ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

1967+1+20

2015年05月28日 20時59分40秒 | まんまねーさん
1967+1+20=1988

1+9+8+8=26

2+6=8


「8」でした。


あたしゃ「大物タイプ」ということで。


権力には巻かれないけど、わざわざ権力に逆らう気持ちはない。(←左翼みたいな○幼稚っぽさ(×子供っぽさ)には甚だ寒気が…ホントに生き方のセンスがなくて怒り(←呆れすぎた)すら沸くっつ~~~か・・・(すんませーーーーっんっっ苦笑))

「この権力ダメじゃ~~ん…」と思うと、権力下にいながら潜って泳いで別の何かを探しに行っちゃうタイプ。


てへペロ。



あ、そうだ。

あの方、

「私は大物としか仕事しないの。してきてないの。
そういう小物は放っておけばいいの。」

っていうあの方(←まぁホント「大物としか仕事してきてない」って言葉にウソはないんだけどもさぁ・・・。)、

オバチャマも“大物”だから何かが引っかかるのかしら~~~なんちゃって~~~ぇぇぇ


てへペロ。

好きな物って無くなってきているかも。

2015年05月23日 22時33分13秒 | 考えるねーさん
今って、膨大な情報の中から“あいまい”に検索しておいて、

「高い~安い」で並べ替えて、口コミをチェックして、買う物を決める、

っていう手法って結構浸透しているようで、それにはスマホが本当に便利なんだそうだ。


オバチャマがスマホからガラケーに戻したのは、

「すでになんでも目的が決まってる」

っていうあたりが違うんだなぁ・・・と痛感。


まず簡単に言えば、例えば洋服を選ぶにあたって、ブラウザなどでいきなり、「ブラウス カワイイ」という検索なんかはやらない。
楽天でもやらない。(つか、楽天は使わないんだなぁ。っとに。)
ひっかかり過ぎてムダなものをスクロールして見てる時間がもったいない。
目もチカチカしてくる。

あえてインターネットを利用する場合は、この店(ブランド)とか、このファッション誌(好みの傾向あり)とか、この好きなファッションサイトとか、そういったインターネットサイトを渡り歩いて選んでいく。
自分の目的のもの(好きなもの)は日々の観察と自分の好みの感覚で決まっているからだ。


好きなんだから安いも高いもない。
高かろうがそれを納得すれば買う。



けれども「膨大に検索しておいてソートして決める」っていうのは、「ここのこれ!っていうような、好きなものがないのかなぁ?と不思議でならない。


「どれ買ってもそう変わらないしさ。検索してソートよ。好きも何もないよ。人から「変わってるね」って言われなくて、一番失敗しないものでいいの。安くて。」

っていうふうな変化はいらないよなぁ。(家電であっても。)


フリーズする脳

2015年05月23日 21時05分11秒 | 掘り出ねーさん
ゲーム脳とか、ロジカル脳とか、言葉の使いや意味解釈が○狂って(△間違って)きてたり(←脳の使い方に関係してると思う。)、、、なんか顕著な昨今、さんざん読んで一度捨てた『フリーズする脳』という本を再度購入した。

「脳のどこかを完全凍結させてないかぁ?」と感じることがあるから。

世間は「脳にいい食べ物」という観点の情報や、脳を科学的に分析してみたりだとか、そんなことが過多で、習慣づけとかそういう話題が少ないんだよねぇ。

改めて読んで、気になるところをピックアップしよう。


「脳はボケるようにできている」
これは脳の機能低下で加齢により避けられないもの。
年をとるとみんなボケてしまう、という意味ではない。
むしろ逆で、脳は正しく使い続ければ、何歳になっても、かなりの若々しさを保つことが可能。


記憶、思考、感情、注意、認識などの能力の著しい低下が「ボケ症状」。
ボケとは脳が壊れることではない。
その点でケガや病気などにより脳を損傷したことが原因となる認知症とは区別して考える必要がある。
器質的には何の異常も認められないのに、脳の一部、あるいば大部分が眠ったような状態になってしまうのがボケ症状。


認知症は高齢になるほど発生しやすいと言えるが、ボケは若くても起こる
近年では、まだ二十代、三十代の若者が、この症状を訴えて外来を訪れるケースが目立ってきた。(この本が出たのが2005年。)
この傾向は、おそらく、社会の大きな変化と関係している。


