Retrospective...

イラストレーター/ライター遠藤イヅルの困った嗜好をばらす場所

【思うこと】過去、その瞬間はセピアでは無かったのだ

2008-06-03 | 思うこと。
ところで、ちょっと前に買った本のなかのお気に入りが、
発掘カラー写真 昭和30年代バス黄金時代なる、昔のバスの写真集。



ふーん、バスの写真集か、と思われがちですが、
僕がこの本を買った理由は、昔のバスを見るというだけでなく、
「写真がおそろしくリアル」である事でした。

どういう意味かといいますと、この本に展開されている世界は、
まさに、いま、目の前に広がる昭和30年代そのものなのです。
そういう意味での「リアル」。その場にいるかのような感覚。
圧倒的な「本来の色」。
しかもそれは映画やCGではない、その当時のほんとうの時代を切り取ったもの。


昔日の写真は幾多ある。
でもだいたいは白黒で、カラーでも色あせ、「セピア」調。
だから、その当時の世界も、セピアな世界の中にあったと思ってしまう。
当時を再現した映画などでも、ノスタルジーを出すために、わざと色を変えていたりする。

でも、よく考えると(よく考えなくても)、あたりまえなのだけど
セピア色やくすんだ色の世界だったわけがない。
ただ、その当時のクリアな「総天然色」の画像がないので、想像しづらかったんですね。


で。
この本に載っている世界は、
いま、この瞬間に僕らが見ている2008年のクリアな色世界そのもの。
バスの色は明るく、鮮やか。街の看板、ひとびとの衣服も。
何もかもがくすんでいたように感じられた1960年代の
頭の中の世界観が破壊されるほどのインパクト。

...日本は、こんな世界だったのだ。1960年代は、こんなに鮮やかな景色だったのだ...。


>>良く窓の外を眺めて思うんです。
たとえば会社。神保町。窓の外は快晴。秋空。澄んだ空。クリアな光。
昭和40年代も、30年代も、昭和初期も、大正時代も、明治時代も、江戸時代も、
街の景色は違えど、この「目に入ってくる色調」は変わらなかったはずです。
そんな、当時の景色を想像したりしています。
白黒でも、セピアでもない、2008年の色調で。
コメント (9)
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