アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

誕生から半世紀!EF65PFの実力は?

2020-10-21 16:00:00 | 鉄道写真(EL)

このところ、お気に入りだったEF57の画像を掲載しているが、当時はまずそのスタイルに惚れ込み、そして茶色のデッキの付いた電機が客車列車を牽くという、夢のような光景を目のあたりにして虜になった。あの時代を思い出してみると、単純に茶色の電機は旧型、青色は新型と駆け出しのアントンKは理解していたが、その古い旧型だったEF57は、アントンKが最初に出会った1974年は、製造から約24~25年の機関車ということになる。そしていよいよゴーナナが引退となった1978年は、出会いからたった4~5年の歳月しか経過していないのだ。つまり製造から40年を待たずして消滅していったことになり、そう考えると少々驚きを隠せない。

さてこんな考えを現状に当てはめてみると、国鉄色に返り咲いて人気があるEF65PFは、製造初年が1971年だから、来年で早50年という計算になる。もっともゴーナナとは比較にならず、両数も製造期間も長いので、現存するEF65PFたちにはそのまま当てはまらないが、それでも大半の65PFたちは、老体に鞭打って働いているという事になるのだろう。アントンKが昔見た茶色い電機とは違い、現代の古い電機たちは更新工事も施行され、長生きが許されてきた。しかし今年は思いもよらない感染症の流行で、人間界も生活の基準が変わってしまった。こんな事態に陥ってしまい、今後の鉄道界にも良くない影響が出てくるのではないかと、今は静かに危惧している。

掲載写真は、現在稼働中のEF65PF型の中で、最も年寄り(古い)と思われる1050(2050)号機。この1050号機、約25年前の画像だから、おそらく絶好調の時代だろうか。色目が違っても、パンタが小さくても、番号が2000番台でも、今でも出会える電機には間違いがない。最後の最後まで、その優秀な走り魂を見届けようではないか!

1996-06-20  4074ㇾ  EF651050  JR東日本:東海道本線:根府川-早川

 


色づいた山々を駆けるDD51重連

2020-10-20 19:00:00 | 鉄道写真(DL)

あれほど身近な存在で、特に気にも留めてなかった凸型ディーゼル機関車DD51。いつの間にか数を減らし、全国的に見ても風前の灯状態となっているらしい。先日関西線に行き、久しぶりにDD51の牽く貨物列車を撮影したが、あらためて考えてみるともうこの地区くらいしか思い当たらないのだ。

北海道ではもちろん、東北のローカル線の貨物列車や、関東でも八高線など、山陰や九州と、全国に散らばっていた万能機関車だけに感慨も深くなる。同じようなことが入替機であるDE10でも言えるのだが、基本的に凸型を好まないアントンKだから、普段はこうして無関心になっていた。列車自体の消滅は居たたまれないが、後継のDF200型には興味が沸くから、また新たなシーンを期待したいところだ。

掲載写真は、思えばDD51の貨物列車では、おそらく一番撮影回数が多いだろう八高線の重連貨物。仕事帰りの駄賃として、あるいはヨコカルへの道中の合間を使ってよく沿線に出向いたもの。それなりのものしか残せていないが、今見返すと懐かしさがこみ上げてくる。

1994-11-25  5264ㇾ  DD51811+809  JR東日本/八高線:竹沢付近


中央線高架区間を往く特急「あずさ」~181系

2020-10-19 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

とうとう181系「あずさ」には乗車出来なかったと思う。今にして思えば、国鉄の特急電車で、一番身近に感じていたのがこの「あずさ」だったかもしれない。絶えず模型店巡りを欠かさなかったあの時代、ふと線路に目を向けるとオレンジ色の101系電車に混じって特急色も誇らしく「あずさ」が姿を現していた。ようやく181系電車の後継に当たる189系(長野車で「あさま」と共通だったはずだ)がデビューするタイミングだった頃、訓練か何かで三鷹電車区に突如現れ、ピカピカな車体を披露し、アントンKも興奮を隠せなかったことは未だに鮮明だ。もちろん、当時は181系に混じって183系の0番代車(幕張電車区の車両)も「あずさ」の運用を持っていたが、同系列とはいえ、非貫通型の前面は強烈で、大きな愛称幕は魅力的に映ったものだ。

