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ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

ギリヤーク尼ヶ崎の大道芸に思った

2007-12-02 | 日記風
川越成田山別院の境内で、大道芸人ギリヤーク尼ヶ崎さんの青空舞踊芸を見た。ギリヤークとはオロチョン族などと並ぶ北方先住民族の一つ。彼は生粋の日本人なのだが、ギリヤークに似ていると言われたのがその芸名の由来らしい。もっとも彼は函館出身だから、ギリヤークの血がまったく無いかどうかはわからないが。

 出し物は七つ。「禁じられた遊び」のメロディで踊る「夢」や、名曲「白鳥の湖」などの踊りから、「じょんがら一代」や「念仏じょんがら」まで幅広い。以前から彼の名前はよく見聞きしていたので、一度彼の大道舞踊を見てみたいと思っていた。今日たまたま新聞で彼の大道芸が催されるという記事を見て見に行った。

 最初は、なんとなく見る方が気恥ずかしくなるような踊りで、(もちろん彼は真剣なのだが)大道芸だから所詮こんなものかと思ってみていた。しかし、今年77歳になるという彼の芸は、それなりに真剣で、演題が進むにつれて一曲一曲の踊りに彼の気迫を感じるようになった。

 一時間ほどの芸の最後のあたりは、鬼気迫る熱演で、芸術祭参加作品の「念仏じょんがら」の烈しさは見るものを驚かせる。公演の前の化粧のときに見せていた(大道芸だから化粧も見物客の前でやる)老年を感じさせる手指の震えも、この踊りになるとぴくりともしない。バックの音楽を入れたカセットデッキのスイッチを入れる指にも気迫がこもる。気合いを入れて踊り始める。

 津軽の盲人芸を踊りで表現したというこの踊り(写真)は、激しい念仏と祈りの所作を伴い、頭から水をかぶって踊り狂う。最後に小さな母親の写真を胸に抱いて「おっかあさ~ん」と叫びながら悶絶して終える。77歳という老いた身体がむしろこの踊りに似合っている。彼は昔は鬼の踊りと称して大道舞踊を踊っていたことで知られる。しかし、阪神大震災の一ヶ月後に神戸の長田で踊った頃から、鬼の踊りから祈りの踊りに変わったと言われている。踊りに深みが増し、怒りから祈りへ、踊りの風合いが変化したという。

 初めて彼の大道芸に接して、その大道芸へのこだわりに感心した。彼はフランスやアメリカへも長期の公演に行っている。大きな劇場でのリサイタルもこなした。しかし、彼はあらゆる芸に謝礼を求めないそうだ。常に大道芸の基本である観衆からの投げ銭のみによって生活を依存しているという。それこそが観衆と芸人の心のふれあいを表現するからと言う。本当の芸人なのだろう。

 そして77歳、肺気腫を患い、いつ最期の踊りになるか判らない身体で、この寒空に頭から水をかぶりながら裸同然で踊る。その気合いに私は気合いを入れられてしまった。いつでも死ぬ覚悟などといわないで、生きている限り前向きに生きる。80歳になってもやるべきことをやる。そんな生き方を学んだような気がした。
  

冬は冬らしく・・

2007-12-02 | 花と自然
陰々滅々とした天候が3日も続いたあと、今日は穏やかに晴れた。風もなく昨日までの寒さがウソのように暖かだ。日射しに誘われて、隣の町の公園を歩いた。紅葉がいま盛りだ。銀杏の黄色が初冬の陽に輝いて目が覚めるように美しい(写真)。赤く紅葉しているのは楓(フウ)の木だ。

 日射しが暖かい。草むらにはセイヨウタンポポ、オオイヌノフグリ、ホトケノザが咲いている。どれも春の花だが、これから冬だというのにもう花を開いている。セイヨウタンポポなんかは冬でも花を咲かせているのを見るのがそれほど珍しくもなくなったような気がする。しかし、オオイヌノフグリやホトケノザが12月の始めに咲いているというのは、やはりおかしいと思う。今日の暖かさに急に咲いたのだろうか?それとも数日間の寒さの中でも花を開いていたのだろうか?天候が悪いとあまり外に出たくなくなるし、ましてや道ばたの花を見る気持ちにはならない。今度はそんな時にもしっかり見ておきたい。

 何でも地球温暖化のせいにしたくなる昨今だけど、植物たちも、とくに都会周辺の草花たちは、季節を読み違えるほどの生理異常におそわれているのかもしれない。やはり冬は草も虫も姿を隠す時期であって欲しい。その方が、春の喜びと生きとし生けるものへの愛情はいっそう深まるだろう。

 散歩途中にあるすてきなしかし、ひっそりと建っている小さなお店に立ち寄って、庭の素朴なテーブルの前で紅葉を眺め、コーヒーを飲みながらいろいろなことを考えた。