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沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Mar_18】Ralph Waldo Emerson『大霊』

2020-03-18 | LA
地球が大気の柔らかな腕に抱かれるごとくに、私たちは大いなる自然の中で安らいでいる。
この大いなる自然が、「統一」、「大霊」であり、その中で、
すべての人間の個々の存在が、他のあらゆる存在と一つになっている。…

私たちは、生命を受け継ぎながら、
部分や単位に分断された状態で生きている。


その一方で、人間の内には、全体としての思慮深い静寂普遍の美が存在し、
どの部分、どの単位も一様にそこに繋がって、永遠なる一つを成している。

私たちはこの深遠な力の中にあって、
その力のもたらす至福をすっかり手に入れることができる。
そしてこの力は、どの瞬間にも自己充足し、完璧であるのみならず、
見る行為と見られる対象、見る者と見られる光景、主観と客観とが一つになっている。

私たちはこの世界に存在するものを、
太陽、月、動物、木……というように別々の現象としてとらえる。
だが、これらの輝かしい部分のすべてが一つになっている全体、それこそが魂なのである。…


はっきりしているのは、
人間の内なるは私たちの存在の背景であり、
現象のすべてはそこに内包されているということだ。

の広大さは私たちの理解を超えている。
内側あるいは背後から発せられる光は、
私たちを通じて輝き、物事を照らし出す。

そのとき私たちは、自身はであり、
がすべてであることに気づかされる。

一人の人間は、
あらゆる叡智、あらゆる善が納められた神殿を外から見た一面である。…


魂が人間の理知を通じて呼吸をするとき、
それは才能となり、
人間の意志を通じて呼吸をするとき、
それはとなり、
人間のの中を流れるとき、
それは愛となる。…

この純粋な性質を、
すべての人間はいつかは感じるようになる。

それを言葉で言い表すことはできない。

あまりに微妙なものであるから。

それはとらえどころがなく、計り知れないものだが、
それが私たちの中に充満し、
かつ私たちがその中に包含されていることに、私たちは気づいている。
人間の内側にはあらゆる霊的存在があることを、私たちは知っている。…

私たちは一面では、
深遠な霊的本質に、神の性質に開かれているのである。


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