アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

ギュンター・ヴァントの思い出

2015-01-11 15:00:00 | 音楽/芸術

正月休みを利用して、過去のコンサートのプログラムを整理した。数十年分のコンサートのものだから、数百になってしまうが、それぞれ普段は忘れていても、手に取って中を開くと不思議とその頃を思い出すものと、全くもって忘れているものとに分かれる。今回は、今でも思い入れのある演奏会のプログラムとそうではないものとに分けて整理してみた。

その中で、今でも鮮明に思い出せるコンサートが今回取り上げるギュンター・ヴァントのコンサートだ。それは、マエストロが、日本の聴衆のためだけにブルックナーを演奏しに来日した、2000年の11月のコンサートである。3日間の日程で、全て同じプログラム(シューベルト第8/ブルックナー第9)という形、ホールは、オペラシティ・タケミツトオルメモリアルという、この時は最良と思われる場所での演奏会だった。

アントンKは、その3日目の最終日に出向いたのだが、今思い出しても、この日の演奏会場の熱気というか、雰囲気は今まで経験のないものだったように思い出す。大袈裟に言えば、どこかの宗教の儀式でも始まるのかのごとく、聴衆はどこか、慎重で、冷静で、また自分も含めて緊張感が漂っていた。ハンブルク北ドイツ放送交響楽団の団員達が拍手とともに舞台に現れ、そして指揮者ヴァントが下手から現れて、拍手が鳴り終わった後の、会場の静けさといったらない。息をするのもためらうくらいの音のない世界、全ての聴衆がこれから始まる一音に集中している。そして「未完成」の最初のチェロとバスがPPでシードーレと始めた時、目頭が熱くなってしまった。何て暖かく深い音色なんだろう。ただそれだけで感激してしまう自分が、どうかしているのかと思ったものの、アントンKの周りでも、すすり泣く聴衆が散見できたのだ。まだ、音楽が始まって1分も経っていない状況で、魔法にでもかかったような感覚。こんなに深い「未完成」は、過去にも聴いたことがなかった。

そして休憩をはさんで、メインのブルックナーの第9交響曲である。ヴァントも、今思えば朝比奈隆と同じような大器晩成型の指揮者。70年代の録音を当時から聴いてはいたものの(やはりオケはNDR)、どこかスケールが小さくまとまっていた印象が残っている。そして、ヴァントの解釈は、初期のシンフォニーよりも、やはり後期のものの方が好きだった。そんな印象をもっていたが、90年の来日の際のブルックナーの第8でまるで印象が変わってしまった。(この時もNDR)それまでのものより、スケールがより大きくなり、お得意のオケに対する緻密な要求により、各声部のバランス感覚が素晴らしいと思った。その後、晩年に向けて、BPOやMPOなども指揮するようになり、録音もたくさん世に出ているのは、ご承知の通り。この時のヴァントもそうだった。ホールの残響を意識した、今までよりも多少遅めのテンポ感、相変わらずのオケに対しての主張は素晴らしい。晩年の演奏は、どれもそうだったように、1mov.のコーダから、さらにテンポを落ち着かせ、PPから大きく音楽が膨れ上がっていく過程のバランスは最良で、スコアの最後の2ページの終結部のTbのリズムのアタックは、ここでも強烈で、予想はしていたものの、身体は凍り付いていた。第2楽章は、引き締まったリズムとオケ全体から醸し出される一体感が、みるみる自分を吸い込んでいった。不協和音のリズムは、まるで悪魔のダンス。恐ろしさまで感じられた。そして、アダージョ楽章。「生からの別れ」とされる 練習No.からは、今思い出しても、会場の雰囲気が尋常ではなく、無意識に聴くことだけに集中している自分がいた。特に終結部は、かつて聴いたこともないくらいなテンポで進み(しかし後で視聴してみたら、そうでもなかった)、第7交響曲のテーマがHrnで奏でられたあとは、永遠にこの音楽が続けば・・と祈らずにはいられなかった。

同行した友人に、ホールを出てから話したこと。それは、彼も今まで経験したことのない演奏会だったということ。日頃、演奏会には行くものの、この日の演奏会が滅多に巡り合うことのできない、桁外れの演奏会だったことだけは、間違いないようだ。

