風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

裸の王様・行為の王者/ダダカン(2)

2005-08-05 00:37:03 | アングラな場所/アングラなひと
dadakan
ダダカンの名前(もともとは本名糸井貫ニのニックネーム)にもあるように、ダダカンは行為と破壊のダダイスト系の芸術家として出発し、そのもっとも多い作品は男根作品やメール・アート??分かりやすく言うと、絵手紙である。
ダダカンのもっとも有名なハプニング(今で言うパフォーマンスだが、ちょっとニュアンスが違うので当時の呼び名を使う)は、1970年4月27日の万博会場を真っ裸で15メートル走り抜けたストリーキングである。ダダカンは警備の機動隊に逮捕されたが、その英雄的な(!)行為は海外にまで報道されたらしい。

もともとヌーディストもそうだが、当時ヒッピーたちもやたらと全裸になった。ナチュラリストとしての太陽の下での健康でナチュラルな裸という考えもあるが、ヒッピーたちの場合、ベトナム戦争反対の平和デモや政治集会などでもやたらとそのあでやかな、極彩色の服を脱ぎ捨てて、裸で抱き合って機動隊や警察官を困惑させるのだった。警備の兵の銃口に花を差して、平和を訴えたのと寸分違わぬ「行為」としてとられた美しいハプニングだった。

きっと、ジョンとヨーコがベトナム戦争反対の主張をその新婚のベッドで訴えたあの「ベッド・イン」にも流れている平和的な「行為」。つまり、この場合、全裸は「愛(LOVE)」というメッセージに転化したのだった。ちなみに、ヨーコ(小野洋子)も、もともとはネオ・ダダ系のアーティストである。

ダダカンの場合、おそらくその一糸まとわぬ姿を岡本太郎の巨大彫刻作品である「太陽の塔」に対峙させたのだ。血筋良くフランス帰りの岡本太郎は、縄文土器の中でもとりわけ火焔形土器の「芸術的造形」に最初に注目した芸術家としても知られている。反逆のアーティスト、ダダカンはその縄文的な形象にヒントを得て作られた「太陽の塔」に、原始的な野生としてのおのれの裸体を対峙したのだろう。「聖なる野蛮人」という概念が生きていた時代だった。
そして、ダダカンは1970年のその日、万博会場を全裸で走り抜けた!

それは、なんと言う情景だったことだろう!
巨大なる縄文土器のような彫刻作品が聳え立つ会場は、お目出度いアカルイ未来観に彩られた偽善的な世界観でかためられていた。おそらく、岡本太郎もそれをあの鋭い眼力で見据えていた。しかし、その時、もうすでに岡本太郎は国家総動員の芸術家、建築家、技術者、企業、デザイナー、プランナーなどなどの象徴的な代表者のような存在に祀りあげられていた。彼はその日、「太陽の塔」の右目を占拠していた自称「赤軍派」の通称「万博目玉男」を「視察」しに万博会場にいて、「太陽の塔」が見下ろすおまつり会場を見てやたら「イカス!」と連発していたという。その場所を「行為」の芸術家であるダダカンは、全裸でたったひとりで走り抜けたのだ!

そう、縄文時代のままに! 片方は世界のひのき舞台に躍り出た日本が誇る「大芸術家」、対するは「行為の芸術の王者」ダダカン。そして、それをへいげいするかのように「太陽の塔」の目玉部分には、足を外へ突き出してブラブラさせている「万博目玉男」。その瞬間の三者の緊張感に思いを馳せるだけで、ボクは小便をチビリそうになるのである!
(なに、生まれていなかった? 関係ないよ! 想像しなさい! 小便をチビリなさい!)

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ダダカン:糸井貫二。1920年東京生まれ。仙台市在住。美術史には登場しないスーパー・アヴァンギャルド・ハプナーにして芸術家。現在生きていれば85歳である。風倉匠、弟子を自称する中島由夫などに多大な影響を与える。商品として取り引きされるアート作品、美術館に収蔵される作品という前提を根本から覆した孤高で異能の芸術家。「行為の芸術家」にして「王者」。

ストリーキング:60年代の終わりから一時流行した生まれたままの姿つまり裸体で街頭や、路上時にはスタジアムの中をひとりもしくは集団で走り抜ける行為。誰にでもできる「行為の芸術」のひとつ(笑)。誰でもが持っている性器が「猥せつ物」か?という課題に挑戦したい方はおためしあれ!