いやはや困ったものだ。何を書こうか中味をなにも考えていないのに、ヒットしそうなタイトルが浮かんできてしまった。これはシャレではない、言い間違いの効用の話だ。
ボクはココナツミルクが好きだと書いたために、甘党に違いないと思われているかも知れないが、実はその通りで、しかし酢の物も大好きなのだ。酢の物は、アルカリ食品で身体にいいからと聞いた時も、なんで酸っぱいのにアルカリなんだと反発した。酢の物が、本当に好きになったのは南の島に行くようになってからだった。沖縄で食べたもずくや、石垣島で食べたこれは酢の物ではないがアオサがボクの蒙昧な目を開いたのである。ヤマトでたべたそれらの食品はとうてい同じものとは思われなかった。
ある日、西表島で知り合いの子どもたちを大きいゴムボートに乗せて、午後の時間を環礁の中で遊んでいた。さえぎるものなど何もない広い空、眼前には視界をさらに上回る大洋が広がる。ボクは慣れないオールを漕ぎながら、南島のゆったりとした午後の時間を満喫していた。
と、急に潮の流れが早くなったのをボクは感じた。ゴムボートがいくらボクのロールさばきが下手だといっても、コントロールがきかなくなり、どうやら環礁から外洋へ流れでる引き潮に流されているらしいことにボクは気がついたのだ。それまでの、のどかなゆったりとした時間は過ぎ去り、引き潮の時間になってきたようだった。ゴムボートはどんどん外洋とつながった環礁の潮の出口の方へ向かっているようであった。
ボクは、おそらくひとりだったら、パニクっていたと思う。しかし、その時、ゴムボートに乗っている大人はボクひとりだった。ボクは、冷静になった。あそんでいる子どもたちには、気付かれないようにこう言った。
「さぁ、そろそろ帰ろうか。みんなで、ロールを漕いで岸につけよう!」
「は~い!」「オッケー!」そんな返事だったろうか?
上が小学生高学年で、あとはまだ保育園児といった子どもたちが、遊びの延長でいっせいにロールを漕ぎ出した。すると、なんと流れに逆らってボートは岸の方に、動きだしたのである。きっと、まだ環礁の中であったことが幸いしたのだろう。こうして、ボクらは海の藻くずにならずに済んだ。もしかしたら、外洋にそのまま流されていたらどうなったのかボクには想像もつかない。きっと、漂流民どころか水も食料もないままにすぐガイコツになっていたかもしれないなどと、いまでも考えることがある。
で、海の藻くずにならなかったボクは、それからだ。それまで、たびたび言い間違えをしていた「藻くず」と「もずく」を言い間違えしなくなり、アルカリ食品であろうが、なかろうがもずくが食べられるように、いやそれどころか大好きになったのである。
(スイマセン! 読者を説得する努力を最初から放棄していますね!)
<2003.09「奇天烈」投稿コラム>