三頭山の頂上付近は東京都で2箇所しかないブナの森がある。貫禄のある立派なブナの木を見上げて、少々淋しくなりつつあるブナ林の将来を考えた。帰り道に麓の沢沿いに作られた都民の森というところを通った。東京都の秘境といわれる数馬の最奥に都民の森を作ったのは感心したが、どうもその作り方には疑問を抱かざるを得ない。
まずびっくりしたのは、下の写真。川を石で固めてごらんの通り。いったいこの設計をした人は川とはどういうものか知らないのではないのだろうか。水が流れればいいんだと思っていないか。都民の森というからには、日頃自然のない環境で生活している人に自然に触れてもらう場所であるべきだろう。それがこんな作り方をしているのでは、都市公園と変わりない。

川に限らない。宿泊施設などもあるが、それは入ってみなかったのでどのように作られているか判らない。野外を散策するために手すりを巡らしたしっかりした道を整備している。それはある程度仕方ないとしても、驚くのはところどころに設けてある休憩施設。我が家の大きさにも匹敵するような大きさのベランダのような木製の台が作ってあり、いろんなベンチが並んでいる。土台は大きいコンクリート製で、頑丈そのものに作ってある。そんな巨大な休憩台が至る処に作られて、景観と自然を壊している。
当然のごとく都民の森へ至る道路は高速道路並みの仕様。広い駐車場が出来ており、コンクリートの道が宿泊施設までデンと繋がっている。
都民の森を設計した人はきっと園芸学の専門家に違いない。都市型公園と思ってみれば確かにこれは立派な公園なのだろう。しかし、ガーデニングの発想で自然の中の都民の森を作ってもらいたくない。園芸学は所詮市街地の公園を作る技術に過ぎない。奇をてらう建築学者もお呼びではない。自然の中で自然に触れる機会を作る施設なら、やはり生態学者の出番ではないだろうか。生態学者の意見を聞いたとはとても思えない「県(市、町)民の森」や「森林公園」があちこちに出来ている。もうそろそろ「都市型公園」を「自然」とウソをいうのはやめよう。
私の子供の頃は、町中の公園や空き地でも、自然がいっぱいあった。公園にお金を掛ける余裕など無かったから、整備されてなんか無かった。だから自然は溢れていた。いろんなチョウチョが飛び、トンボやコガネムシがいた。いつ採ってきても図鑑で調べると違う種類だった。それほど多様な自然が町の中にもあった。今では小江戸と称される地方都市の郊外でさえ、自然が無くなってしまっている。整備された環境には楽しいことも癒されることも無い。過度の安全だけが過保護の子供と過保護の大人を作り出していく。その陰でおそらくすべての地域の生物が死滅し、地域の文化が死滅し、外来種だけの表向きだけのグローバルに均一化した景観ができあがっていく。現代人のこころが傷ついてしまったように感じるのはきっとこの環境のせいではないだろうか。
まずびっくりしたのは、下の写真。川を石で固めてごらんの通り。いったいこの設計をした人は川とはどういうものか知らないのではないのだろうか。水が流れればいいんだと思っていないか。都民の森というからには、日頃自然のない環境で生活している人に自然に触れてもらう場所であるべきだろう。それがこんな作り方をしているのでは、都市公園と変わりない。

川に限らない。宿泊施設などもあるが、それは入ってみなかったのでどのように作られているか判らない。野外を散策するために手すりを巡らしたしっかりした道を整備している。それはある程度仕方ないとしても、驚くのはところどころに設けてある休憩施設。我が家の大きさにも匹敵するような大きさのベランダのような木製の台が作ってあり、いろんなベンチが並んでいる。土台は大きいコンクリート製で、頑丈そのものに作ってある。そんな巨大な休憩台が至る処に作られて、景観と自然を壊している。
当然のごとく都民の森へ至る道路は高速道路並みの仕様。広い駐車場が出来ており、コンクリートの道が宿泊施設までデンと繋がっている。
都民の森を設計した人はきっと園芸学の専門家に違いない。都市型公園と思ってみれば確かにこれは立派な公園なのだろう。しかし、ガーデニングの発想で自然の中の都民の森を作ってもらいたくない。園芸学は所詮市街地の公園を作る技術に過ぎない。奇をてらう建築学者もお呼びではない。自然の中で自然に触れる機会を作る施設なら、やはり生態学者の出番ではないだろうか。生態学者の意見を聞いたとはとても思えない「県(市、町)民の森」や「森林公園」があちこちに出来ている。もうそろそろ「都市型公園」を「自然」とウソをいうのはやめよう。
私の子供の頃は、町中の公園や空き地でも、自然がいっぱいあった。公園にお金を掛ける余裕など無かったから、整備されてなんか無かった。だから自然は溢れていた。いろんなチョウチョが飛び、トンボやコガネムシがいた。いつ採ってきても図鑑で調べると違う種類だった。それほど多様な自然が町の中にもあった。今では小江戸と称される地方都市の郊外でさえ、自然が無くなってしまっている。整備された環境には楽しいことも癒されることも無い。過度の安全だけが過保護の子供と過保護の大人を作り出していく。その陰でおそらくすべての地域の生物が死滅し、地域の文化が死滅し、外来種だけの表向きだけのグローバルに均一化した景観ができあがっていく。現代人のこころが傷ついてしまったように感じるのはきっとこの環境のせいではないだろうか。
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