My violin & My life/ Life is a Bumpy road

スタートラインはいつもそこにある!
Life is Impermanent.

皆様に感謝&練習♪Pf・M夫人の指摘&この2年間…

2007年03月09日 | 練習♪メモリ
やはりPf・M夫人の指摘は聞くべきです!!(勝手に通称作成・・・)
ラ・フォリアですけど・・・リズムが悪いので、深刻です。拍を伸ばしきれないと指摘され、気をつけてひいたらこんどはべったりした弾きかたで、自分が嫌いになりました。。やだやだ、ああやだ。


そして・・・。
気がつけば、あれから2年たってました。しかも2月10日。
ブログを開設した日でした。すでに過ぎましたが(笑)。
それで、色々考えることもありましたが・・・。頭の中がまとまらず、2月はあわただしく、これまでご挨拶もせずに過ぎてきてしまった…。(バイオリンは一応弾いていましたけど。)


なにやってたんでしょうねこの2年。


心境などは、またの機会折に触れてお伝えする事にいたしましょう。(ないかも。)

でもこれだけはお伝えしたい。
皆様に心から感謝いたします♪これまで読んでくださってありがとう。
ではさようなら。


じゃなくて、

また1年更新という事で、よろしくお願いいたします。。






ラ。フォリア最初のページ♪↓
練習中。
ひどい・・・・。すぐ消そう~。いつ消そう~?
追記
こんなのもあった^^;。
・・・。
↑こちらのほうは終了しました♪エアーウルフのお迎え
早すぎたかしら、誰も見なかったような気も。(~_~;)小心者。(笑)

CMでうるる

2007年03月08日 | 或る日或るとき
フレッツのCMでしたかしら・・・あの歌。
どこかで聴いた懐かしいメロディだわと思っていたら、

ゆみさんのブログで「卒業式の歌」の記事を読んで思い出しました。
うちの娘もその歌を歌ったのでしたよ。
「旅立ちの日に」

どこにもあるとは思いますが、娘の中学校でも毎年校内合唱コンクールがあり、休み時間などにも、クラスで合唱の練習するのが普通でした。
当日は制服を着崩したりしてあまり真面目そうでない男の子が、
ハスに構えながらもきちんと歌ってたり・・・。思い出すなぁ。いい光景でした。

卒業式が感動的だったのはあの合唱があったからかも。
娘のパートはアルトでしたね。息子の時は・・忘れたわ。今度聞こうっと。





CD整理

2007年03月07日 | 或る日或るとき
きょうもkaoはお休み日。
高校入試、面接の日。彼女の学校は面接がないのですが区域の他の学校にはあるので、なぜか一緒に、休みになっています。??。

久しぶりにヴィヴァルディの”四季”を聴こうと探したら、ケースに入ってなかった・・・。(悲)
DVDならあったので、そちらを再生しながら、CDの方も探すうちに,なんと、からのケースがたくさん。いっそのこと整理しました。
聴きたい時にケースを開けて、「ない!」のは悲しいですから。次々戸棚から出してしまいました。それほどの量はないのですが。

DVDは、”ヴィヴァルデイの風景・協奏曲集「四季」作品8”ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団。Vn~ジョナサン・カーネイ。
メリハリのはっきりした、ずいぶんと力強い四季。俺について来い、な感じだ~。(笑)
するとkaoがやってきて、「あ、いい曲。なーに?」
・・・なに?知らないの?「ユーメイな”四季”じゃないの。」
「弾いてみる。」
耳コピでちょこっと弾いて、「あ、弾いたことあった。」
・・・。忘れやすい人ねぇ。この親にして・・・ですか?ええ、あのこが小学生の時に、「日本の調べ」という曲の中で「春の小川」と「四季」をミックスした編曲のものを合奏したことがありました。
しばらくリビングではかけてなかったから、こんな有名曲を娘に聞かせずにきたのね。でもそこかしこで聴こえてくると思うのだけど。
彼女は少し楽器で遊んでから、ボウリングに出かけました・・・。遊んでばかりだ~~

ごぞごそ整理していたらお腹がすいたので、サンドウィッチをつくって一人で食べましたよ。
「四季」のCDが2枚見つかりました。イムジチのが1枚あったはずなのに出てきませんでした・・・。どこ~?
春になると聴きたくなります。いや、別に冬でも聴きますけど。


ハイ、ここで終わろうと持ったんですが。(~_~;)

