ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

367、甲子園の思い出

2009年03月21日 | Weblog
今日から春の選抜高校野球大会が始まります。
28、独立記念日」で学生時代、吹奏楽部でラッパを吹いていたと書きましたが、私が高校1年生のとき我校が春の選抜大会に出場しました。
開校3年目の快挙で大いに盛り上がりました。
前年の秋、関東大会で優勝し選抜出場を決めました。
このときの決勝の相手が甲府商業で、ピチャーは巨人で203勝をあげ名球会入りし、後に巨人の監督を務めた堀内恒夫投手です。(秋の関東大会は山梨県も参加)
決勝の相手が甲府商の堀内と決まったとき「これはだめだ」と思いました。
超高校級投手として知れ渡っていて、初めてその球を見たとき度肝を抜かれました。
今まで見たことの無い速さで、3回くらいまで我校の打者は全く手が出ず、ほとんどが三振でした。
何回か覚えていませんがフォアボールと暴投で点が入り勝ってしまいました。

甲子園出場が決まってから、応援の練習にも熱が入り張り切っていました。
しかし、私は2月初めに気管支炎になって高熱が続き、1ヶ月間学校を休んでしまいました。
3月になって学校に行けるようになりましたが、甲子園に出発するまで2週間しかありません。
両親は「またチャンスがあるから今回は行くのをやめるように」と言いましたが、甲子園に行けるチャンは何回も無いだろうと思い応援に行きました。
開会式は20日ごろだったと思います。
その年は寒く小雪が舞う中、開会式が行われました。
我校の試合は開会式直後の第1試合で、トランペットを吹く唇も凍えそうでした。
寒くて病気がぶり返すのではないかと心配しましたが、幸い大丈夫でした。
我校はベスト8に入り順々決勝まで進出しましが、市立和歌山商業の藤田平にホームラン2本打たれ敗退しました。
決勝は岡山東商業のエース平松政次と市立和歌山商業の四番藤田平の戦いになり、岡山東商業が優勝しました。
平松政次、藤田平は共に名球会入した名選手で、藤田平は阪神の監督も努めました。
*「名球会」:投手は通算200勝以上、または通算250セーブ以上、 打者は通算2000安打以上。
今年の選抜には我県から2校出場するので活躍が楽しみです。