みちあき神父のふぉと日記

カトリック教会の司祭です。日記のテーマは「がんばらない―Take it easy―」。ここで、ひと息ついてくださいね。

ピンク・シスターズ?

2009-11-09 16:30:00 | Everyday is special
先月の黙想会は、「ブルー・シスターズ」と呼ばれる聖霊会の黙想の家でありましたが、そのお隣は、「ピンク・シスターズ」と呼ばれる、同じ神言会ファミリーの
「神の慈しみの聖体礼拝会」という名前の修道院があります。いわゆる観想修道会ですね。

最初フィリピンに来たころは、「えっ、ピンク・シスターズって、何?どこかのスナックかバーの名前??」などと、不謹慎にも思ってしまいましたが、これがどっこい、24時間(ミサの時間を除いて)聖体礼拝をしている修道会なのです。で、着ていらっしゃる修道服が、鮮やかなピンク色をしていて、その上に白のヴェールとスカプラリオを身につけていらっしゃいます。
シスターたちは、通常一人30分ずつご聖体の前にひざまずいて礼拝し、交代していきます(修道院の人数からすると、一人1日2回ほど)。

じつは、いま滞在しているケソン市の神学生の家の近所にも、同じ修道会の修道院があり、そこでも常時聖体礼拝を行っていて、日中なら、誰でも自由にお祈りに行くことができます。

1986年2月に起きたピープル・パワーの無血革命(二月革命)では、当時のフィリピンのカトリックの指導者で今は亡きシン枢機卿が、民衆に呼びかけて軍の戦車を祈りとロザリオで阻止し、選挙の不正が明らかになったマルコス元大統領を退陣させたとき、何よりもまずピンク・シスターズの院長に電話して、フィリピンの平和のために断食して祈ってくれるようにと頼んでいたことは、じっさいにあった裏話です。
そして、マルコス元大統領は妻のイメルダや家族と共に国外に脱出し、コラソン・アキノ女史が大統領になったのでした。(詳しくは、ぼくも翻訳のお手伝いをした『2月革命の77時間』をご覧ください。)

そのアキノ元大統領は、ガンのため、8月1日に惜しまれながら帰天されました(AFP BB News)。

じつは、ぼくは、叔父の西本至神父のところに遊びに行くために、1986年に初めてフィリピンに行ったのですが、それが革命の直後のことで、そのとき、叔父と共にシン枢機卿にも出会わせていただき、大きな感銘を受けたわけです。
このとき、まだ洗礼も受けていなかったぼくは、オーラたっぷりの彼に握手されたとたんに何かを感じて、カトリック教会にひかれていき、翌年ついには洗礼を受けるまでになっていったわけです。(本当は、たまたま革命の真っただ中に出発する飛行機を予約していたのですが、空港が閉鎖されて行けず、たしか革命直後の3月1日に行くことができたんですね。マニラに着いたときは、革命の興奮が冷めやらぬ状態でした。)

あれから、もう23年も経ったのですね

ところで、このタガイタイのピンク・シスターズの修道院には、一般の人でも宿泊できる小さな黙想の家もあり、ぼくが神学生だった頃、お世話になったことがあります。今回、黙想しながら、いろいろと思い出しました。

さて、明日から別な黙想の家で会議があり、行ってきます。今週末まで、またふぉと日記の更新やメールの確認ができなくなりますが、どうぞご心配なく。

上の写真は、表通りの看板。ピンク色の文字で書かれているので、本当にスナックか何かの看板に見えてしまうのは、ぼくだけでしょうか。


修道院への入り口。



広くてきれいな駐車場。



これが常時聖体礼拝の聖堂です。



聖堂に集合していらっしゃるシスター方。



聖堂正面。

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