風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

「VAN」の死/石津謙介さん逝く

2005-05-26 00:39:08 | トリビアな日々
punchDX_1「VAN」ジャケットの石津謙介さんが24日に亡くなった。93歳だったという。いや、ボクは当然、「JUN」派(笑)だったからVANには思い入れはないし、それに第一アイビー(IVY)・ルックが大嫌いだった。しかし、「メンズ・ファッション」というジャンルをこの国で打ち立て、おしゃれや持ち物と言うかグッズに気を使うと言う消費型男性(!)を生み出した功績は否定できないだろう。

実は、VANジャケットは現在も1着持っているのだが、これはあまりに着るものを持っていないボクを哀れんで、友人がくれたものである。その優しさゆえに未だ、大事に所持している(大橋さん、ありがとう!)。

当時の広告を探してみた。「デラパン」と略称していた「平凡パンチ・デラックス」(週刊誌だった『平凡パンチ』の増刊号で、隔月刊だった)が見つかった(写真参照)。左が、1968年JANUARY(通算15号)、右が1968年DECEMBER(20号)である。ともに「punch mode show」というコーナーだが、完璧にVANの協賛広告頁である。
髪をきれいに七三にわけ、ブレザーコートとフォーマル・ウェアーで決めている。下の記事にあるが、黒のタキシードと白のタートルネックが新しい!と提案している、たしかに、ジャケットとタートルネックのカップリング自体ははやったが、その組み合わせは50年代の実存主義(サルトル世代と言った方が早いかな)ファッションでもあった。よく、共産党のオルグ担当の党員なんかもやっていたような気がする(笑)。
ボリス・ヴィアンや、ジュリエット・グレコが一番似合って(若いひとは知らないかもしれない)ファッションリーダー的だった。当のサルトルが、実存主義ファッションをしている写真はボクは見たことがない(笑)。

「VAN」は1978年に多大の負債をつくって倒産、現在のブランド名「VAN」は身売りされたものである。
ところで、ネットでも新聞の訃報にも書いてあるこの下のくだりには、ボクは異義がある。事実誤認であると思われる。

「「VAN」を着て銀座に集まる若者を称する「みゆき族」という流行語も生まれた。」(毎日新聞WEBニュース)
「ブレザーやボタンダウンのシャツに白靴下の「アイビールック」は、東京・銀座に集まる「みゆき族」を生み出すなど、その後の若者風俗にも大きな影響を及ぼした。 」(朝日新聞およびasahi.com)

このくだりの異義については、明日書くことにしよう。

ともかくもメンズファッションの仕掛人で、起業家でもあった石津謙介さんのご冥福を祈ります。