ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

1822、あの日から2年

2013年03月12日 | Weblog
東日本大震災から2年経ち、昨日は各地で追悼の祈りが捧げられました。
あの日テレビで見た津波の映像が鮮明に甦ります。
テレビの映像でも津波のすごさが伝わってきましたが、実際に襲われた人はその何十倍、何百倍の威力、恐怖を感じたことと思います。
原発事故の映像も衝撃でした。
2年が過ぎても30万人以上が避難生活を余儀なくされています。
復興はなかなか進みませんが、必ず蘇ります。
1456、あの日から1年」などを参照

昨日は私も教会で行われた追悼ミサに行ってきました。
知り合いのゴスペルグループが追悼の歌を歌い、牧師の話がありました。
「早く逃げてください」と、防災無線放送で住民に避難を呼びかけ続け、津波に流された宮城県南三陸町の女性職員がいました。
このとき防災無線の保守点検をしていて流された青年がいましたが、新聞やテレビで報道されることはありません。
震災の数日前に高崎から東北に派遣されていました。
10日後に遺体が見つかり、前橋で葬儀が行われました。
青年の両親はろうあ者で全く耳が聞こえないそうです。
昨日の牧師の教会の信者で、息子のことを誇りに思っていたそうです。
偏見や差別に合いながら、立派に息子を育てました。
青年は自分を育ててくれた両親を尊敬していたそうです。
この青年の話は聞いたことがありましたが、両親のことは初めて聞きました。
震災で亡くなった人は2万人以上になりますが、それぞれの人生がありました。(行方不明者、震災関連死を含む)