ボウリングから帰ってきたkaoに”異変”。

急に、モーツアルトノソナタk304を弾きだす。
今度、今日会ったお友達の一人Mちゃんのピアノと合わせることになったとか。
Mちゃんのお母さんが、まえまえから「うちのMとkaoちゃんとでこんどミニコンサートするといいわね。」と言っていらしたのですが・・・。
Mちゃん曰く、「お母さんがいつするのって毎日言うのよ~。」
聞くところによるとおばあちゃんを呼んで、ホームコンサートを開きたいそうな。・・・。
慌てております、kao。
「CD聴いてみる!ピアノがどうなってるか。どこ?304!」

・・・。CDはあのように山積みで~。どこって。・・・。どこ。


高校入試の日

2007年03月06日 | 或る日或るとき
今日は北海道の公立高校の高校入学試験の日です。
今頃受験生たちはまだ試験問題をを説いているはず。

kao達は授業がありません。昨日夕方からから泊りがけで、部活の追い出しパーティがあり、朝、迎えに行ってきました。お菓子を買って皆でしゃべっているだけらしい。ゲームだとかのプログラムなんてないみたい。そういう催しを、彼女はあまり好きではなく、「行きたくない!」と言っていましたが、行けば行ったでわいわいがやがや楽しかったようです。高校になってからkaoは内向的です。
楽しい時間の間にも先輩の携帯に、だれそれがどこ大学に合格不合格と言う情報がひっきりなしにメールされてきて、kaoは近い将来の現実を身近なこととして垣間見たようですね。先輩後輩がいるという事はいいことです。いろいろアドバイスも受けたようです。

1昨年のkaoの受験の日は3月3日でした。(雛祭りにこだわるわね私。(笑))
「けっこういけたよ!」と言っていました。中1で友達関係が崩壊し必死で新しい友達を見つけて新しい信頼関係を築き、中2では不覚にも体を壊してしまい、精神的にもボロボロになってしまったことを思うと、それまでの道のりが大変だったので、試験に力を出し切れたのが意外だったことを覚えています。(無理過ぎるところは受けさせませんでしたが、それでもそこそこのところでした・・・)
でも、「きゃぁ~やったー!!」と言う合格の喜びは私だけで、本人は醒めていたみたい・・・。
おお、いつも私のからまわりか~。
上の息子の時も心配だったんですけどね。

息子数学が得意ではないのに理数科を受けました。入試の日…なかなか伸びなかった数学の試験の前の休み時間、前の席にいるクラスメイトが騒がしいので、息子は「静かにしろ。」と言ったそうです。息子たちの中学から受ける人数が多いせいか気が大ききなっていたのかな、しかもそのこは成績がトップに近い子だったので余裕だったのかもね。
するとそのこは後ろを振り向いて、余計なお世話だと言うようなことを言った後「ふん、下手なバイオリンなんか弾きやがって。」と言ったそうな。
息子逆上!「この野郎、こんな時になんてこと言うんだ!!ぶん殴ってやりたい!」と思ったそうな。でも、それは押えて仕方なく数学の問題を解くことに。
ひょぇ~~(@_@;)
機嫌悪く帰ってきましたね。

「あ~俺の最大のピンチだったぁ~」(笑)
合格したから、後からおやこでそれも笑い話になりましたが。

高校入試も過去のお話。子供たちは忘れてます。
それぞれもっと、大変なことを乗り越えなきゃいけないみたい。

高校受ける生徒さんたち、がんばってね。

あわただしい日

2007年03月03日 | 或る日或るとき
朝の日差しが少しずつ強くなってきています。
この冬の積雪は驚くほど少なく、いつもの厳しい冬を感じないまま春になってしまいました。
昨日で娘の高校の期末試験が終了。
思うような成果は期待できなくも、終了の開放感だけは味わっているようです。例年のごとくケース雛を飾ってあったのですが、喜んだのはお父さんだけで…(~_~;)
kaoはそれどころではありませんでした。
でも・・・。もうこの子と過ごす桃の節句は来年が最後かな。

毎年砂糖菓子のお雛様が乗ったケーキをなんとなく買っていました。太るのを気にしてか最近ケーキ類は食べないkao。じゃ、おすしをケーキのようにしてみようかな、と作ってみました。kaoはちらし寿司があまり好きではないので、いつも出前のにぎり寿司とおひなさまケーキだったんです。私は、雰囲気でないなぁと、いつも思っていましたけど。
錦糸玉子をつくると幸せ気分。真ん中の開いたケーキ型に桜でんぶを混ぜ込んだお寿司を詰めて、真ん中にマグロを置き、周りに錦糸玉子とかまぼこを散らして出来上がり。
結局お菓子のほうのケーキも買ってきて、テーブルに。あーこれで何となく賑やか。お吸い物・・・蛤、嫌い・・・な娘。鱈にしましたけど。殆ど世間の慣習ををはずしてますね。(笑)

