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沖縄から東京へ!流転の写真日記

【Jul_19】やちむん夏祭りLIVE!

2020-07-20 | OKINAWA
やちむん@吉祥寺MNDA-LA2

沖縄から20年来の付き合い奈須さんの夏祭りLIVE!
コロナでお得意の密空間が出来ないってことで、
東京ツアーもコレが見納め。

客席減らしのマスクだから反応見えずやりにくそう。
でも変わらない奈須節見られて良かった!
今日は高円寺『抱瓶』!
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【Jun_23】われわれがこの世の中にあるという事実は、われわれ自身にとっては、実は一つの負い目に他ならない

2020-06-23 | OKINAWA
「不条理劇」の基底となっているのは、この未済性の完結です。
物語や会話が未済のまま放置されている。
人間関係が未済のまま行き場を失っている状態。
未済のままだから、観る側の思考や感情もそこに留まり、
次の一歩を踏み出せない状態になる。

(『時間と自己』より木村敏)

「われわれがこの世の中にあるという事実は、われわれ自身にとっては、実は一つの負い目に他ならない」
と精神医学者の木村敏は説く。
人間は常に取り消しようのない事実としてこの世に生きており、
しかもこの存在の「成就」には遅れをとっている。
常に本来の自分に成り切ろうとして、果たせないでいる状態なのだ…と。

「われわれは未済だからこそ、われわれにとって選択と決断が保証され、
われわれにとって将来が可能になる。
将来という時間性は、われわれの存在の未済性が
前進の可能性を保証する限りにおいてのみ可能」なのだ。

未済ゆえの可能性の中で、我々は希望を持って生きる事が出来る。

本日は『慰霊の日』。

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【May_27】第32軍司令部壕公開

2020-05-29 | OKINAWA
75年前のきょう、旧日本軍が撤退… 首里城地下「司令部壕」公開の声強まる

首里城炎上によって、第32軍司令部壕公開が再燃しているが、
ボクも2008年12月13日に琉大の教授に連れられ、
この壕の存在を知っていただけに、今後の動向が非常に気になるところ。
「沖縄の倫理」大田元県知事が「鉄血勤皇隊」であったことはよく知られることだけど、
壕公開こそが沖縄の未来を結ぶと思う。
負の財産こそ「タフな良心」を育むのだから。


以下2008年のブログから。
↓↓↓
12月13日(土)。汗ばむ陽気。12月とは思えない。
午後1時。琉球大学の生徒に混じって首里城周辺の歴史を学ぶべく講習会に参加。
西岡先生引率のもと首里城の歴史を散策する。驚愕の連続である。
「旧日本軍首里司令部壕跡」などというものが、首里城地下に存在している…。
そのために首里は壊滅的な戦禍に襲われた…ということを。

沖縄戦はもともと本土決戦を迎えるまでの時間稼ぎとして行われた争いで、
1945年4月1日、米軍が読谷に上陸した際も、何も報復せずに力を温存し、
軍勢を南部へ移動することしか考えていなかった。
首里の頂をベースに「鉄血勤皇隊」と呼ばれる学徒隊を使って
米軍の戦車を自らの命で足止めさせたりした…という。

琉球人の尊厳を真っ向から否定し、彼らの命を爆弾のひとつとしか認識せず、
ひたすら時間稼ぎのためだけに、むやみに沖縄戦を長引かせた。
指令を司った第32軍は、もともと中国の南京大虐殺実行部隊だった。
だから琉球人の命など、中国人と同等ぐらいにしか思っていなかった。

1945年5月28日、首里司令部壕が占拠され、
摩文仁方面への退去を余儀なくされたときも日本軍は降伏せず、
ひたすら平民を巻き添えにしながら、戦禍をいたずらに長引かせた。

そして6月23日、日本軍最高責任者の牛島司令官と長参謀長が摩文仁の丘で自決を謀り、
米軍の勝利が決定的となったあとも、平民はその後2ヵ月ものあまり、
米軍の圧力に屈せずひたすら逃げまどっていた…という。
つまり、沖縄戦は日本軍から放っておかれた。

8月15日に終戦を迎え、玉音放送が流れたあとも、指揮系統が崩壊していた沖縄は、
戦闘継続が個々の判断で行われ、結果、何も知らない沢山の平民が集団自決で死んでいったのだ。

結局、沖縄守備軍の降伏調印が9月7日に嘉手納で行われるまで
約1ヵ月間も無法状態だったという事実。
実際には6月23日の司令官自決より2ヵ月半、
意味もなく戦闘が続けられていたのだ。なんということか。

そのような事実が一言も語られることなく首里城の下に放っておかれている。
修学旅行で沖縄を訪れる学生たちは、朱や金で華やかに彩られた世界遺産に誤魔化され、
南国の楽園「オキナワ」として刷り込まれて帰って行く。…それでいいのか。

そんなことで「鉄血勤皇隊」は報われるのか。
オキナワのアイデンティティはどこにいったのか?

