Retrospective...

イラストレーター/ライター遠藤イヅルの困った嗜好をばらす場所

【ナローゲージ】高原列車の夢のあと 草軽電鉄の遺構に会う

2008-06-09 | ナローゲージに思いを馳せる
日本有数の名温泉地、草津。

そして、これまた日本有数の避暑地、軽井沢。

この二大観光地ともいえる草津と、軽井沢のあいだを鉄道が結んでいました。



草軽電鉄と呼ばれたその小さな鉄道については説明すると長くなってしまいますので
同社(今でもバス会社として盛業中)のHPをご覧いただきたいのですが、
廃止が昭和37年(1962年)ですから、すでに廃線後45年以上もたっていることになります。

クルマで走った方がおられるなら、草津と軽井沢は結構な距離があることに
気が付かれると思いますが、
この草軽、さらに急勾配と山岳(山岳と言っても開かれた高原の景色)地帯を
いっさいトンネルなしで延々と山の稜線に沿って上っていくために
距離55.5KM、時間にしてなんと3時間半もかけて、小さい小さい電気機関車が
身の丈をはるかにこえる客車を引いて、ゆっくり登りおりしていたのだそうです。


その機関車は、ナローファンにはあまりにも有名な、
アメリカ・ジェフリー社製の「L型」電気機関車、デキ12型。
元来大正9年に「信越電灯」が発電所建設のために導入した鉱山用機関車で、
それを草軽が譲り受け、昭和12年までの間に24号までの13両がそろいました。

これが、また小さい。驚くほど小さい機関車です。
現在も、軽井沢駅前に保存されているので、その小ささを実感することが出来ます。


オリジナルの色は失われているようだが、その小ささはわかる。
車体の前後に飛び出た赤い「従輪」の寸法が460ミリ、
全長はその車輪を含めて約4.7mしかないです。

クルマのサイズを考えると、ぽこんと飛び出たキャブ(運転台)の小ささが推測されると思います。
人が座るには過酷過ぎるほどの「尋常ではない」狭さです。


この機関車が、762ミリゲージの、ほとんどバラストもなく、
レールのつなぎ目も適当な線路を、
結構な急勾配を上り下りしてたというのですから、なんともスリリング?



この草軽。
廃止後すでにそろそろ半世紀、というような状況で、廃線跡や、遺構は
極端に数を減らしています。

でも、そんな中での「白眉」が、いまだに残る「北軽井沢駅」の駅舎です。


駅名板の手前に線路があったようです。奥の建物はその当時の写真にも写っています。


ちなみに、開業当時は「地蔵川」という何の変哲もない駅名だったそうですが、
この界隈一帯を「法政大学村」として所有していた法政大学から、この駅舎の寄贈を受けたものなのだそうです。
昭和初期だというのにすでに別荘地として草軽が開発をしていた
「北軽井沢別荘地」の玄関として、まさにふさわしい立派な駅舎です。


おまけ:サーブとパチリ。

他にも遺構は散見されるようなのですが、ひとまずは
目立つ二箇所に行きました。でも、それでも妄想上手なieは、
50年前のこの地にタイムスリップしていたのでした(汗&涙


>>本格的な廃線めぐりをされているサイトはこちら。
いまの国道と全然違う場所を走っているので、もはや探索不可能な箇所も
あるようで。頭が下がる思いです...

>>草軽現役当時の貴重な写真や雰囲気を伝えているのがこちら。
カブトムシのような独特のパンタグラフをかざしたデキや、高原路線の風情が
伝わってくるようです。

>>草軽の「動く姿」を見たいなら、国産初の総天然色映画、「カルメン故郷に帰る」が有名です。
前編北軽井沢界隈で撮影され、草軽も頻繁に出演しているとのこと!
ああ、カラーでよみがえる草軽の景色...って、ie見たことない。
今度DVD借りてきてじっくり見なきゃ!
コメント (10)
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