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検察の横暴とマスコミの使命

2010-02-03 | 政治
東京地検特捜部が週刊朝日の記事について抗議したという。それはまあいいだろう。しかし、事情を聞きたいので出頭せよと著者の上杉隆さんに要請したという。それはまさに脅しではないのか。抗議するときは、出かけていって抗議し、抗議に対して弁明があればそれを聞くというのが普通の常識だ。抗議するから出頭せよとは、検察はなにを勘違いしているのだ。まるで容疑者扱いではないか。誰彼となく出頭要請をすれば、善良な市民はびっくりしてあわてて飛んでくると、検察は思い上がっていないか。

 まして、相手はジャーナリストである。報道内容に疑問を持ったと言っても、検察がマスコミにそのような形で報復とも言える行動を取るのは、マスコミへの脅迫=言論への威圧となることが分からないほど検察は権力そのものになりはてたのだろうか。週刊朝日の記事に書かれているとおり、「検察の狂気」が証明されたとも言える。

民主党は、司法の民主化を進めるべきだ。検察や警察が司法の独立の名前の元に権力をふるうことを許してはならない。まず検察庁の幹部を更迭すべきだ。長い間自民党支配のもとで権力と一体化していた検察の現官僚たちを一掃して、検察や警察が市民の「生活第一」で行動することに制度を改める必要がある。国策捜査など許してはならない。そして、裁判所との癒着を止めさせることが必要だ。検察が起訴したら99%が有罪になるというのは、とりもなおさず裁判所と検察との癒着を意味する。自動販売機と揶揄されているような検察の逮捕状請求への裁判所の盲従は、あきらかに裁判所の怠慢だ。このようなでたらめを許してはならない。

 そして、今度の検察の抗議という名の脅しに対して、心配なのが他のマスコミの対応である。この検察のやり方にあらゆるマスコミが抗議の声を上げなければならない。上杉隆さんの主張に賛成か反対かにかかわらず、ことは権力と言論の自由との関係に関わる問題だ。知らぬ顔は許されない。マスコミは自らの問題として検察の権力行使に批判の声をだそう。それをやらなければ、マスゴミと言われることに文句は言えなくなるよ。

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