風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

夕焼け評論/取り忘れられた街

2005-10-13 00:02:41 | まぼろしの街/ゆめの街
青梅で水浸しとなったテントで、これまた水に濡れた寝袋で寝てしまったせいか、風邪を引きそうな徴候がある。それをどうにかコントロールして耐えている。
ポエトリー・ライブ・パフォーマンスで汗をかいたところを、酒をくらって着替えもしないままに寝、さらに浸水する雨で身体を濡らしてしまった。

撤収の朝、チャイを七輪で温め直し、身体を温める。さらに、幸いにしてまだ熱かったキャンプ場の風呂に飛び込む。というか、半身浴をする。残ったチャイをふるまって、次々に帰ってゆく車を見送り、森を見渡して余韻を楽しんでいた。

二日たって、やっと晴れ、寝袋も洗濯物も干すことができた。入道雲のような雲さえわきたつ、さわやかな一日。近所では、土日体育の日の雨で順延になっていた運動会がやっと開催できたという井戸端会議がなされていた。

懐かしい場所に散歩に行った。有里のライブを開催して、有里たちと出会った頃のあの街の風景はどうなっただろう? と、気になっていたのだった。
中央線にあるその近郊の街は、中央線の高架工事の為、駅は立派になり、駅周辺は変わりつつあったが、懐かしい場所はほぼそのままだった。多摩川べりの競艇場のある駅までつづく小さな郊外電車は、まるで時が止まったかのようにそのままの風景を残していた。おそらく、ここでは変わったのはひとの方なのだ。鄙びた小さな駅とその駅前の商店街。まるで、コンパクトにした下町のようなたたずまいはそのままだった。

その日、一瞬だったが雲が切れ夕焼けが見えたのだった。
ぼくは、ずっとその街になにかを取り忘れてきたかのような思いを打ち消すことができなかった。30代だったぼくが、つげ義春のように生きたいと思っていた街だった。一瞬の夕景の中に、そのぼくが忘れてきたものが浮かび上がったような気がしたが、確かな形にすることなくぼくはすぐさま忘れ去ってしまったのだった。