トライしてるはいいけど、挑戦とはなんか違うことしてんだよね、、、
と、疑問が湧くことをしてる人(企業)っている。
「トライ=試し」なわけで、トライする人ってまず最初に何かしらのロジックを見つけたり、参考書を見つけて、
「この通りにやれば私もなんとかなるかも!なるはず!」
なんてやってる傾向がないだろうか。
「なんだこのロジックダメじゃん、なんだこの有名な人の参考書ダメじゃん」
と、失敗を他人のせいにして、また何か参考になるものを探すことに夢中になっている。
下手すりゃ、
「何事もトライ&エラーだ!
失敗を恐れずに何度もトライしよう!」
なんて、役付のリーダー的な人がみんなを勇気づけようとしたりする風景にも出くわす。
「ここどんな新興宗教の集団?」って思えちゃって少し寒気すらするような。
「洗脳の時間ですか?」みたいな。
このような風景は私の目には、
「気ぜわしく狂ったロボットとロボット管理するザコ博士」
ように映るんで、哀しくなるのと同時に、どうしようもない虚無感にとらわれる。
ホントに世の中の「挑戦」はどこに行ったんだろ。
簡単にはぶち破れない壁にぶち当たったり、
急坂を駆け上らなきゃならなかったり、
突っ走って駆け抜けなきゃならなかったり、
こういうことは必ず遭遇する。
挑戦に失敗もエラーもないはずだ。
これをしなきゃ結局は「次の新しいこと」は生まれないんだよなぁ。
「トライ&エラー」はそこでグルグル狂ったように動きまくってるだけ。
螺旋は描けないんだよなぁ、、、
と、疑問が湧くことをしてる人(企業)っている。
「トライ=試し」なわけで、トライする人ってまず最初に何かしらのロジックを見つけたり、参考書を見つけて、
「この通りにやれば私もなんとかなるかも!なるはず!」
なんてやってる傾向がないだろうか。
「なんだこのロジックダメじゃん、なんだこの有名な人の参考書ダメじゃん」
と、失敗を他人のせいにして、また何か参考になるものを探すことに夢中になっている。
下手すりゃ、
「何事もトライ&エラーだ!
失敗を恐れずに何度もトライしよう!」
なんて、役付のリーダー的な人がみんなを勇気づけようとしたりする風景にも出くわす。
「ここどんな新興宗教の集団?」って思えちゃって少し寒気すらするような。
「洗脳の時間ですか?」みたいな。
このような風景は私の目には、
「気ぜわしく狂ったロボットとロボット管理するザコ博士」
ように映るんで、哀しくなるのと同時に、どうしようもない虚無感にとらわれる。
ホントに世の中の「挑戦」はどこに行ったんだろ。
簡単にはぶち破れない壁にぶち当たったり、
急坂を駆け上らなきゃならなかったり、
突っ走って駆け抜けなきゃならなかったり、
こういうことは必ず遭遇する。
挑戦に失敗もエラーもないはずだ。
これをしなきゃ結局は「次の新しいこと」は生まれないんだよなぁ。
「トライ&エラー」はそこでグルグル狂ったように動きまくってるだけ。
螺旋は描けないんだよなぁ、、、