ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

国立大学法人化は天下りのため

2007-07-27 | ちょっと一言
山形大学の学長選考で、7月まで文部科学省事務次官の結城某氏が選考された。たんにそれだけなら、山形大学の先生たちは結城氏を学長にふさわしい人と思ったのだろう、ですむ話のように思われる。しかし、結城氏よりも学長にふさわしいと選挙で選ばれたのは、元工学部長である別の人だった。つまり選挙で選ばれなかった結城氏がなぜか学長に決まってしまったのだ。

 国立大学の学長はすべてこれまで(法人化以前)は大学教員の選挙で選ばれていた。国立大学法人化法によって国立大学が法人化されただけでなく、学長の選び方も選挙によらない選考委員会による決定が出来るようにした。けれども多くの大学ではそれまでの教員による選挙を実施し(意向投票という名で)、学長選考に大学構成員の意見を十分反映するような仕組みを残している。それなのになぜ結城氏が学長に選ばれたのか?

 学長選考委員会というのは、現学長や理事、それに大学によって任命された企業経営者を含む学外者などによって構成されていることが多い。山形大学の選考委員の名簿は詳しく知らないが、おおかたそういう人だろう。そして現学長が文部事務次官の結城氏を強く推薦した。法人化したといっても国立大学の予算(運営交付金)は文部科学省が支給する。さらに運営交付金は毎年徐々に減らされており、さらに大学ごとに評価をして交付金に差をつけるべきだという議論がなされている。また、地方大学は生き残りが難しい大学も出てくるだろうという予想も新聞紙上で書かれている。そういう情勢で、文部事務次官を学長にするという山形大学のやり方は、意味深い。

 企業への天下りが、不公平なやり方で企業を救ってきた実例は枚挙に暇がない。政府系法人への天下りも予算獲得のために利用されてきた。いよいよ国立大学さえも天下りの好餌となってきたのか。

 結城氏は学長選挙での公開討論会において、フロアーからの 天下り批判に
対し、つぎのように答えていた。「人事当局の斡旋ではない。予算を背景に押し付けているものではな い。仮に押し付けがあるなら拒否すればよい。選挙で選ばれて学長に なった場合は、みなさんの選択になる。したがって天下りには該当しな い」

 大学構成員は今回、意向投票という「選挙」によって、明確に「天下り NO!」の審判を下した。にもかかわらず、結城氏が学長になったということは、彼自身が言った言葉にも矛盾する。天下りを自ら認めたことにほかならない。いま、高級公務員の天下りがこれだけ問題になっているときに、このような選挙という民主主義を踏みにじってまで、大学に天下りをする事務次官を許すことは出来ない。

 国立大学は、もう一度学長選考方法を民主主義的な選挙に今すぐ戻すべきだろう。大学構成員が声を出すときが来たようだ。参議院選挙も民主主義(戦後レジーム)をなくするか、あらためて求めるかの機会を与えてくれるだろう。二大政党制という言葉にごまかされてはならない。少なくとも参議院は小選挙区制ではないのだから。
  

最新の画像もっと見る

コメントを投稿