ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

ケジメなさい。

2008年08月28日 19時07分12秒 | 味わうねーさん
優しさにつけこむのはいけないね。
その頬殴れるほどタフじゃない僕さ。

浮気な人さ、気持ちフワフワで。
海辺のロッジ独り、夜をあかしたよ。

八月の島はカーニバル
夜空飾る花火も
涙宿って切なく砂に消えたよ。

ミジメ、ジメジメと地味にめげるだけ。
致命傷だね、優しさは。

ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ、

か、か、か、カッコつけりゃ、ビビるはずだよね。

サヨナラ言おうか、
自分でちゃんとできないのならダメダメ。


これだよっ。



ケジメ、ケジメのない、あなた。
ケジメ、ケジメなさい、あなた。



思わせぶりに涙落としたね。
惚れてる弱み知ってホロリとさせるね。
南風嵐呼ぶから、
雲行きさえあやしい。
渚横切る影が横を過ぎるよ。

マジメ、マジマジと、
ドジな男だね。

あなたのほうが上手だよ。

ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ

パ、パ、パ、パッと行こう、キラリ赤裸々に。

あなたが欲しいと、
心にナイフ突き付けたいよ。



しかしね~、致命傷なのだよ、単なる上っ面の優しさはねぇ。


これ、次に唄ってみよう。

マッチ流し、ドーンとやってみよう。


欽ちゃんの~~、ドーン!!
(深い意味無し)



説明すると、
その昔「欽ちゃんのドーンとやってみよう」っていう萩本欽一の番組があって、
街角?だかで素人?に、
「欽ちゃんの?」って振って、その反応を試すみたいなのがありました~、えぇえぇ。
コマーシャル前かコマーシャル明けかに流してたような。


大概「ドーンとやってみよ~う!」って返すのに、

「ドーンっ!(元気イッパイで片手握りこぶし上げてたか?)」だけ言ったおじいちゃんがいたんだよね。


なんか妙にツボでね。
おじいちゃんのたたずまいも合間って。


「欽ちゃんの~ドーン!」は、あれ以来何十年も「これでどうだ!」って試すような時に心の中で吐くセリフになってたりするんですがね。(笑)


「どうでしょう?」とさも真剣そうに言いながら、「欽ちゃんのドーン」ってふざけて言ってるわけ。

カラオケは気分だから、気分ね。

2008年08月28日 08時43分01秒 | 味わうねーさん
メロディーがいいとか、
英語の唄を歌うとインテリ風でウケがいいとか、
そういうことよりノリ重視。
気分だから、気分ね。


どっぷりシンミリしたい時はさらに痛いくらいにシンミリした唄を唄ってみたり、
なんとなくアイドル気分になりたい時はアイドルの曲を唄ってみたり。

時代を振り返りたい時は当時の曲を唄ってみたり、
自分の歌唱力を試したい時は、自分の声に合う曲を唄ってみたり。



(ね)自身にちょっといろいろあって大変だった頃、
数人でカラオケに行った時、
(ね)はあえてシンミリ曲をチョイスして唄ったことがある。


そうしたら、

「やめときなよ、こういう曲さぁ。大丈夫?」

って、まったくもって心配する心からくる「大丈夫?」じゃまるでなくて、
単に自分がいたたまれない気持ちを、親切ぶった言葉でその人に当てつけて、単に自分をなだめてるだけの「大丈夫?」という、半分吐き捨てるような言葉。



瞬時にざーーっと冷めちゃって、心で超シラけた。
ま、みんながいたので顔色変えなかったけど。


わざとやってることがホントに通じないんだよなぁ…このタイプは。
そこがツマンナイなぁ…と思うし、毎度最終的に他人を許容しきれなくて切っちゃっておいて、立ち去るじゃ~ん。

それがこういう部分でも垣間見れちゃうだよぅ…

言わなくても「わざと」が分かる人は微笑んでるか、逆に「よっ!」ってノってくれたり、「あんたねぇ、いい加減やめときなさいよ。」的なトホホ感風を醸し出したりするんだよね~。

痛みが本当に分かる人(逃げて回ってないで乗り越えてる人っていうのかな。)は簡単に親切そうな言葉を吐かないんだよね~。



だからカラオケは人選していかないと、「どっちらけ」となってしまうんだよねぇ。

時間軸の調整

2008年08月28日 01時02分15秒 | 考えるねーさん
うーん、とにかく、なんていうんでしょうねぇ。

1994年、平成6年頃からこれまでの約10数年、
自分の中の時間軸調整で変な違和感がつきまとったんだなぁ。

関わる人種が前と違う、とか、
何となく肌が合わないなぁ、とか、
そういうことじゃまるでないんだわ。

1989~1993年のたった4年間は、
ここ10数年の3倍から5倍、いや、もっと速い時間でものごとが過ぎ去っていって、
あの猛スピードにのっかって日々やりくりすることに慣らされた感覚を、
まず自覚するまでに非常に時間がかかった。

