ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

データベース作りと編み物

2007年05月25日 08時47分44秒 | 味わうねーさん
は、似ている。

だんだんとかたちになっていく高揚感?

ゲームみたいに攻略していくのとちと違う。
ゲームは理屈の上で踊らされてるでしょ?結局。
だからあんまり興味が無いっていうか…。
そこを楽しむんだろうけど、身体の中から欲求が沸かない。

編み物とかデータベース作りは道具を揃えて、素材を揃えて、後はひたすら自分が思い描くかたちにしていく。

それだから、その日のスイッチの入り加減で、疲労感とか面倒臭い感じに苛まれるんだけど、いいスイッチが入ってのってくると「あともうちょっと!」と止まらなくなる感じ。似てるんだなぁ。

「あー面倒臭い!もうやらないぞ!!」と感じることがあっても、忘れた頃に身体の中から欲求が…。「あーん、もーっ、やめられないっ!」みたいね。

そして今編み物やりたいモード全開なねーさん。
なんで立て込んでいる今なのよ。(笑)

/(.^.)\あゆモバ

いやらしくないんだよなぁ

2007年05月22日 22時46分25秒 | 観察屋ねーさん
前をあるく外国人の女性。

うわーぉっ!
白の麻のパンツからもろに透ける黒のTバーックっ!!
Tの脇のお尻がプリップリ!!!


外国人はなぜかさまになっちゃうんだよねぇ…


♪Wow girl Sexy~ byクレイグディビットのJust chillin'

/(.^.)\あゆモバ

くよくよが怒りへ

2007年05月22日 21時53分51秒 | おもうねーさん
「くよくよ悩む男性は長生きしないらしい。」という情報を仕入れる。

まぁ巷では老若男女問わず昔からそういうことを言うよね。


なぜ男性なのかってところがポイントで、男性は「くよくよから怒り」に感情が移りやすいんだそうだ。女性はそうとは言い切れないんだとか。


ねーさんも「怒り」がパワーになっているところがあった(そう、もう過去形…(笑))が、けしてくよくよ悩んだ末の怒りじゃないんだよなぁ。
「へらへらして逃げ回る男性への怒り(`ε´)」
これだろーか。

「くよくよしててもしょうがないよ。」と言われた記憶が無く、「不満があるならやらなきゃいいじゃない!」と言われることしばしば…確かに、確かにそうなんですがっ!!(笑)

とにかく「怒り」は身体に良くないということで、肝に銘じよう。

/(.^.)\あゆモバ

ツマラナイ人間だ

2007年05月22日 21時13分05秒 | おもうねーさん
と思う、確かに、ねーさん。

だけど「かなりおふざけがすぎる人間だなー」とつくづく実感している今日この頃。


怒られないように気をつけなきゃ。うしー
そこは愛嬌でカバー…あ、それも欠け気味…

/(.^.)\あゆモバ

本日は映画鑑賞~

2007年05月20日 22時25分52秒 | 観たぞねーさん
今日は「俺は、君のためにこそ死にに行く」を観ました。
はい、それは言う迄もなく、窪塚君を遠くよりずーっと見続けているねーさんとしてなんですが。(笑)

それはそうと特攻隊。
お国を守るために敵艦に自ら突撃していった彼ら。
この時代にこの役目を志願して出撃していった彼ら。
この事実は事実として受け止めるけれど、こういう策で国を守ろうというトップの考え方はやっぱりどう考えても恐ろしい。
それに対して志願する若者がいたという事実もなんとも言葉にできない気持ちになる。

「何のために死にに行くんですかね。」という特攻隊員の言葉。
ここで思わず「ポロポロ」っときてしまいました。
志願していながらこういう矛盾を抱えつつ突撃していかなきゃならないなんて。
「志願してんだから死にに行くのが当たり前だろ?」なんてとてもとても言えないですよね。切なすぎる。

この映画は戦争がどうのこうのとか特攻隊の精神がどいうのこうのと言う事を伝えたい訳じゃなく、こういう事実を語れる鳥濱トメさんって人のお話を映画にしただけの映画、そんな感じでした。


ねーさんの祖父も90を超え、戦地に出向いて死なずに帰って来れた一人だ。
中学生の頃だったか、軍服を来て与えられた馬といっしょに写っているセピア色にあせた写真をみせてもらったことがある。
祖父は一度も戦争のことを積極的に話す事が無い。
その写真を見せてもらったときも「この馬が可愛くてな。」と馬の話だけしてくれたのを記憶している。「わしが世話した馬が他の誰の馬よりも一番長生きしたんだ。」ってそんなことを言うだけ。
こちらから「もっと詳しく聞かせて!」とせがんだ事も無い。
どうしてだか不思議だ。
もしかしたら戦争経験者である祖父はあえて自ら言う必要性も感じていないのかもしれない。
悲しすぎて惨すぎて言う事が出来ないのだろうか。
祖父は地域の戦友会だかの幹事をしばらくやっていたと記憶している。
生きているうちに祖父の戦争体験談を直にくまなく聞いてみたいな、と思っている。