平成元年あたりから宮崎県都城に自分が所属していた部署が拡張され、東京と横浜と都城の3拠点での共同作業が始まった。
大枚を叩いて会社は横浜都城間を光ファイバーの専用回線を敷き、データの直接送信が始まった。
まぁしょっちゅう送信途中に切断されるのでまるで使いものにならず、マジで仕事の段取りに支障アリアリで、
毎度上司に「なんとかならないか!」「仕事が段取れない!」と怒っていた気がする。笑笑笑
光ファイバー専用回線は仕事の充実拡充の為っていうのは世間的体裁なだけ、
本質は会社を大きく見せる為(身の程知らずだわ)の宣伝材料に敷かれたようなもので、
度々得意先数社の有名企業様達を見学に呼んでは「上層部、悦に浸る」そんな光景を見せられては、
(大丈夫かよ、ゲンナリだぜ、なんなんだよ、この急展開よ?
○無茶苦茶(✖️めちゃくちゃ)だぜ?)
当時の正社員間(派遣社員もかなり在籍していたが裏事情知らないからねー、なんだろね?くらいだったでしょーね。)は皆でこんな気分になったものだった。
まだインターネットで繋がっていない頃の日本だったから、電話やファックス(24時間ずーっと複合機から紙が出力されてる感じ、都城は24時間体制3交代勤務でDTP業務を行っていた(海外も絡んでいて時差を埋めるため))でのやり取りが主。
会議なんかよりお互いに出張しあいあって連携取っていた感じ。
顔を見て連携取るには出張みたいな風。
そこに後を追うように中国にも拡張。
中国とのやり取りも始まり、もうこの頃は社内の雰囲気最悪。
現場も無茶苦茶を表面合わせで何とか誤魔化してる風なだけになっていき、、、
私はこの頃、別のグループ会社(編集翻訳会社)への移動の希望を上司に匂わせていて(匂わせ女子)、「行ってよし!」と叶えてくれたはいいものの、
こちらも必然的に本社の波をかぶる流れとなり、海外展開に発展、
24時間誰かしら(女性ですら)オフィスにいて、国内海外とのやり取り、一日中複合機から紙が出力されているような忙しさになり、
やっぱり会社の空気最悪、、、
お互いに疑心暗鬼感ダダ漏れ、、、(この急展開の意図がわからない、流れに加担してる奴はだれなんだ?的な)みたいな空気に変化。
この後少しして、心底呆れ果てる事件が勃発(あの部長、実は○○人だったんじゃないかなぁ、日本人にも西洋人にもない頭の使い方(人柄的に妙)するのだよね。元ソ○ーの方だったんだけど。)、私も辞めた頃だ。
まぁ、まずこれが私の遠隔地との共同作業その1。
次、転職後の会社にて。
2000年の頃だから平成12年頃だ。
風穴開けるべく社長始め皆で頑張っていた件がイギリス商社の目に留まり、ビジネス展開が始まって、
「さて、イギリスの商社担当とのメールやら電話のやり取りをどうするか、じゃあ、通訳雇おう、遠隔地にいる人でいいじゃん」
という展開になった。
沖縄在住でイギリス人の旦那様を持つ女性に通訳をしてもらいながら、日々のやり取りが始まった。
イギリス商社担当には沖縄の方もうちの会社の担当者として立ち回っていただいたので、沖縄の女性のところにメールが行くようにし、女性がまずメールの内容や微妙なニュアンスを電話やらで確認した上で全文翻訳して私たちに転送する、そんな風にやっていた。
彼女は非常に細かいニュアンスをも気を使って先方に確かめつつ内容を伝えてくれた。
「通訳者や翻訳者はそこそこお目にかかってきたけど、こんな感じでお気楽に自由に暮らしながら仕事受けてやってる風な人のほうがよっぽど気が利いてるな。」
そんな風につくづく思った。
そして遠隔地の知らぬ方と上手くやり取りやら段取りが進むかしらん、、、と心配もあったが、全く問題はなく、
一番の問題は、
「イギリス人は平気で1か月くらい返事をよこさない。
こちらの緊急はあちらの緊急ではない。
私たちはノープロブレム、あなた方の問題だけよ。」
っていう気風の点であった。爆笑。
冷静に俯瞰で見るとイギリス人の動きは無駄がないのだ。
さすが戦い抜いてきている国の人たちだ。
真に戦略を練るのが慣れているのだろう。
