ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

あのオヤジ

2008年08月09日 11時35分08秒 | 味わうねーさん
あのオヤジは、
バブル期に相当な強引さとイヤな奴臭をまき散らかして、
大金を手に入れたに違いない。

それはきっと・・・これは日頃の観察上からくる想像なんだけど、
あの時代に一生懸命過ぎて、最後、精神をすり減らしてしまったんだと思う。
時代を読みすぎると、時代に乗っかりすぎると、「じゃぁ逆にこうしよう!」と一生懸命になりすぎて空回りするでしょ。
本人は気がついてないどころか、振り返る時間を持たないから、気がつけないし、
仕事抜きの遊びですら仕事をかねるようなことをしてると、何にも息抜きになってないっていうか。
本人マジだから、勝手な(その人のモノサシの)非難批評をされると、反発してもっと一生懸命になっちゃう。

あの方のこの10年は、何か、本来の自分を消して、世間に対する奉仕活動をしているようにしか思えず、
罪滅ぼしであの人にもこの人にも必要以上の親切を振りまいているように感じる。
いや、あの時代に非難批評した奴らを見返したい願望も見え隠れする。

いや、決して、悪い事をしていないからいいんだけど、あまりにも極端過ぎるので、
「不思議だなぁ。。。」とか「かえってまた自分をすり減らさないだろうか?」とか感じてしまう。

「そのくらい極端に親切にならないと、
あの頃の自分を自分で許せない何かがあるのかなぁ??」

とか、想像してしまう。

「そうやって人と接しちゃうと、他人に求めちゃいがちにならないのかなぁ??」

とか、想像してしまう。

「求めよ、さらば与えられん。」って言葉があるけど、
(ね)は他人に何かを求めるのが苦手というより、その気がまるで無い。
だから自分で行動するより、自分は楽して最初から何かを他人に求めがちの人も苦手。

「与えよ、それだけで充分じゃん。」だから。
与えてれば、与え返してくれるからさ。知らぬうちに。


googleのストリートビュー

2008年08月09日 00時08分14秒 | 味わうねーさん
となりのおじさん「○○さん!ちょっとこれ見て。」

ね「(あーハイハイ、どっちでもいいけど見てやるか。)なんですか?」

となりのおじさん「ほら昨日も見せたgoogleのストリートビューなんだけどさ、ここなんだよ、ジョギングしてネコがいたってところ。」

ね「(あーハイハイ、もーなんて返事していいか分らんわ。こちとら仕事してますけど。)あらっ!ネコ写ってるじゃないですか!!

となりのおじさん「えっ!?どこ!!??(と画面に顔を近づける。)」

ね「(はぁ?本気にしてるの??それともノッてくれてる訳??)ウソっ!!

となりのおじさん「(憮然&驚きの表情)」

ね「(てことはつまり本気にしたわけ??)ブハハハハハ・・・・ウハハハハ・・・・も~~~」


これじゃまるで、小学生とか中学生が、
「あっ!あそこ見て!!!」
「(見る)」
「バカが見るぅぅぅ~~~!!」
の遊びしてるみたいじゃんか。

いや、違う。
その遊びにすらなってない。(笑)

もーいいから。googleのストリートビューは。
ジョギングしている姿がストリートビューの写真に写り込んだら、
「おじさん、やったね!!すごいね!!」って手放しで褒めてあげます。

googleのステッカー貼った、トヨタのプリウスで撮影してるらしいんですよね??
探せ!その車を!!(笑)

んで、両手でピースして。(笑)
「気を付け!」の姿勢でもいいですよ。(笑)