それに、あの当時に自分の目の前で繰り広げられた色々な出来事や抱えた問題が、
2000年を超えて似たようなニュースの記事となっている。

時代の先を読んだ手法や改革をいち早く実行に移す場に立ち合うってことは、
本当に「今の自分の時間軸がはたして世間と同じか?」ってことを気にしてないといけない。
(ね)は気がつかずにいたし、「みんなこの速さなんでしょ?」くらいな感覚でいた。

だから、いきなり速度を落とすことに非常に恐怖感もつきまとい、
ブレーキをかけるタイミングや、
追い越し車線から左車線に入るタイミングをつかむことやらに、
非常に苦労した。

何度、ひと呼吸するためにサービスエリアに立ち寄ったか。(笑)
それは、友人との飲みであったり、スポーツジムであったり、カラオケであったり、旅行であったり、他いろいろ。

サービスエリアではみんな優しくしてくれた。感謝感謝。

しかしあの経験はあの経験で、すごく貴重なことであって、
あれがあったからこそレイヤーによって時間軸がこんなにも違うことが分った。
同じファイルの中でもレイヤーによって時間軸が違うみたいな、そんな感じ。

そして何も、高速道の速さに乗っかって目的地へ早く辿り着こうが、
地道な国道を使って目的地に到着するのが遅れようが、
やってることの目的にブレさえ無ければいいようだ。欲はブレても。

それは一時的に、表面的には矛盾してる風でも、
腹を括る目的にブレさえ無ければいいようだ。欲はブレても。

高速道使って遠回りして高速代を余計に散財することになっても、
国道使っても遠回りして時間を余計に散財することになっても、

どうやら事故ることは無いようですねぇ、、、、どうやらそういう気がする。

腹を括る目的にブレさえ無ければ。欲はブレても。

「これが目的だー!」と旗振り回しても目的が目的になってない妙ってありますな。
それって「理性」がブレてるんだよなぁ。
「理性」をしっかり持つのって、どっぷり近くから物事を見るんじゃなくて、
少し引き気味とか、
少し低い位置とか、
少し高い位置とか、
少し右とか、
少し左とか、
そうやって見定めないといけないのよねぇ、大変なの。
人の上に立つほど、善悪/真偽は、よ~く見定めないといけないから、大変なのよねぇ。
自分の欲に負けちゃって、善悪/真偽を取り違えちゃってる人がいるんだよなぁ。

ほら、いろんな人が集う会社組織の管理監督者でありながら、
自分の欲からくる善悪/真偽で判断する人、結構いるよねぇ~。
個人のプライベートの問題だったらいいんですよ、別に。
だけど公になればなるほど、それが人知れずジェラシーを呼び、組織をかき乱す。
まぁそういう手に引っ掛かる輩も多いのは事実。
(ね)はその手は子供の頃から苦手なのでスルーだけど。

目的からくる善悪/真偽で判断しても、まぁ必ずといってもいいほどジェラシーの波はかぶる。
「今にも出火しそうなジェラシーを鎮火する作業」はしたにこしたことはないとは思うが、
鎮火する消防士もほどほどに上手くやらないと炎に巻かれて殉死・・・ってことになるのは目に見えており、
これではまったくもって本末顛倒。
ジェラシーの炎は「欲」のあるところだけに集って欲しいのだが、
「目的」のあるところにも集ってくるから、まぁ厄介なんだなぁ。

しかし「ジェラシー対策」って超面倒くさいわ。

会社組織の改革劇やらシステム構築やらを長くやってると、
結構鼻が利くようになってきましたよ。
というより無意識でやってきたこの感覚の再確認~認識が出来たっていうのかなぁ。


あれ、今気がついた。
「理性が無いんだからぁ・・・」ってよく使われる言葉だけど、
案外「本当に理性が無い人」には向けてなくて、
言動の振れ具合が分りやすく大きい人(単に欲が強い人とか)への総称として、
「理性が無いんだからぁ・・・」
を乱用してませんかね。

言動の振れ具合が分りやすくて大きい人でも「理性」はきっちりありまさーねぇ。
こうやって確かめてみると。
「理性の有る無し」は「欲の有る無し」じゃないじゃん。


もく‐てき【目的】
実現しようとしてめざす事柄。行動のねらい。めあて。
倫理学で、理性ないし意志が、行為に先だって行為を規定し、方向づけるもの。

り‐せい【理性】
道理によって物事を判断する心の働き。論理的、概念的に思考する能力。
善悪・真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力。

どう‐り【道理】
物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道。ことわり。
すじが通っていること。正論であること。また、そのさま。

よく【欲】
不足、不満を満たしたいと願う。ほしがる。