脳は環境によってつくられている。


環境が常にバランスのいい訓練の機会を与えてくれるとは限らない。
特に現代人の生活には、脳の使い方を偏らせる要素が多分にある。


たとえば、一日中パソコンで向かっている仕事
隣の席との間はパーティションで区切られ、耳にはヘッドフォンを当てて音楽を聴いている。
コミュニケーションは基本的にメールで行う。
思い出す代わりのようにインターネットで検索する。
計算などの雑多な思考作業は道具に任せる。
仕事を終えて家に帰ってくると、家族と話すこともなく、テレビを見て寝てしまう・・・
こういう環境の中では、脳は、ある種の訓練の機会を劇的に失っている可能性がある。



ボケというと、何か特別な原因があって起こることのように思われるかも知れないが、そうではない。
環境の中に脳をボケさせる要因があり、本人がそれを補う努力をしていなければ、人は簡単にボケる。


脳を使いすぎるほど使っている若者や働き盛りの人でも、使い方が偏っていれば、ボケは発生する。


ボケ症状をどんどん深刻化させていくとき、多くの人は、不思議なほどそのことを自覚していない。まるで「裸の王様」のように、自分ではまったくおかしくないと思いながら、以前の自分ではなくなっていく。ボケにはそういう怖さがある。


ボケは甘く見ることのできない問題だが、治らない病気ではない。
どんなに重い症状でも(脳が器質的に壊れているわけではないなら)、本人の自覚と適切な治療によって必ず改善していくことができる。


ボケは、ある日突然起こるものではない。
必ず入り口の段階がある。
その「ボケの予備軍」とも言える状態(今、そのレベルにある人が、社会的に非常に増えているのではないかと感じる)が、「フリーズする脳」


パソコンで何か作業しているとき、いきなり機能が停止してしまう、操作不能に陥ってしまうことを一般的にはフリーズというが、英語で「freeze」と言えば「凍る」という意味だが、文字通り凍ったように、コマンドを受け付けなくなってしまう状態。
パソコンを使ったことがある人なら、誰でもあの瞬間のもどかしさを経験したことがあるでしょう。


あれと同じようなことが、脳で起こったように感じる。
つまり、脳のある機能が思いがけず働かない瞬間がある。
たとえば、人に話しかけられたときにうまく反応できない。
言葉がなかなか出てこない。
思考がすぐに途切れてしまう。
よく知っているはずの人や物の名前が思い出せない。
メールを送ろうとしてパソコンに向かったものの、何を書こうとしていたのか完全に忘れている。
電話で人の話を聞いた直後に、もうその内容が頭から抜け落ちている。
当たり前にできると思っていることが、できない瞬間。
あのもどかしい状態を本書では「フリーズ」と呼びます。



フリーズは脳に問題がない状態でも起こる。
が、最近、それが頻繁になっている、フリーズしている時間が長くなっていると感じることはないでしょうか?


先に挙げたような現象は、日常のささいな出来事として過ぎていってしまうでしょう。
しかし、なぜそういうことが起こったのか、なぜフリーズする時間が増えているのかとういことを検討していくと、その人の置かれている環境や脳の使い方に問題があり、ボケの進行が始まっている場合がある。


パソコンでも、たまにフリーズが起こるというのはたいした問題ではありませんが、それが頻繁に起こるとしたら、原因を究明し、対策を講じる必要がある。脳も同じ。


つづく・・・










今日突かれたお言葉・その1,011

2015年05月23日 18時15分30秒 | 突言葉ねーさん
企業も「セクハラ講習」とかやっていくらお金使ってるんだか知らないけどさぁ、
いったん職場女性みんな「45歳以上くらいにしちまえ~~!」ってもんだよ。
上手に交わすだろうし、上手にたしなめるだろうし、逆に「これやったらダメなんだ。怒られたっ・・・睨まれた・・・っ(あの人に逆らったらここにいられない・・・ヤバイ・・・)」って男も身にしみるだろう。



仲間内での会話の一部。


ごもっともかもしれません。(笑)

おまけにですね、

「セクハラ講習(モラハラ講習、パワハラ講習・・・)」

でお金儲けしている人に荷担してるだけみたいなところもあってですね、この傾向。

「セクハラ講習(モラハラ講習、パワハラ講習・・・)でお金儲けしてる人が一番腹の中ではセクハラ・モラハラ・パワハラする人達なんじゃないの?(←わざと因縁つけてます。ハイ。(笑))
法にひっかからないようにするだけの立ち回り方だけ頭に入れてるだけでさ!フンッ!!」

って疑問すら沸くこともあるんですよね~。



紫陽花の季節

2015年05月23日 17時01分22秒 | 味わうねーさん
薔薇が散ると、紫陽花が咲き始め。


見頃はもう少し後ね。