4時間もの首里散策で、とんでもない事実を突きつけられた。濃厚なオキナワ体験だった。


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【Nov_01】炎上11時間、灰に絶句。嘆き。涙の朝

2019-11-08 | OKINAWA
沖縄タイムス11/01の三面。

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【Nov_01】首里城炎上、正殿焼失。

2019-11-08 | OKINAWA
沖縄タイムス11/01の一面。
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【Mar_30】沖縄アンダーグラウンドby藤井誠二

2019-03-31 | OKINAWA
沖縄アンダーグラウンド×モトシンカカラヌー』上映&トーク@カフェ・ラバンデリア

1970年コザの貴重なドキュメンタリーを2時間みっちり観たあとの、藤井誠二さんの新著を巡ってのトーク。
米軍統治下の沖縄において、特飲街がいかに基地と密接な関係であったか、米兵による婦女暴行や犯罪が絶えず、
そのはけ口に半ば公認として米軍の衛生局指導の許、【性の防波堤】が据え置かれた事実。

“元金かからぬ”商売女の実態は、2010年の「沖縄浄化運動」までひた隠しにされていた。

藤井さんは端境の希有なタイミングでルポを敢行し、
「モトシンカカラヌー」から現在に至るまでの沖縄の売春事情をまとめた。

トークで平井玄さんが「50年代の米統治下の日本はどこもかしこも沖縄と同じ状況で、
“赤線地帯”は米兵のはけ口として設置された慰安所だった。ここ新宿二丁目も、当時は米兵相手の場所」と説明、
敗戦国日本の「悪習」に向き合わずして、今の隷属構造は語れないと悟った。

地上戦で壊滅し、それでも生き抜くことを強いられたウチナーンチュの逞しき生き様は、
嘉手苅林昌らが謡う民謡に顕れていて、路上で即興的に奏でられた島唄は、
コザの魂が込められたブルースだったのかぁ…と、
ナマ林助やナマ林昌、ナマ誠仁に触れ、パークアベニュー裏のデイゴホテルに泊した1998年の記憶がまざまざと甦り、
この虐げられた歴史が積もり積もっての普天間辺野古なのか…と沈思黙考。

沖縄アンダーグラウンド=陰の沖縄を、まだまだ洞察してゆかねばならない…と、林昌さんの歌声を聴く夜。

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【Mar_19】ネネに思いを寄せて

2019-03-21 | OKINAWA
詩人の望みはただ高揚と拡大である。
世界の中にのびのびと身を伸ばすことだけだ。
詩人はただ天空の中に頭を入れようとする。
ところが論理家は自分の頭の中に天空を入れようとする。
張り裂けるのが頭のほうであることは言うまでもない。

        (G.K.チェスタトン著『正統とは何か』福田恆存訳)

天は地を蓋ひ、
そして、地には偶々池がある。
その池で今夜一と夜さ蛙は鳴く……
ーーあれは、何を鳴いてるのであらう?

その声は、空より来り、
空へと去るのであらう?
天は地を蓋ひ、
そして蛙声は水面に走る。

よし此の地方が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶、余りに乾いたものと感はれ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走つて暗雲に迫る。

           (『四季』中原中也)

これは何も詩人に限った話ぢゃない。
四十七年という余りに短き一生を終えた友を想うと、
この地に偶々出来た池である私は、
その地を蓋う天に向かって蛙の慟哭を走らせる。

友の望みは、ただ高揚と拡大であった。
世界の中にのびのびと身を伸ばすことだけだった。
天空の中に頭を入れ、世界の脈動を肌で感じ、
生きている歓喜を謳歌したかっただけだった。

しかし人間社会は何故か、
頭の中に天空を入れろと強要する。

世界は頭の理解を超えては存在せず、
人間の思考に勝るものは無いと断言する。
この落差が友を追い込んだ…とボクは奮える。

間違ってる、間違ってる、間違ってる。

ひとつの命は等しく賞賛されるべきで、
システム内の優劣で落とし込められる謂れはないのだから。
暗澹たる思いで、今夜も蛙声は水面を走る。

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【Oct_31】名城ビーチのSONY坊や

2018-11-01 | OKINAWA
さんぴん『NEW HERO〜突撃!隣のプレシャスご飯、デリシャス!!〜』

北海道、沖縄と続いたさんぴんの日本縦断!秋祭り巡業公演も、
最終地の東京北千住で、全12ステのファイナル!
3都市のエピソードを交えて、演劇の面白さを等身大に伝えます〜!明日から!

