筒監督が太郎について語る。

「太郎くんを一言で言えば、礼節の男ですよ。
 撮影現場でもプライベートでもいつも周りに気を遣って
 礼儀を忘れない。彼は役者なんだけど
 助監督や技術のスタッフと一緒に機材を担ぐのも厭わない。
 彼が原発に反対するのも礼儀ですよ。
 原発の事実を知った以上、無礼者、無法者を許せないから、
 立ち上がったんやろうね」

「礼節」とは礼儀と節度。ニッポン人の美徳。
このコメントを読んで、なるほどねえ、と振り返った。

山本太郎もニッポンを愛しているからこそ、立ち上がったんやなあと。
礼節の国ニッポンを信じてるから、声高に訴えてるんや…と。

森羅万象、神の存在を思い、手を合わせ、一日に感謝する。
氏神さまや地蔵さん、日々の生活に自然への畏怖を忘れない心。

農業国ニッポンだからこそ、
礼節を以て営み、その収穫に感謝し、慎ましく生きる。

…太郎は語る。

 今回の原発事故には、例えば「高濃度に汚染された土地の人たちをどう避難させるか」
 とか「このまま電力を浪費する生活スタイルを続けていいのか」とか、
 数え切れないほどの設問が含まれていますよね。でも、その大本になるものは、
 実はひとつしかなくて。それは「あなたは人としてどう生きるんですか?」
 ってことだと思うんです。
 「まさに今、苦しめられてる人たちに対してどういう態度で接するんですか?」
 と言ってもいい。まあ、そうやって突き付けられたたったひとつの設問にも答えようとせず、
 今までの生活を続けようとしている人が、あまりにも多すぎるかなぁって思うのも事実なんですけど。
 そのシンプルな設問に対して答えが出れば、そこから何かを変えていけるはずじゃないかと。

チェルノブイリの隣国ベラルーシはいまだに独裁体制で
26年経った今でも国民に真実が隠蔽され、
1480ギガベクレルを超える高汚染染地域に1万人が住んでいるという。

「礼節の国、ニッポン」

相手を思いやり、節度を忘れない国を信じて、
ボクも太郎を見倣い、働きかけて行きたいと思う。





Comment

【apr_11】特殊相対性理論

2012-04-12 | Mement_Mori
昨日4月11日で、震災から13ヶ月。

被災地はもはや話題にも上がらず。
ただ再稼働を!…と賑やかす政府あり。

昭和36年制定の「原子力損害の賠償に関する法律」以後、
原発事故の損害賠償を義務づける法律が制定されていないにも関わらず、
なぜそこまでして「再稼働」なのか。

震災前の既得権益に戻したい
政府および経団連など産業界の思惑としか思えない。

大阪府が掲げた8条件。

(1)国民が信頼できる規制機関として
   (独立性が高い)三条委員会の規制庁を設立すること
(2)新体制のもとで安全基準を根本から作り直すこと
(3)新体制のもとで新たな安全基準に基づいた
   完全なストレステスト(耐性評価)を実施すること
(4)事故発生を前提とした防災計画と危機管理体制を構築すること
(5)原発から100キロ程度の府県との安全協定を締結すること
(6)使用済み核燃料の最終処理体制を確立し、
   その実現が見通せること
(7)電力需給について徹底的に検証すること
(8)事故収束と損害賠償など原発事故で生じる
   倒産リスクを最小化すること

特に(6)の条項は、まったく見通しが立っていない。

      ●

04/11はメートル法制定の日。

地球の北極点から赤道までの子午線弧長の1000万分の1として
定義される新たな長さの単位が「メートル」と決定され、
それによって地球の円周が4万メートルとなった。

長さの規定は地球の大きさから来た。

同じように時間も日の出・日の入りの地球の自転による一日の長さを単位として決定され、
24時間→1440分→86400秒となった。(1年は365日→8760時間→525600分→31536000秒)

時間の規定も地球の動きに準じている。

つまり、長さや時間は相対的な単位なのである。

…ということを、アインシュタインの相対性理論は教えてくれる。
何度もトライしては屈していたこの理論だけど、最近やっと大枠が掴めたような気がする。

なぜ…相対性理論に行き着いたか。

この世の中が信じられなくなってきたから
…というのは、半分ウソで、四次元空間に興味を持ったから。

直線→平面→立体…と三次元については実感できるが、
果たして四次元とは、どのような感覚だろうか?
そして、この私たちが生きている世界は、いったい何次元なんだろうか?
…という素朴な疑問から、ずっと気になっていた四次元。

様々な四次元本を読み漁り、なんとかその片鱗が見えてきた。

実は私たちの生きている世界は、四次元だという事実。

アインシュタインによると、「光速度は不変である」という。
これはどういう意味かというと、1光年先の星に地球上から光を発しても
その星に向かうロケットから光を発しても、かかる時間はいっしょということ。

ま、ここで理論をおさらいするつもりはないのだけど、
そもそも地球という惑星が動いているわけだし、宇宙空間の実体も掴めていないわけで、
基準がないからすべてが相対的なのだ…唯一わかっているのは、光速度が一定ということ。

地球の自転や公転も他の惑星が存在するから認識できるわけで、
この宇宙に星がひとつもなかったら、地球の自転も公転も無意味だ。

それと同じように、時間や長さについても
宇宙レベルでいえば、簡単に収縮や膨張を繰り返している。
だいたいこの世は四次元空間なのだから、三次元では収まりきらないのである。

