ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

「たぶん…」と「おそらく…」

2014年12月18日 15時48分42秒 | 2種分ねーさん
ここ5年くらいだろいか。

若い世代が何かにつけて「おそらくですね…」と言うのが妙に耳についてイヤなんだ。

「若者に対してイヤ」というより、若者が「おそらく○○かと思います。」と誰に確認を委ねるでもなく、自分の判断で「そうだと思う」を語らなきゃいけない社会の現状がイヤなんだ。

「多分こうだと思うんですが、確認しますね。」という感じがなくて、「おそらくこうなんでしょう。」と「どんだけ人生生きてきてんの?おそらく…なんて語れるくらい何かしてきたか??」とウンザリもしてイヤなんだ。


おそらくですね、情報過多がこんな現状を生んでるんです。
それを読んだり耳にするだけで語れちゃうくらい情報が溢れすぎてるんです。
「口だけ大人」が演出出来ちゃうんです。
なのにかなり○幼稚っぽく(×子供っぽく)なってる。


嘘っぱちが沢山あるのにね。
その嘘っぱちすらみんなが「おそらくそうですね。」と言ってれば安心すんだろうね。

「こうしたいのにさせてくんない、もー」的な不満と、「(何かが)気にくわないの、あれは反対だ、も...

2014年12月18日 12時53分15秒 | 2種分ねーさん
批評家って批評しつづけたいだけだから、こういう人らの批評をまぁ汲み取って「これが嫌だ」ということを苦労して取り払っても、新たに「次はここが嫌だ!」って言うの。


ま、100%そうだから。


本当ですから。


前向きに組織構築というか、組織運営に苦労してきた人らはみんな知ってるよ。


なのでね、批評家の「ダメ出し」や「イヤイヤ」や「反対だ!」攻撃は、臨機応変にスルーに限ります。
他の策としては、そういう人らの自尊心を満足させる悪役(←わかっていてやれる人もいる、知らないでバカな親切心で自らのたうちまわる人もいる(←だから冷静になんなって。(苦笑)))を立てておくしかないのよ。


「こうしたいのになんでさせてくれないのんだよ、もーーー」に対応していったほうが最終的に間違いないもんだよ。

「気に入らない、反対だ、もーーー」に対応していってその場が正しくなっても最終的に間違えた形になってるもんだよ。