長年数々の演奏会を聴いてきて、そのほとんどが時間とともに忘れてしまう中、絶対に忘れない、忘れられない演奏会がいくつかある。アントンKにとって、その中の一つがこの日のヴァント/NDRの崇高な演奏会であった。

画像は、後にDVDとして発売された映像の中からのもの。(画像が見苦して申し訳ありません)


グレードアップ「あずさ」の復活

2015-01-07 18:00:00 | 鉄道写真(EC)

昨年末、豊田区の189系1本が、グレードアップあずさ色に変わったというので、年末の臨時「あずさ」の撮影に出た。

アントンKの中では、もう忘れかけていた配色だったが、、白地にグリーンとレッドのラインの当時としては派手な塗装の電車だったことを思い出した。慌ただしい年の暮れだというのに、沿線はどこも撮影者が多く、ちょっと面食らったが、その大部分は、懐かしさより、珍しさを求めたファンが多いように見受けられた。

それにしても、八王子支社では、このGUあずさ色、JRのライトブルーのあずさ色、そして伝統の国鉄特急色と、3本の183・189系を持つことになる。イベントや、多客時、あるいは観光用として、まだまだ使用しようというのだろうか。今後の動きに注目して行きたい。

写真は、その年末の時のものではなく、正真正銘のグレードアップあずさ号。まだ走り始めてから時間が経っていないようで、随分綺麗な状態でやってきた。

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1988(S63)-02-07       2M   あずさ2号        JR東日本/中央東線:高尾-相模湖

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新春闇鉄/「あけぼの」撮影

2015-01-04 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

最後の運転と噂される年末年始の寝台特急「あけぼの」。運転本数にやる気のなさがうかがえるが、それでも、ここでは運転があるだけ良いと考えるべきだろう。運転時刻も定期の頃より随分と変化して、関東では季節がら走行写真は難しい時間帯だ。雪の中でEF81の「あけぼの」を狙うという選択もあったが、今回は、「あけぼの」への離別の意味も込めて、上越国境へ闇鉄チャレンジと相成った。

 昔なら、夜間撮影というと「バルブ」撮影というのが当たり前だったが、今の世の中、機材の進歩で日の光がなくても、夜間の走行写真が撮影できる時代となった。出来るといっても、やはり日中撮影した画像のようには撮影できるはずもなく、撮影者それぞれの許容範囲が様々だろうと思う。アントンKも、今まで何度が夜間撮影にチャレンジしてみた経験はある。しかし腕が悪いのか満足する画像が撮れていない。そこで未だ未経験の夜間雪中撮影でまさに最後の挑戦に至った。

「あけぼの」夜間撮影では、清水トンネルを越えた土樽進入がメジャーらしいが、今回は混雑も予想されるので別のポイントで考え、一番自分の条件に近いであろう水上の発車を狙いに行った。ここは、かつて上越国境越えのためEF16がほぼ全ての機関車に連結され、水上駅から本務機と重連で峠に向かってカーブを切って上がっていくポイント。当時は、この脇に機関区があり、国境の守り神EF16がごろごろしていてよく撮影をした思い出深い場所だ。現地に入ったのが深夜だったから、あたりはよく見渡せなかったが、元機関区付近は整地され跡形もないが、本線自体は昔と同じイメージで残っていた。正月寒波の影響からか、雪の量は申し分なく、あとはどのくらい雪が被写体を浮き立たせてくれるのかが問題だった。ハイビームにやられることのないよう、短いレンズ選択は弱気だが、これも撮り直しできないことを考えれば賢明な選択か。そんなことをあれこれ考えながら、アッという間に定刻0:20になり、ホームに入ってくる「あけぼの」が確認できた。2分間の停車後、ゆっくりと近づいてくるロクヨンをシュート!列車は静かに真っ暗な峠へ消えて行った。

速度が遅かったので、あまり画像がぶれなかったことが幸いだった。上越国境へ挑む最後の「あけぼの」としては、少しは自分のイメージに近づいたと思っている。

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2015(H27)-01-04    9021レ       EF641032      JR東日本/上越線:水上-湯檜曽