風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

下村誠の突然の死……(追悼文)

2006-12-07 23:58:38 | コラムなこむら返し
 下村誠くんが死んだことを知った。MIXIのコミュでの書き込みで知ったのだ。
 6日夜、歌の相方でもあった吉本有里の貸家(下伊那)が火災にあった。どうやら、風呂場の奥火が原因のようだが(まだ特定された訳ではないらしい)、火のまわった古い木造農家はひとたまりもなく二階の寝て居たアマチを起こしに行った有里は、そのまま階下に降りてこれなくなり、アマチとともに屋根から飛び下りた。生命に異常はないが、2週間の怪我を負ったようだ。
 で、逃げていると思っていた下村誠が家の裏側で倒れていたのだと言うことらしい。これは、正確な推移ではないかもしれないが、ともかく友人でもあった下村誠という歌い手が死んだ。

 NATTY RECORDSというレーベルを立ち上げ、みずからも歌い手であった下村誠はモモさんと慕われるこころのやさしい男だった。すこしおんな好きなところは、それはボクとて同じで愛嬌である。
 下村誠の姿は、奥多摩に建設された最終ゴミ埋め立て地の反対運動の中や、浜岡原子力発電所反対運動の陣営の中にもあった。下村誠は歌の力で、ひとを動かすことができると言うことを信じている男だった。ボクは、下村誠と真に親しくなったのは、「チェンマイいのちの祭り」でであった。
 あまり居心地のよくないゲストハウスから脱出することを考えていたボクと、一緒に行った(ボクが案内人と言う役回りで)JUNJUNの目の前にトゥクトゥクに乗った下村誠くんが到着し、そのまま彼はボクらが目をつけていたゲストハウスへ移ってしまう。ところで、このゲストハウスは在チェンマイの日本人がオーナーで下村くんは気にいってしまい、その数年後もまた行ったはずである。ボクは、そのゲストハウスの住所をあらためて下村くんに教えたことがある。
 また、9・11のあとアフガンのタリバンへのアメリカ軍の攻撃がはじまった頃、ボクは下村くんにさそわれて彼の企画するピースコンサートに出演したことがある。下村くんは出色のプロデューサーでもあり、また佐野元春の伝記も書くなど文才にもめぐまれたおとこだった。
 歌のリリックも、豊かなメッセージ性と愛があふれたものだった。

  ロマンチックな夜も 清らかな朝の光も
  新しい焼却炉でいつか灰になる

  きみは見てたんだね あの夏の涙を…
  君は知っていたんだね 悲しみに濡れた瞳を
  森の魂・風の塔 輝く森の精霊に守られて
  きみはいまも あの日のまま…
  (「森の魂・風の塔」下村誠)

 明日、長野で通夜があり東京でも有志が、本應寺で追悼の夕べを催すらしい。
 下村誠くん! やすらかに!

  喜びの詩(うた)をうたいたいのに
  誰もが伏し目がちなんだね
  メジャーなコードがマイナーに変わり
  絶望と苦悩のうたになる
  ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ
  (「絶望と苦悩のハレルヤ」下村誠)