写真はオキナワ名城ビーチのSONY坊や@1998。
まさか、20年の時を経て演劇のネタになるとは、思ってもみなかったわ。

【東京】『NEW HERO〜味と匂いの北千住〜』
2018年11月1日(木)〜7日(水)


出演/板橋駿谷(ロロ)、北尾亘(Baobab)、永島敬三(柿喰う客)、福原冠(範宙遊泳)

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【Jun_23】「ゼロからのスタートを逞しく生き抜く」by琉球列島米国民政府

2017-06-23 | OKINAWA
本日『慰霊の日』。
弁護士会館では沖縄戦写真展開催中。

占領下の島民に向って、士気を高めるべく制作されたポスター。

「ゼロからのスタートを逞しく生き抜く」

土地を奪われ、生きる術を失い、
我が物顔の米兵に屈従しなければならなかった住民たちに
このようなポスターで士気を高める琉球列島米国民政府。
基本、上目線は72年経った今も変わらず。

米軍統治下の沖縄(2007年放送・NHK)


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【Jun_23】沖縄戦写真展@弁護士会館

2017-06-23 | OKINAWA
本日『慰霊の日』。
弁護士会館では沖縄戦写真展開催中。

06/12に亡くなられた大田昌秀元知事の『写真記録沖縄戦』からの出展も多い。
なによりこの「捕虜になって米軍政要員の尋問を受ける鉄血勤皇隊員(6月17日)」の写真が、
19歳だった大田さんと重なって見えて悼んだ。

鉄血勤皇隊は14歳から19歳を中心とする男子学徒隊で
「ひめゆりの塔」で有名な女子学徒隊と対。

386人中226人が若くして亡くなった。

多くの惨状を目の当たりにしてきた大田さんは、
この「鉄血勤皇隊」の記録が乏しいことを常々心痛めていて、
最期に上梓した『鉄血勤皇隊』の製本を受け取った5月31日、
何度も何度も頷いていたという。

最期の最期まで戦争の悲惨さを見つめ、
訴え続けていた大田さん。

100冊に及ぶ著作は、犬死にした同志への鎮魂にすべて捧げられた。

…この思いを引き継がなければ…と、
改めて『慰霊の日』に追悼したい。黙祷。
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【Jun_18】理想なき民主主義は「椅子取りゲーム」でしかない。

2017-06-19 | OKINAWA
06/12に亡くなられた大田元県知事の追悼の意味も込めて、
辺野古基地移設反対集会に参加してきました。
沖縄意見広告運動第8期0618関東報告集会


辺野古の現状報告で米軍がやりたい放題なこと、
日米地位協定によっていまだ日本には領空権がなく
オスプレイが長野県庁上空を飛んでもOKなこと、

近い将来沖縄の基地は自衛隊との共同使用となり、
米軍指揮の許、軍事訓練がおこなわれ、
なし崩し的に基地の固定化が始まること、

辺野古反対を掲げている翁長知事は、
日米安保条約の損害賠償の罪
いずれ立件されるであろうこと…などなど、

相変わらずの隷属国家像を端々に見せつける内容でした。

中でもボクの心を鷲掴みにしたのは、
特別講演されたイ・ヨンチェ恵泉女学園大学准教授のコトバで、
文在寅政権誕生の起因となった20代のキャンドルデモは、
民主化抗争から続く韓国の民主主義が30年の月日を経てついに完成へと動く、
大きな一歩なのではないか…という話。

その先には、朝鮮半島の和解と米軍追放があるのだ…という
理想を描いて韓国の若者は立ち上がり真の民主国家を形成しようと考えている…と。
それはつまり、隣国北朝鮮との戦争はすぐさま自国の戦場化自身の戦闘員化につながる…
という当事者意識の現れだということ。

日本の若者が我田引水利己的短絡的な未来しか描けていないのとは好対照

それもこれも、日本の政治家をはじめ大多数の大人たちが「リアリズム」一辺倒で余裕がなく、
理想を掲げるより先に保身に走り、近視眼的に自己利益獲得に一所懸命で、
自身が範例的な「おとな」にならん…とする姿勢を露とも感じさせない
部分にあるのではないでしょうか?

