ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

話せば話すほど的が外される会話

2017年02月23日 21時22分06秒 | 観察屋ねーさん
話せば話すほど的が外される会話

あるあるパターン。笑

いくらどんなに言葉をならべ、数字を並べ、絵を見せても、的は遠くなるばかり。

あるあるパターン。笑


最後には各自が納得したいだけのことを延々言い合って、なんとなくその火が鎮火したところで会話(終いには言い合い)終了。


極数人だけが、

「だーら、この議論さぁ、的外れというか、的すら気にしてないからこーなるだよ。何したいのよ?
何をしようとして話をしてるかわかってる?
みんなでワイワイ盛り上がりたいだけ、日々の愚痴の言い合いなら勘弁してくんないかなぁ。
論点はあってようが、的だよ、的!
こんなの酒の場ででもやってよ。

もー時間返せー(失笑)」

と、トホホになる、あるあるパターン。笑

状況構わず「みんな一緒に」的な親切風なやつ

2017年02月23日 20時20分09秒 | 観察屋ねーさん
あれはなんなんでしょうか。

この状況はあの人一人にやって貰うのが一番!
みんなでやればかえって○ややこしくなるだけ(×難しく)だから!!

って状況があります
よね。


で、そういう状況を観察して読んでわかってる同士が、

「あー、あたたた、、、(トホホ)
いらない、その親切なんだか、自己アピールなんだか、、、」

と思いつつ、その気遣い的な潜在的自己アピールを無碍にも出来ず、

「ありがとうね、だけどいいよ。
あなたは自分のことしてて!
ホントに大丈夫だから。」

と言う展開になりますよ。



すると、

「大丈夫、大丈夫!手伝うわ!
私も手伝わせて!」

と、さらにひかなくなる展開
に。


わかってる同士が、

「だーらー。
うー、参った、この鈍感野郎、、、
あのねぇ、あんたはこの場は引っ込んでくれないとかえってグタグタになんですよ、見てりゃわかるよね。」

と心の声がダダ漏れに(表情に)
なります。


(あの、これ、「仲間はずれにする」とか「好き嫌いの問題」とは違います。
中にはこれだけのことでやる人もいるでしょうけど。)



私はこういう状況に関わってしまうと、まず、

イラっとしてこの人にキレかかる人がいないか?

(無駄な)説教をしだす人がいないか?

をさっと観察し、

そのいらぬ手を出してきた人のいらぬ作業を横目に、

「ここだけやりゃいいのよぅ、うぇーん。
なんでわかならいかなぁ、、、
とばっちりで他の人までグダグダになるのは御免被るから、さっさと片付けさせてもらうよー」

と思いながら突いた部分をさっさと片付けちゃいます。

一緒にやっていても、必要な部分が片付け終わってることもわからず(聴いてない。観てない、「終わったよ」と言っても自分が納得しないのかまだやってる。)、まだやり続けてたりすると、

後はイラっとして説教したい人にその人を任せます。


あぁこれがですねぇ、、、
どうしようが治らないんだぁ。
なんだろう、気の毒なんだけども。



おそらくそこを指摘してくれる人に出会ってない(自分からそういう鋭い人に関わらないように立ち回ってるから、指摘されて治すキッカケもなくしてる。)からなんだと。


人生の諸先輩いわく、

「叱られたことのない馬鹿は治らない。
人に「こいつを叱るだけ無駄」と思わせるほどの馬鹿はいない。だから救えない。」

ってやつ。(←酷いとかということとも違うと思うよ。)


だから私はこういう時は「○スルー(×無視、×イラっ、△呆然、、、)」という親切心で関わるようにしている。

元気付け上手にはなりたいが褒め上手にはなりたくない。

2017年02月23日 19時47分56秒 | 2種分ねーさん
褒め上手に、

「うわぁ、、、
嘘と社交辞令と自分を悪く持っていかない術がよう出来てるだけだ、、、
ゾゾゾ、、、
私には簡単な褒め言葉は不用だからね!」

となる自分なので、

元気付けが上手い人を意識して注目してみよう。

あとは自分もそこを洗練させたいなぁ。

タフという言葉

2017年02月23日 18時40分28秒 | 観察屋ねーさん
「あなたなかなかタフね!」

よくある褒め言葉的なもの。



誰かが誰かにそう言っているのに遭遇することも案外ある。


度に、

「えっ?
えっー、あの人をタフと言うのはどーでしょーか?」

と、心の声が自分の中でこだまする時はないだろうか。



つまり、ぶっちゃけ言ってしまうと、

「あんたはかなりバカだから(トホホ)、何にも気がつかないし、何にも理解しようとしないで、ケロっとしてられるあたり、このまま生き残れるでしょう。」

っていう意味合いの「タフね!」があるから
だ。

まぁよく言えば鈍感力といいましょうか。
だからヘタれない。だって気が付かないから。



私も私のまわりも「タフ」っていうのは「何事も果敢に○チャレンジ(×トライ)していける人」を「タフ」と評するわけで、上記のような捻れた表現の「タフ」はない。
↑タイプはずはりフィルターがかかってしまうので、話題にもあがらない。
だって気にして相手をする時間がないから、、、(残酷というのとは違うと思うよ。)

社長という座に対する素朴な疑問

2017年02月23日 18時13分55秒 | 考えるねーさん
「有名大企業で社長になりたい」という願望がある人(創業者、創業者一族覗く)というのは、何の意識でもってそういう気になるんだろうか?

私には以下の理由しか見当たらない。

単なる無知(学校の勉強以外の無知)からの「やってみたい」欲の暴走



名誉欲

支配欲

ゲーム感覚


注、とにかく創業者と創業者一族はのぞく


私は長く社会人をしてきて、ホントにこの疑問が渦巻くことが多くなるばかり。


で、こういう動機でのし上がった社長の会社に従業員でいることも常に不安を抱く。
(ちなみに私は創業者社長の会社でしか正社員をしたことない。←初就職から“ここ”に気を付けていたのはある。)


私は仕事して金を稼ぐのには「個人事業主が一番いい位置」だと思う。
それがまぁ頑張り次第で大きく発展していったにせよ、(創業者はじめ従業員全体の)気配り目配りが行き渡る限度は100人が限度だと感じている。

「100人の会社が沢山出来たらきっとそれは皆が自立した面白い世の中になるだろう。その中での競争はきっと楽しいだろう。」

とつくづく思う。