「実はせっかちで無駄を生んでるの日本人だけ?」といたく痛感して、
「早くやろうがのんびりやろうが最終的結果は必然と同じ、取り分も同じ。節操なくないし、質素やし、紳士やな。なるほど。」
ということを学んだ。笑
次。
海外支社(主にマニラ)、海外企業(アメリカ)の方々との共同作業。
船の衛星通信開通に関する公的手続きやら通信機器の設置、衛星通信サービス(日本ならKDDI、海外はあそこ、アメリカの、ど忘れ)との契約、通信費の精算事を進めていく作業。
もちろん英語で電話やらメールが入り英語で確認ごとやら要求が入る。
私は取り次ぎをやっとこ出来る程度なので、会話は英会話が出来る方に振って、という感じ。
メールくらいは辞書やら翻訳機能やら他者のメール文章を参考にしたり、アドバイス貰ったりでなんとかなっていた。
(社風として「英会話なんて直接話して後は空き時間にNHK英会話とかで勉強して慣れてけばそれでいいから頑張ってみて!みんな現場叩き上げ、そんなもんだから。」の社風だった。)
しかしマニラのクルーの方々は実に気さくで、ニュアンスを察する感じが日本人と似ている感じを受けた。
アメリカ人はアバウト過ぎて(←計算できてないでも平気)、皆でいつも「どういう理屈でこうなるんだ?」と頭を抱えていた。笑
休日が異なる点やら時差やら出航時間の関係もあり、休日出勤も年末年始出社も早出残業は当たり前な環境だったが、そもそもがそういう生業なので、皆文句もなく、淡々と、トラブルもそうはなく、日々の業務を実行している感じ。
(問題アリアリなネーサン達はいて大変だったが笑、会社的には問題無し。)
次。
このコロナ騒動によって半強制的に皆で遠隔地にての共同作業の開始。
なんかねー、世の中があの頃とはまるで違うんで暇でしょう?(それしか知らない人には通じないでしょうが)
仕事ってより皆で勉強会やってるような気分。笑
インターネットの便利さがなんだか逆に○複雑さ(✖️面談臭さ)を生んでるよね。
暮らし方すら変えて馴染むようにする、みたいなさ。
ここに来ての遠隔地にいる者同士の共同作業は「皆が一斉に自宅に引っ込まされた点」が大きな違いなんだけども、
自分の経験から行くと、通訳として一緒に仕事をしていただいた沖縄のあの女性は、2000年の頃には日々毎日自宅にいつつ、通信手段を利用して仕事を受けて、家の中の生活をしていた訳だ。
顔が見えない文字だけのコミュニケーション(場合によっては電話による声のコミュニケーション)だけだからかも知れないが、
すごく「感じとる」「察する」っていう部分が長けてるな、と思った。
通訳や翻訳にもそれが出ていた。
触れてる側にそう感じさせるんだから、こなれている方なんだと想像した。
「顔が見えないコミュニケーション(遠隔地コミュニケーション)はある程度精神的にこなれてからやらないと、なんだかいたずらに疑心暗鬼な空気を作ったり、変に探り合いになる。
(コミュニケーション障害(感じない、察しない)で「気にならない」のはひとまず横に置いておいて。)
だから「在宅勤務を誰しもが」っていうのも無理が来るだろうなぁとも思った。あの時に。
今、2020年。
「感じとる、察する」が出来ない人がやたらに増えているのは確かだと思う。(私個人の30年の個人的体験とか観察)
それなのに皆が一斉にテレワークを強いられる先を想像すると、ちょっと「ゾワっ(恐怖)」ってする。
新たな何かが勃発する気がする。
電車のラッシュが解消されても(これは即座に実現して恒久的にそうであって欲しい)、別の何かが勃発する気はする。
うーん、感じ合えない察し合えない者同士がさ、遠隔地で顔を見ないまま、触れ合いのないままことを進めたらば、
「こんなにとんでもない物体(現象)を作ってしまっていた、、、時すでに遅し。」
なんてさ。
映画じゃなく現実世界で、
「人間 対 人形ロボット(生身の人なんだけど病持ち)対決」
って本当に出てくるんじゃないかな。
早くターミネーターあたりで描いてくれないかな。
どうなるかな、この先の世の中。