昨日は、大阪でやっている「世界報道写真展 2015」に行ってきました。
昨年も、見に行っていたんですが、やっぱり、私には荷の重い写真展で、楽しく見る。というよりは、斜交いに見るべきものだったんです。
写真展に展示されているのは、全部、現実なんです。
目を覆いたくなる現実に、ふわふわ生きている私は、直視でしません。
世界は、本当に広い。というのがわかりました。
知らない世界が、まだまだ多く、残酷なものまであります。
テレビで見る報道は、見せてはいけない部分はモザイクで隠されています。
しかし、モザイク無しで見る写真は、「怖い。」の一言で、写真に添えられているコメントも露骨なんです。
よく、ドラマとかで、「私は、報道の世界で生きていきたい。」とか言っているのを見るのですが、現実の報道は、感動はあるかも知れませんが、ほとんどが醜いものばかりだと思いました。
かっこよく、「報道の世界」などと口にする人が、私にはわからないのです。
私は、蝶々や、花を撮るくらいで、十分過ぎるのです。
私は、世界など大きなものを知りたくもない。と思い知らされました。
昨年も、見に行っていたんですが、やっぱり、私には荷の重い写真展で、楽しく見る。というよりは、斜交いに見るべきものだったんです。
写真展に展示されているのは、全部、現実なんです。
目を覆いたくなる現実に、ふわふわ生きている私は、直視でしません。
世界は、本当に広い。というのがわかりました。
知らない世界が、まだまだ多く、残酷なものまであります。
テレビで見る報道は、見せてはいけない部分はモザイクで隠されています。
しかし、モザイク無しで見る写真は、「怖い。」の一言で、写真に添えられているコメントも露骨なんです。
よく、ドラマとかで、「私は、報道の世界で生きていきたい。」とか言っているのを見るのですが、現実の報道は、感動はあるかも知れませんが、ほとんどが醜いものばかりだと思いました。
かっこよく、「報道の世界」などと口にする人が、私にはわからないのです。
私は、蝶々や、花を撮るくらいで、十分過ぎるのです。
私は、世界など大きなものを知りたくもない。と思い知らされました。