しかし、娘は今日は部活から帰ってきて推理小説を読んだ後仮眠して、6時半の塾に行くまでにあわただしく食べてハイさよなら。9時半頃帰ってきて残りのお寿司とお刺身ををがつがつ。。

そういえば一昨年は3月3日は高校の受験日でした。
来年は大学受験が終わっているといいんですけど・・・。

何かしら思いいいれのある母ですね。



合わせましょう♪2回目

2007年03月02日 | 或る日或るとき
さて第二回目の練習です。「タイスの瞑想曲」と、「アベ・マリア」
今回は、「タイスの前半を完璧に」しようと言う目標にて・・・。
あ~、私ったら前より弾けなくなってました。気がついたらファーストポジションにしてたりして途中で戻して、ごまかしてしまいました~~。

でも、ピアノ伴奏ををしてもらうと、豪華ですね。うふふ。
弾けるとこはピアノの調べに乗っていい気分になるので、苦手な所にきてハッとするんです。

Mさん、微笑みながら「葉月さん、弾けてるとこはとっても音が響いて、いいわネ。」と、感心した風に言うの。
と、なんとも率直な~~~。そうです、弾けるとことそうでないとこの落差。
「そうか、自信ないとこはこんなにハッキリ音に現れるのねぇ~。私だと、ピアノはとにかく自信なくても音は出せるからね。音を作る楽器って大変ね。」と、彼女、優しい人なのです。
一回あわせてから、
今回は、お互いの譜面を照らし合わせて、協議。(笑)合わなくなってきても、元に戻せる箇所を見つけました。
「Mさん、ここ、チャンスよ!」と私が言うと、彼女爆笑。なぜ?

おお、Mさんからこんな指摘が。
「葉月さんここね、2分音符の最後がたりないのと、あ、それとここは伸ばしすぎて、次の小節で速くなってるの。」
あ~やはり。あせって帳尻を合わせていたらしいとこ、露呈。
バイオリンのレッスンでもネックになってる、リズム感の悪さです。

Mさん曰く、「ある演奏会で兄がフルートでタイスを吹くことになったの。こないだ遊びに来てここで練習してたの聴いてたらね、やはり兄も2分音符の最後とか、スラーで8分音符にかかっているところを飛ばしたりしていたわ~。早く次の音を出したくなるのかしら?」
・・・ど~なんでしょう~~~(T_T)/~~~

フルートで弾くタイスの瞑想曲。どんな感じでしょう。
どなたか弾いてみてくださーい。(おほほ、暗に指名しているような気もする?いやもちろん急がなくていいですから。やけに具体的)


バッハのアベマリアも少しあわせました。
なんとMさん、歌ってくださいました。皆でよく、歌を歌う家庭に育ったのですって。

タイスの前半だけ一回録音してみましたが、あまりに悲惨なので2人でゲンナリ。声が入ってしまい、ちょっと笑えるんですが・・・。
Mさんが緊張してしまい、間違えたりして一人でショック受けてましたね。
「カメラ回ってると思っただけで~~~どうしてかしら?」
私は私で前奏の間ぼさっとしてて弓の準備してないし。途中から絶叫型タイスの瞑想曲になるし。

次回は来月になります細く長くお付き合いさせて頂きたいです。。Mさん…

2月のレッスン2回目/2月26日

2007年03月02日 | さあレッスンへ!
重音が出来なくて出来なくて、日夜練習してきたわりには、いい結果が出ない!
でも弾き慣れてはきたかもしれない~。(どんなん~?)

<SEVCIK~op1-Part2> 〔5・16.24・32〕
<小野アンナ教本>p27に戻り最初からもう1順する。今度は流暢な音階を目指す。意気込んだけれどあまあまあでした。
<コレルリ/ラ・フォリア>1,2ページ&3ページ目上段半分(新しいバイオリン教本5)

意気揚々と弾いた1ページ目。
半分で止められる!
すこーしずつ高めの音になっていっているとの事。これが「上ずってくる」、という形。自分では気がつかない。

2ページ目の重音部分。
4分の3拍子。重音1個+8分音符の小節と、重音1個ふくむ3連符3回の小節有り。3連符のところが「いきなり速く」ならないようにとの事。

そのほか、2拍+8分音符のところ、8分休符の後のシンコペーション・・・など、リズムをきちんとしなくては・・・。・・・メトロノームさんよろしくです・・・。「だいだいわかったみたいだけど、もう少し完成度を高めてね。」
・・ハイ。少しだけ。