そんな思考回路で、この世の中の動きを見回してみると、
なんともお粗末な話題ばかりで、呆れてくる。

宇宙レベルで言えば、人類滅亡もありなのかもしれないけど、
せめて地球レベルで物事を考えていこうよ…と思うのだ。

CO2削減って近年は京都議定書まで作成されて、
世界レベルで温暖化対策って話から、原子力が脚光を浴びた経緯あるけど、
二酸化炭素は生命体維持に必須なものなわけで、
生命誕生に一役買った大切なもの。
一方放射線ってのは、大気圏内では分解すら出来ない不要な毒。
同じテーブルで議論する内容じゃないのだ。

「光速度が一定」という定義を発見できる人類なんだから、
もう少し賢く物事を見極めたほうが、いい。

ね、アインシュタインさん。







Comment

【apr_10】太陽のうそつき

2012-04-10 | TOKYO
夜桜見物しながら、「ゆらゆら帝国」を聴く。

    ●

太陽のうそつき

死ぬまでいっしょにいましょうと
言ってた小鳥は逃げた

なんだかいいことありそうな
青空が悪いの

昔の仲間はひとりずつ
離れて今ではもういない

新しいことが出来そうな
太陽が悪いの

さようならみなさん さようなら
さようならみなさん 太陽のうそつき

大切なもののはずなのに
近づきすぎたら気づかない

まだまだいいことありそうな
青空が悪いの

さようならみなさん さようなら
さようならみなさん 太陽のうそつき

    ●

1992年版を聴いてみると、
ゆらゆらもまだまだ色物だった。

この曲も坂本慎太郎のニヒリズムって感じがして、
実際、ライブでこの曲をやると苦笑してる客も多かった。
まさかこんなカリスマバンドになるとは、思ってなかったのだろう。
対バンの「マリア観音」ってのも、色物だったし。

でも、この歌詞は意味深いなあ。
「太陽」を「原子力」と読み替えると
まさに「うそつき」だし。

「近づきすぎたら気づかない」ってのも
フクシマの風光明媚だと、思うし。

なにはともあれ、この曲はキャッチーだし、
色物のゆらゆらが脳裏に浮かぶから、好き。

Comment

【apr_10】夜桜

2012-04-10 | TOKYO
サクラもピークを過ぎる頃。
明日は朝から「花散らし」の雨模様。

…ってことは、今宵見納め?

「ただ春の夜の夢のごとし」か。
Comment

【apr_10】UNIQLO_GINZA

2012-04-10 | TOKYO
12階すべてUNIQLO
店内では、中国語やフランス語、韓国語が飛び交う。
完全に狙いはスーベニアだった。
Comment

【apr_10】座・高円寺

2012-04-10 | ACT!
金子あいさんの「平家物語」を観に。

Comment

【apr_08】消費者マインドの弊害

2012-04-08 | ACT!
まさにタイムリーな内容、
今日の朝日新聞。

friends after 3.11ところ
城南信用金庫の吉原頭取が「こころざし」より「カネ」に毒された
経済一辺倒の社会の歪みについて語った話を書いたけど、

内田樹さんが「仕事力」のコーナーで
「消費者マインドの弊害」という題目で
まさに同じ切り口の見識を述べていた。

  最も少ない努力と引き替えに、
  最も高い報酬を提供してくれる職種、
  それを今の人たちは「適職」と呼びます。

これは就職活動をする現代の若者に対しての警鐘として
書かれた求人欄のエッセイなのだけど、

現代の若者たちは、「賢い消費者=最少の貨幣で価値ある商品を手に入れる行為」
がすべての振る舞いの基準となっている…と嘆く。

  最低の学習努力で最高の学歴を手に入れた者が
  いちばん「賢い学生」だということ。

だから、合格ぎりぎりの60点を狙って結果70点を取ることは、
100円で買える商品に200円を払うような無駄なことだと思っている。

就活についても同じで、「特技や適性を活かした職業に就きたい」というのは、
言い換えれば「最小限の努力で最高の評価を受けるような仕事をしたい」という価値判断。

すでに自分が持っている能力や知識を高い交換比率で換金したい…と。

これはつまり、成長やポテンシャルなどの「のりしろ」を
端から認めていない、非常に狭い了見な考えで、
だからこそ、海外旅行やボランティア派遣への消極的な態度、
現状を甘んじ、改革などの切り込みに背を向けているのだろうか?

飽和状態の資本主義経済に
オルタナティブなシステムを導入しようと
日々研鑽を繰り返している内田さんからしてみれば、
「ミニマム」な行動様式を佳しとする若者たちの指向も
現在のあだ花に見えることだろう。

これもみな戦後ニッポンの思考力低下に依るところが大きいのだ。





Comment

【apr_08】お花見家族

2012-04-08 | Photo-diary
近所の小松川公園で、家族の撮影。
昨日とは打って変わって過ごしやすい天気。

たくさんの家族連れが
サクラの木の下で、はしゃいでいた。

家族の写真も、そんな陽気にぴったりの
ほのぼのとした写真に仕上がりました。


Comment

【mar_07】山内シホ

2012-04-08 | DANCE
お互い手探りしながらのセッション。

気温12度。

それでも内奥から湧き上がるものを
表現してくれたシホさんに、感謝。

彼女は近々渋谷のさくらホールで舞台がある。
ART STEPS DANCE RECITAL 2012
Comment