核兵器禁止条約の不参加や、
安保法、共謀罪法の強行成立
辺野古基地移設の横暴遠景にあるのは、

日本の未来像ではなく、
隷属国家日本の跪く国、アメリカです。


72年間植民地状態が常態化し、
領空権も指揮権も譲渡し、米庇護の許、経済活動に邁進している姿は、
どう考えても可笑しい…と、なぜ国民が起ち上がらないのか。

この国の歪んだ成り立ちの中で「リアリズム」に徹して生きる…とは、
ただ単に「自分ファースト」でどうサバイバルするかの処世術ばかりで、
その先の未来に「どのような世界を描くのか」理想は皆無。

われ先にポイント加算して自分だけ生き残ろうと躍起な
一億総「椅子取りゲーム」な世の中に、
生を全うすることが本望なのでしょうか?

辺野古のゲート前で
女性が機動隊に語る言葉が
これを象徴しています。

「辺野古に基地が出来たら、この先200年は使われるんですよ。
あなた200年後のことも考えてここに立ってるんですか?」




理想なき民主主義など、主義でもなんでもない。
ただの「椅子取りゲーム」です。
だから“無理が通れば道理引っ込む”…なのです。
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【Jun_12】沖縄の良心、大田さん逝去。

2017-06-12 | OKINAWA
沖縄の良心、大田さん逝去。享年92歳。

今日、06/12は大田さんの鉄血勤皇隊時代をまとめた著書
人生の蕾のまま戦場に散った学徒兵 沖縄 鉄血勤皇隊が上梓される日でした。
やはり大田さんの不屈の精神の原点は、この鉄血勤皇隊にあったかと。
10代の時に「戦車の下に潜り自爆せよ」と命じられた屈辱が、
やがて基地となって島を覆い、72年間日米双方に組み敷かれた沖縄の、
絶望的な未来に対して、知力でもって抗い続けた人であったと思います。

写真は1976年、琉大教授時代の大田昌秀さん。(by山城博明氏)

後にも先にも、これだけ骨太なうちなーんちゅは居ないと。
安らかにお眠りください。


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【May_02】くりかえしのうた by 茨木のり子

2017-05-02 | OKINAWA
分別ざかりの大人たち

 ゆめ 思うな 

  われわれの手にあまることどもは

  孫子の代が切りひらいてくれるだろうなどと


   いま解決できなかったことは 
 
  くりかえされる 

   より悪質に より深く 広く 

  これは厳たる法則のようだ



  茨木のり子
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【Jan_09】HYATT REGENCY_18時

2017-01-14 | OKINAWA
HYATT REGENCY_那覇沖縄

すべてを見下すように屹立するホテル、HYATT。
文化発信の地、桜坂の一角にある。

町は本来、営みと共に在る。
ここ桜坂は場末の絶妙な雰囲気を醸した独特の歓楽街であった。
沖縄初のシネコン、桜坂劇場は1日数種の映画を上映する。
たまに本土から珍しいバンドのLIVEもあったりする。

我がバンド『南国ドロップス』の解散LIVEもここで演った。
独立後初の写真展『ゆれる。』も桜坂だった。


その醸成された町並を無遠慮に切り崩したのが、このホテルだ。
桜坂にかつての燻らした空気はもう残っていない。

均衡を乱したホテルのおかげで、町は瞬時に瓦解し、バランスを失った。

屹立したホテルの近代的輝きが、町全体をぼやかしくすらせてしまった。
店主が召された後、空きビルは取り壊され、観光客向け駐車場となった。
町並がどんどん歯抜けとなり、かつての賑わいも白々しくなった。
ホテルとのコントラストで、町がどんどん輝きを喪っていく。

完全にバランスを失ってしまった。

町は本来、営みと共に在る。
人々の生活があるから、町は脈打つのだ。
その真理を無為にした行政の罪は相当重い。






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【Jan_09】柳子家_17時

2017-01-14 | OKINAWA
あれから4年だねえ。
子どもたちも大きくなって。
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