ねーさんとバンビーナの毎日

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今日突かれたお言葉・その547

2011年05月31日 12時21分15秒 | 突言葉ねーさん
社会に出れば、傷つくこともある。挫折することもある。そんなとき、どう立ち上がり、ふたたび歩いていけばよいのか。
そんな経験をさせておくことのほうが、よほど教育的だと思うのだ。
「みんな平等だよ」とうそぶくことが教育だとは、僕は思わない。



乙武さんのツイッターより抜粋。



痛く同感。
とにかく人間が平等になるハズがないのですわ。

顔の出来も違う、身体の出来も違う、脳みその出来も違う。
育つ環境も違う、関わってきた人達も違う、積んできた勉強も違う、、、違う、違う、違う。


元もとが平等で産まれてないんですからねぇ。
その「違いを隠す必要もなければ」、「隠しあおうとみんなで工作する必要もなく」。
ありのまんまでよろしいざんす。


親のせいなんだよね、大体、この問題。
親の見栄とか、親の劣等感とか、親同士の付き合い方、それを子どもに押しつけてるの。


「自分がこうなれなかったから、子どもにはこうなって欲しい」
「子どもに「ありのままで」ってやってしまうと親のほうの人間関係がぎくしゃくするかも・・・それだと○面倒臭い(×ややこしい)し・・・」

っていうのあるよね。

自分の夢を子どもの託すのは酷だし、親からして人間関係の面倒臭さを「面倒臭い!」って投げてたら、どうなっちまうのだ。


動物が親のほうから子離れするように、人間も親から子離れしなくちゃ、子どもは自力で立ち上がる立ち上がり方がわからないまま、違いがわからないまま、「平等!平等!」って口にしながら社会で放浪しまっせ。


乙武さんってそもそもハンデがある人なのに強いなぁ・・・。