#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【aug_18】南三陸復興地ビール

2012-08-21 | Mement_Mori
南三陸の復興を祈願した地ビール。
インターネットで販売されている。

オイスタースタウトが、ヤバイ。(ボクは呑まないが)

 牡蠣の殻と身を使用し醸造したビール。
 麦芽とホップの他に牡蠣の身を原料として使用し、
 洗浄した牡蠣殻を沈めて熟成させています。
 濃厚な味とさっぱりとした後味、クリーミーな泡が特徴です。

ラベルには被災した防災対策庁舎の絵がシンボリックに配されている。
ここまで祈願を背負って建つ庁舎だ。
絶対に残してもらわなくちゃ。



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【aug_18】平野部は公園に

2012-08-21 | Mement_Mori
南三陸の平野部は今もガレキと共にある。
津波で流された住宅の土台が、無言で訴えている。

「ここには二度と住まうな」


語り部の伊藤さん曰く、
町の全機能を高台に移す計画が進行中とか。

海岸線に広がる無惨な被災地域は、
そのまま慰霊公園として、生まれ変わる見込み。

ぜひとも防衛庁舎を慰霊塔として永久保存してほしい。
記憶ではなく、現物で残すことの意義。
これを切実に感じる。

記憶の伝承だけでは決して伝わらない。
防災庁舎の傷跡が放つ無言の叫びが、
鉄骨だけになった建物を見上げるだけで
こちらにガツーン!と伝わってくる。

犠牲者800余人の南三陸を思う気持ちが、
これだけ沁み込んでいるのだ。

良識ある判断を願いたい。



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【aug_18】南三陸中心部

2012-08-21 | Mement_Mori
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【aug_18】語り部の伊藤さん

2012-08-21 | Mement_Mori
今回、南三陸の被災地を案内してくれた
語り部の伊藤さん。

03/11の南三陸がどのような状況であったか、
03/11以降、南三陸はどのようなことを学んだのか。

本人も家を土台から根こそぎ失った。

今は仮設住宅に住まわれているという。
防災対策庁舎の遠藤未希さんとは、
仕事柄、しょっちゅうお会いしていた。
(伊藤さんは南三陸ホテル観洋のホテルマンである)

70年という歳月をこの土地と共に過ごしてきた。
いまさらゼロから再構築だなんて、とても考えられない…と思うけど、
未来の南三陸を子どもたちに残すためにも、
今復興に心血を注がないとダメなんだ…と切迫した気持ちで
毎日を精一杯生きている…という。

その気の張った思いが、
語られる言葉ひとつひとつに宿って
わたしたちの心に突き刺さった。

ホントに素晴らしい体験をさせてもらった。
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【aug_18】決して忘れてはいけない

2012-08-21 | Mement_Mori
南三陸の地を方方歩いて
あらためて03/11の映像を見返すと、
山に挟まれた町ゆえに、津波は逃げ場がなく、
どんどん濁流が嵩を上げ、町を飲み込んでいく状況にあったことを
ひしひしと感じることができた。

なんとも、無念である。




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【aug_18】鎮魂の場所として

2012-08-21 | Mement_Mori
24歳で亡くなられた遠藤未希さん他、
たくさんの方々の御霊を鎮める場所として。
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【aug_18】防災対策庁舎

2012-08-21 | Mement_Mori
1年半経った今は、
南三陸で亡くなられた800人余りの
犠牲者のための慰霊塔のような役割を果たしている。

この建物も今、取り壊しの危機にある。

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【aug_18】昭和三陸大震●災

2012-08-21 | Mement_Mori
「だいしんしょう」と読む。
昭和8年3月3日に三陸を襲った大震災である。

1933年。実に80年ほど前のこと。
南三陸はこの昭和三陸大震嘨災のあと、
1960年のチリ地震でも津波で甚大な被害をこうむった。

この80年あまりの間に3度も。

なんともむごい話である。
そして、これだけの頻度で体感していても
ひとはそのことを忘れてしまうのだ。

この大震嘨災碑も南三陸の至る所に置かれてあった。
頭上を見上げれば津波浸水予想線なる看板も目に付いた。
(ここまでは津波が襲ってくるであろう地点)

そのような前知識があっても
今回の東日本大震災に生かすことができなかった。


語り部の「伊藤さん」は語っていた。
「南三陸は、それでも津波対策に自信を持っていた」…と。

三陸の他地域よりは、避難訓練もたびたび行われていたし、
津波を想定した集合住宅の建設や、避難場所の分散など、
常に津波が生活と共にあった。

しかし、大きく間違っていることがあった…と、
今回の震災で伊藤さんは感じたという。

人間の力を過信しすぎた…と。

人間の力を過信しすぎて、津波に立ち向かおうとしていた…と。

津波と闘おう…だなんて、見当違いも甚だしい…と。

語り部の伊藤さんは、今年70歳。
震災で家も土台から根こそぎ失った。
家族の安否は多くを語らなかったが、知り合いを何人も持って行かれた…という。

津波の引いた南三陸の状況を見て、伊藤さんは悟った。

津波と闘ってはダメだ。
人間は高台に住まいを移し、
いざとなったらまずは逃げるべきだ…と。

防災庁舎で最期までアナウンスをして亡くなった遠藤未希さんを
「日本人の犠牲心の象徴」などと持ち上げるけど、
まずは逃げるべきだった…と。

町の建物の実に95%が流された南三陸町。
1年半経った今も、無言に広がるガレキの荒野を目の前にして、
人間の愚かさを思わずにはいられなかった。



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【aug_18】南三陸へ

2012-08-21 | Mement_Mori
お盆の帰省を兼ねて、被災地の南三陸へ。

ウミネコがお出迎え。

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【aug_17】テマヒマ展

2012-08-21 | Mement_Mori
テマヒマ展、いよいよ08/26まで。

東北の生きる力、東北の生活の術、東北の立ち位置、
そういったものが、テマヒマかけて創られたひとつひとつの物に宿っている。

こういった、ニッポンが忘れてしまった
思慮深いニッポンの原風景をしっかりと見つめ直すことが、
20年、30年後のニッポンを描くヒントとなるのだ。

あらためて東北のすばらしさに
感動をおぼえた。



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