京の都に初雪が降った。湿った雪が午前中ときどき激しく降って地面をうっすらと白く覆ったが、午後には溶けて流れてしまった。それでも東山は白妙の衣を被り、大文字が浮きだって見える。北の国とは異なったそれぞれの冬の景色があって、好ましい。
鹿児島県警が言語道断のフレームアップ捜査をして、無実の人たちを罪に陥れようとした志布志事件の後、捜査が適正に行われているかを監視する「取り調べ監督官」制度が始まっている。しかし、警察が警察を監督するというこの制度では、警察の不正は無くなるはずがない。もっとも身内に甘いと言われる警察であることは、高知県の白バイ事故事件のやり方を見れば一目瞭然だ。仲間の罪を他人になすりつけるためなら、証拠のねつ造まで警察官はやってのける。
「取り調べ監察官制度」が始まって半年、いったいどの程度取り調べをきちんと監督しているのかを調べようとした南日本新聞社の公開請求にたいして、鹿児島県警は「全面不開示」を通告した。その理由は、監察の回数を公開しただけでも捜査に障害になる、という不思議な論理だ。警察というところは、捜査に障害になると考えるだけで、あらゆる人権や正義を無視しても良いと思っているらしい。そうではないだろう。捜査に障害があっても、刑事たちはがんばって捜査に励むべきなのだ。なぜなら、人権や正義を実現するための捜査なのだから、その捜査のために人権や正義を無視したら、警察の存在意義など無くなってしまう。その自己矛盾に彼らは気づいていない。いや、そもそも彼らは人権や正義を実現するために捜査をやっているという自覚がないのだろう。自分たちの給料を確保すること、組織を守ること、住民に威張ること、そんなことが目的なのだろう。
鹿児島県警によると監察官制度の試行以来、問題行為は1件も認知していないとしている。しかし、監察官は本当に取り調べをきちんと監察しているのだろうか。県警によると監察官が取り調べを直接目視しなくても捜査関係書類を確認するだけでも監督行為と認められているという。それで警察官の不正が果たして見破られるのだろうか。この不開示の本当の理由は、捜査に支障を来すということではなく、監察なんてやっていないことがばれることが怖くて開示できないのだろう。志布志事件の本当の原因を解明しなかったし、ましてやその再発を防止することなどできるはずもない。「懲りない警察」を根本から一度壊さなければ、民主警察は帰ってこない。北海道警察に始まる裏金問題にもついに一人も責任を取らない警察の体質。ばれたら全員で隠す。証拠をねつ造してまで隠そうとする。このような警察では、たとえ開示されてもその文書がねつ造でないと信じることさえできない。そのような警察が捜査を行い、逮捕し、検察も裁判所もそれを追認する。99.9%という世界でも信じられない高率の有罪率がそれを如実に物語っている。そんな警察、検察、司法の闇の結びつきに改革の刃を入れさせないためにこそ、裁判員制度という目くらましを始めるのだ。
第三者による警察の監視制度を作らない限り、警察はけっして市民を守らない。市民を敵視する。
鹿児島県警が言語道断のフレームアップ捜査をして、無実の人たちを罪に陥れようとした志布志事件の後、捜査が適正に行われているかを監視する「取り調べ監督官」制度が始まっている。しかし、警察が警察を監督するというこの制度では、警察の不正は無くなるはずがない。もっとも身内に甘いと言われる警察であることは、高知県の白バイ事故事件のやり方を見れば一目瞭然だ。仲間の罪を他人になすりつけるためなら、証拠のねつ造まで警察官はやってのける。
「取り調べ監察官制度」が始まって半年、いったいどの程度取り調べをきちんと監督しているのかを調べようとした南日本新聞社の公開請求にたいして、鹿児島県警は「全面不開示」を通告した。その理由は、監察の回数を公開しただけでも捜査に障害になる、という不思議な論理だ。警察というところは、捜査に障害になると考えるだけで、あらゆる人権や正義を無視しても良いと思っているらしい。そうではないだろう。捜査に障害があっても、刑事たちはがんばって捜査に励むべきなのだ。なぜなら、人権や正義を実現するための捜査なのだから、その捜査のために人権や正義を無視したら、警察の存在意義など無くなってしまう。その自己矛盾に彼らは気づいていない。いや、そもそも彼らは人権や正義を実現するために捜査をやっているという自覚がないのだろう。自分たちの給料を確保すること、組織を守ること、住民に威張ること、そんなことが目的なのだろう。
鹿児島県警によると監察官制度の試行以来、問題行為は1件も認知していないとしている。しかし、監察官は本当に取り調べをきちんと監察しているのだろうか。県警によると監察官が取り調べを直接目視しなくても捜査関係書類を確認するだけでも監督行為と認められているという。それで警察官の不正が果たして見破られるのだろうか。この不開示の本当の理由は、捜査に支障を来すということではなく、監察なんてやっていないことがばれることが怖くて開示できないのだろう。志布志事件の本当の原因を解明しなかったし、ましてやその再発を防止することなどできるはずもない。「懲りない警察」を根本から一度壊さなければ、民主警察は帰ってこない。北海道警察に始まる裏金問題にもついに一人も責任を取らない警察の体質。ばれたら全員で隠す。証拠をねつ造してまで隠そうとする。このような警察では、たとえ開示されてもその文書がねつ造でないと信じることさえできない。そのような警察が捜査を行い、逮捕し、検察も裁判所もそれを追認する。99.9%という世界でも信じられない高率の有罪率がそれを如実に物語っている。そんな警察、検察、司法の闇の結びつきに改革の刃を入れさせないためにこそ、裁判員制度という目くらましを始めるのだ。
第三者による警察の監視制度を作らない限り、警察はけっして市民を守らない。市民を敵視する。

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