少年ジュード・・・そして希望の歌へ

2007年03月01日 | 或る日或るとき
続く、なんて書いておきながら、放りっぱなしになっておりました…。
少し風邪気味だったのと、レッスンを控えてラ・フォリアの練習を、泣きながらしておりました。

興ざめになりますが続きを書きます。
・・・青字は訳ではありませんので悪しからずご注意を。読みながら私が思ったことですので。娘のノートの助けを借りて読みましたよ…。でもここは訳が抜けてて…。(役に立つようでたたないのね…簡単だから書かなかったとかで。ズサン。)

Another "Hey Jude"  
(略)......
Jhon rennon had divocrced his wife Cynthia, and married Yoko Ono.
あ、そうだったんだ…、divocrced…離婚したとは。ジョン・レノンてヨーコとは再婚だったのね。

Jhon’s band partner,Paul McCartney,was especially worried about Jhon and Cynthia's only son, Julian.
One day,Paul drove to visit Julian and Cynthia to give them support. While
driving, a song started to from in his mind.
ポールは優しい…。どんな気持ちだったんでしょ。シンシアとも親しかったのかしら。心配してくれたんですね。

He began to sing "hey jules, don't make it bad, take a sad song and make it better..."
まだ子供の、男の子にかける言葉が、歌なんだけど。英語だと、同じ目線、同じ位置、にいてくれる感じで、さりげなくて、でもグッと、くるものが・・・

Cheer up, jules. your parents are divocrce. I know sad you are. But you'll be all right.
元気だせよ,って、ここ、kaoの好きな場面。(^^)v
Later "jules" was cheanged to Jyulian's nickname, Jude. thus "Hey Jude" was born and became The Beatles biggest hit.
(後略)

という感じで読み進みましたが、私には男の子が、じっとポールの歌を聴く姿が眼に浮かんできて、(きっとまだ幼かったと思うのですが…。)ほろりとしてしまいます。両親の離婚で少なからず傷つき、悲しみに押しつぶされたであろう男の子の未来を気遣う…素朴な激励。そっと隣にいてくれる人のの暖かさ。そういう諸々を感じて。
ジョン・レノンて、息子さんがいたんですね。私はこの教科書の文を読むだけで何も調べていませんが、彼の離婚とか、オノ・ヨーコとの出会いなど、そのあたりのことは今までにたくさん書かれているのでしょう。

「ヘイ・ジュード」は、このようにして、イギリス人の男の子を元気づけることを意味したものでしたが、それが後になって、ソ連支配化のチェコスロバキア人を励ます歌になったのでした。

チェコの人気歌手マルタは、おりしもこの歌が”チェコのための歌”のように感じたのでした。

”Hey  Jyde, life is  marvelous.
But it can sometimes  became   cruel.  But nevertharess you should  remain  positive...”
ねえ、ジュード、人生は素晴らしい。しかしそれは時々残酷になることもある。でもそれにもかかわらず、あなたはまえむきでいるべき・・・といった意味かな。

NHKではこのような歌詞。(from ぺんぎんさん)
人生はすばらしい。でも、時に人生は残酷なもの
でもジュード、自分の人生を信じなさい

この歌の歌詞の中で、マルタはソ連に強く抗議し、それはチェコの人々だけが理解できる秘密のメッセージのようなものだったのでした。1970年、マルタは国家の圧力を受け、"ヘイ・ジュード"を歌うことを禁止され、抵抗を続けた彼女は30代から40代にかけての、19年間ものあいだ貧しい生活を送ることになったのです。
でも彼女は・・・未来を信じ続けました。

1989年。ベルリンの壁が壊れた時、マルタは集会で歌うことを頼まれました。学生達と共に講堂でのコーラス。
そして多くの人々が、何年も前の歌を覚えていたのでした。


と、細かな所は割愛してしまいましたが、,だいたいそんなことが書いてあったわけです。。(比較級、be+to不定詞、as if +仮定法、なんていうのをここで学ぶことになってるみたいですけどね。)

さらりと書かれた教材の文面でしたが、それがかえってストレートなかたちで心に響いてきました強い心と未来への希望。それは、苦しさや悲しさをそっと受け止めてくれる、人の心の優しさに支えられて、保ってゆける。生きる力とは…強いだけ優しいだけではなくて、それらが幾重にも組み合わさってこそ、苦しさを克服していけるものなのですね。強さとは・・・を考えさせられます。
"ヘイ・ジュード"のメロディーは、暖かい。