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ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

京都東山で最後の紅葉を楽しむ

2008-12-06 | 花と自然
急激に冷え込んで京都も最低気温が零度を下回ったようだ。いっせいに落ち葉が散り、職場の銀杏の木もほとんど葉を落としてしまった。昨日の大雨もおさまり、今朝は朝からさわやかな快晴の空だった。しばらく体調を崩していたせいで、今日も休息をとろうと自宅で朝からやり残した仕事にかかっていたが、あまりにきれいな青空なので、とうとう午後から出歩いてみようと思ったわけだ。

京都の北山は杉林ばかりであまり登る気がしないし、近くの山は低いし、と否定的に見ていたが、部屋から見える京都の東山は、麓の永観堂、清水寺、などなどモミジの名所があるだけではなく、山全体が燃えるような赤や黄色に彩られているのに驚いた。どうやら東山は杉山ではなく広葉樹林のようだ。そこで、午後からの散歩にはちょうど良いだろうと、東山の大文字山に登ってみることにした。

 登り口は銀閣寺の裏手から。このあたりも紅葉があちこちに見られる。銀閣寺の周辺は最後の紅葉を見ようという観光客でごった返している。みんな寒そうに厚手のコートやマフラーで防寒している。しかし、裏手の山道はかなり急だ。すぐに汗が出始める。30分も歩くと、急坂を上り詰めて大文字焼きの火床のある見晴台に到着する。

手前に大文字の火床。ここでいっせいにたき火をすると大文字が夜空に浮かび上がる仕掛け。

 ここからの眺めはすばらしい。京都の町は一望だ。麓の紅葉もみごとだ。しばらく写真を撮って、大文字の大の字の頭のところからさらに大文字山の頂上へ向けて登り始める。火床の展望台には観光客がいっぱいだったが、ここから先はほとんど人がいない。大文字山の頂上までに2-3組の登山客に出会っただけ。麓から見ていると全山が紅葉していて、落葉広葉樹林だろうと思ったが、登ってみると意外と多くの常緑樹が生えている。シイ、カシ、アセビなどの比較的低い木が多いので、下からは落葉樹ばかりに見えたのかもしれない。落葉広葉樹も頂上近くになるとほとんど落葉して、枝ばかりが空に伸びている。林の中が急に明るくなったようだ。常緑樹が弱くなった日射しを思いっきり浴びている。ようやく自分たちが日の目を見る季節が来たと喜んでいるみたいだ。これから春の木の芽が萌え始める時期までは、常緑樹の天下なのだろう。春から秋まで長い間落葉広葉樹の下で日陰生活をしてきた彼らの季節が来た。

 大文字山の頂上には3等三角点がある。ここでゆっくり景色を眺めようと思ったのだが、先に来ている一人の登山客がたばこを吸い始めた。山の上まで来て美味しい空気を吸っているときに、近くでたばこを吸われるくらい嫌なものはない。静かな山の中でラジオを大きな音でかけて周りに迷惑をかける人がいるのも、本当に嫌だ。私はほとんどの山で頂上にいるのは5分か10分くらいまでで、早々に立ち去ることが多いのは、実はこのたばこを吸う人が多いせいなのだ。

 頂上からまた来た道を帰ろうかなと思ったが、しばらく歩いていないので、少し東山を縦走してみようと思って南へ歩き、それから鹿ヶ谷への道をたどった。鹿ヶ谷に降りてきたあたりに俊の碑がひっそりと建っている。そういえば、鹿ヶ谷は後白河法皇と俊が反平家のクーデターを企てた場所として有名で、俊僧都の島流しの悲哀は歌舞伎でももっともファンの多い芝居の一つだ。碑には「俊僧都忠誠之碑」と一条家の公爵の筆で書かれているが、訪れる人もない山の中でひっそりと建っている。現代になっても俊の孤独は続いているのかもしれない。

モミジの絨毯

 しかし、その碑の近くの山道は驚くように美しい。モミジの落ち葉で埋め尽くされている。そのあたりのモミジはすべて散ってしまっているが、見上げると周りがほとんどすべてモミジの木ばかり。山道に厚くつもっている枯れ葉はすべて赤いタカオモミジの葉ばかり。もう一週間前ならきっと素晴らしい紅葉が見られただろう。しかもほとんど人が来ないところだ。永観堂や清水寺の紅葉もきれいかもしれないが、あの雑踏の中で見てなんて、私にはとてもできそうにない。その点、ここはほとんど人が来ないようだ。来年の紅葉は絶対にここで見たい。

麓の安楽寺の紅葉。着物姿の観光客が多い。

 鹿ヶ谷から降りて、麓の法然院を訪れ、バザーですばらしい香炉を見つけて買った。久しぶりの山歩きで体調も回復したようで、自宅に帰ってタイで買ってきた香を焚き込みながら、気持ちよくブログを書いている。それにしても、今年は紅葉をいやというほど見たなあ。