ここでは当時のものから、沿線で撮影した181系「あずさ」。中央線高架区間で新宿の高層ビルをバックに撮影出来ないか、探し回ったことが懐かしく思い出される。現代とはまるで建物の高さが違い、確かに新宿のビル群は当時特出していたと思うが、カメラを構える位置も高さが足りず、何とも中途半端になったことが今もなお無念な結果として残されている。それでも当時憧れていた181系は、長いボンネットも美しくカッコが良かった。20系客車もそうだが、見ているだけで優雅な気持ちになれる車両は、もう現代には生まれないだろう。そう思うと、いささか心寂しくなってしまうのはアントンKだけだろうか・・昔の車両たちを懐かしむ事もある意味大切なことだが、今の若者たちと一緒に夢中になれる車両に出会い、撮影し語り合い、喜びを分かち合いたいものだ。

1975-10-29  13M あずさ7号 Tc181-1        中央本線:高円寺-阿佐ヶ谷


川越線の異端児~キハ35 900番台

2020-10-18 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

「川越線」という線名は今でも通用するのだろうか。今や埼京線の進出が激しくなり、都心は愚か、昨今では神奈川県海老名まで乗り入れを果たしている。川越線も電化され、電車が走るようになってから随分と時間が経っているが、103系電車からいつの間にか現在のE233系電車へとスイッチしている感覚だ。こんなに途方もないくらい昔の写真に身を置いているとなお更で、つくづく昭和が懐かしくなる。自然と懐古主義になっているようで何とも・・・

親戚が川越線沿線にいたことから、大宮をはじめ川越線には馴染みがあると書いてきた。おぼろげながら、ここを走っていた蒸機9600型の貨物列車も記憶の片隅にある。蒸機が引退した後、DLを使った客車列車にも何回か乗車した記憶も残っている。家の近くには、荒川を渡る上郷橋が架かり、その前後の築堤やガーター橋には、その後よく撮影に出ていた。

ここでは、非電化時代の川越線から両開きドアのキハ35系の中でも異端児扱いされていた900番台車の画像を掲載してみる。ステンレス車体のキハ35だが、編成に組み込まれていると、とても目立っていた記憶がある。これは先頭に出ていた場面をたまたま撮影出来た時のもの。沿線には、まだ腕木信号機が残っていて、それと列車を絡めて撮影を試みていたが、なかなか思うようにはいかなかったようだ。方向幕にも、せめて「高麗川」「川越」など、行先表示を欲しいところ。暮も押し迫った寒い日だったことを思い出している。

1975-12-27  857D  キハ35903   川越線:南古谷-指扇


鉄道の街「大宮」~華やかな残像たち~EF57

2020-10-17 21:00:00 | 国鉄時代(カラー)

古い画像を見返していると、やたらと大宮駅へ入り浸っていた時期があることに気が付く。当時は、EF57という電気機関車を初めて認知し、魅力に捕りつかれつつあった時期と重なっている。もちろん、上野の方が近くてアクセスもしやすいはずだが、残されたコマは、圧倒的に大宮駅が多いようである。以前にもここで書いたと思うが、親戚が大宮市にいることで、より身近に感じていたこともある。まだキハで行き来していた川越線には、よく乗車していたからだ。

この年の夏休みは、毎日のように出向いていることが、我ながら恐ろしい。ま、今にして思えば、人生で一番バイタリティ溢れる年頃であり、好き勝手に遊んでいたことを実感できてしまうのだ。行けば行くほど、ゴーナナが好き、鉄道が好き、大宮が好きになることがわかったのだ。こうなると当時のアントンKは、止まらなかったのかもしれない。若人の情熱は凄まじいのである。今でも変わらない東北と上信越との分岐点。変わったのは、在来線の列車たちだが、当時は日本一と思えるほど、次々と優等列車が入線しては、発車していき、一日ホームにいても実際飽きることは無かった。ホームで録音をしながらカメラでスナップを撮り、上下のホームを行き来した青春時代は、まさに一瞬の出来事に感じられる。こんな時代を生きられて本当に良かったと思い返しているところだ。

掲載写真は、突然、時刻表にない列車が入線。それもEF57でやってきた。いつも慌ただしい下りホームが、さらに活況を浴びてくる。とは言っても、現代のような殺伐な雰囲気は一切なく、それを思えばゆっくりとした空気が流れていることがわかる。

時間になり、ゆっくりとゴーナナはホームを離れていった。アントンKは、ゴーナナのこの後ろ姿がとても好きで、何度も狙ったシーン。写真は情けないが、気持ちだけでも・・・感じて欲しい。

1975-08-23   8403ㇾ   臨時列車 EF57 3     東北本線:大宮駅にて