すっぴんハート

心の声、つぶやきを思うまま綴ります

お天道様は見ている

2019年05月30日 | 思うこと
だんだん夏の太陽に変わりつつある時期です。

お天道様とは、太陽のこと。と、気づいたのが、つい最近のことです。
ある人が、「お天道様は見ている。」と、手を合わせて太陽を拝んでいるのを見て、真似してみました。
突き刺すような日差しに目がクラクラします。
でも、その突き刺すような日差しが、余計にお天道様という感じがして、神々しいのです。
「今日も健康でいられますように。」と、言っているかと思えば、そうでもないのです。
強欲な私は、もっとすごいお願い事を平気でします。

太陽の光は、分け隔てなく公平に周りを照らします。
その公平さが、「お天道様は、見ている。」になるのでしょう。
本当は、全ての世界が公平ではないのです。
偏りがあって普通なのです。
でも、そうとは思わない人が手を合わせるのでしょう。

私は、太陽の光を想像するとき、シミ・しわを想像してしまいます。
なんと現実的なことでしょう。
世の女性や、綺麗を目指している男性も、きっと同じようなことを思っているのかもしれません。
これから、もっと暑くなって汗の時期に差し掛かります。
その時、「お天道様。」は、拝まれるんでしょうか。
「あっついなぁ。」と、嫌がられることになるはずです。
今の時期だけ、恵みの日差しなんです。
欲におぼれた私は、「お天道様は見ている。」と、汗をだらだら書きながら、手を合わせているに違いありません。
欲って怖いなぁ。と、思うけど、やめられないんだなぁ。

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ブルーベリー

2019年05月28日 | 思うこと

ブルーベリーが実っています。

だんだん膨らんでいく実に、「うふふ・・」と、笑みさえ出てくるのです。

今回、結構たくさんの実がなったので、嬉しさひとしおなんです。

まあ、こんな時しかカメラで撮ることがないので、久々にカメラを取り出し、シャッター音を響かせることになりました。

結構、楽しかったです。

大きな実はもう色づいた途端、食べれるくらいの大きさなんです。

去年も反省したんですが、まだ受粉されていない花もあったようで、実る前に枯れてしまいました。

来年こそ、もっとたくさん実が出来るように、きっちり受粉することにします。

本当に、ブルーベリーの実は可愛い奴なんです。

 

 

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うつらうつら

2019年05月26日 | 思うこと
最近、朝に弱くなったなぁ。と、思うようになりました。
以前は、どんなに早く起きてもシャキッとしていたんです。

今朝、日焼け止めの塗り方の番組がありました。
「是非とも、よく見ないと。」と、思っていたにも関わらず、うつらうつらしてしまって、見逃してしまったんです。
本当に残念です。

なぜ、急に朝に弱くなってしまったのでしょう。
たぶん、夜はきっちり寝ているはずなんです。
最近は、暑くても熟睡している自信はあるのです。
「朝、眠い時に、寝れたら最高の気分になるのでは?」と、思いながら、眠い目でテレビを見ていることになります。
9時を過ぎても、まだ眠い。
「なぜだろう。」と、思います。
動くときは、自分に喝を入れて、シャカリキに動くようにしています。
朝が、こんなんだから夜は目がギンギンというわけではないのです。
年寄りの体になってしまったのか。
誰にも相談できず、ただ眠気と戦うのみ。

確か、年寄りになると朝が早くなる。というのを聞いたことがあります。
じゃあ、年寄りじゃなく、体が若くなった。という事でしょうか。
疑問だらけなんです。

テレビを見ながらうつらうつらが一番気持ちよくって、立ち上がるのもおっくうになります。
「だぁ~。」と、声をあげながら、立ち上がり、愛犬をかかえて自分の部屋に行って、化粧をするのが日課になりました。

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慰めはいらない

2019年05月24日 | 思うこと
一人落ち込んだとき、横から要らぬ慰めをする人がいます。
「そんなものはいらない。」と、余計なおせっかいになります。
落ち込む時は、とことん落ち込んで、そこから這い上がるのが私なんです。
慰めは、余計に落ち込ませ、一人で這い上がれないほど、深みにはまっていきます。

「昔のお前はできる奴だったぞ。」とか、そんな過去に縛られるのはごめんです。
出来る人間か、出来ない人間かは自分で決めることです。

学生時代、落ち込んだとき、父にも慰められたことがあります。
元々、要らぬ口をはさまない父ですが、私の態度があまりに惨めだったみたいでした。
「昔のお前は、勝気な性格だったんだ。」と、もう忘れてしまった過去の私と、その時の私を比較してボソッと言うのでした。
父の言葉は、「本当にそうだったの?」というぐらい、忘れてしまった自分を思い出せませんでした。
でも、落ち込む時は、完全に底まで行かないと浮上できないものなんです。
自分で、「よし。」と、思わなければ、前に進めません。

今、私に声をかけてくるのは、父ではなく、赤の他人なんです。
「適当なことを言うな。」と、腹が立ってくるのです。
本当の私を知らないくせに、言うことは適当。

何でも自分で這い上がって見せます。
今は落ち込んでいても。


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愛犬のこと

2019年05月22日 | 思うこと
朝から嘔吐を繰り返す愛犬です。
「何か、悪いものでも食べたのか。」と、思案するのですが、一向にその何かを思い出すことが出来ないのです。
そういえば、いつもと違っていたのは、自分一人で私の部屋まで上がってきて、ベランダで遊んでいたことなんです。
その時、葉っぱを食べたんだと思います。

人間には無毒な葉っぱでも、犬には嘔吐を促す効果があるようです。
それを、口にしたんだと思います。

胃液を全部吐き出して、ねっとりした泡状のものが愛犬の口から出てきました。
慌てて雑巾を絞り、胃液を掃除したんですが、びっくりすることに、いくら雑巾を洗ってもねっとり感が、雑巾から取れないんです。
「胃液って、ものすごい粘り気があるなぁ。」と、思うことになりました。
私は、胃は丈夫なので、胃液を吐いたことが無いのですが、「こんなにも凄いとは。」と、思ってしまうほど。
案の定、愛犬の抱き具合が変わってきました。
何とも、体重が落ち、軽い犬になりました。
まあ、元々ずっしり重い犬なので、軽くなると、妙に腕にかかる重みが違ってくるのです。
「いっぱい吐いたんやね。」と、労わりの言葉をかけることになります。
いつもは、「もっと痩せなさい。」と、言っているにもかかわらず、「こんなに軽くなっては可哀想。」と、矛盾している言葉を吐いてしまいます。

根は元気な犬なので、餌をもっと食べれば、元に戻ります。
やっぱり、犬はフクフクとした体でないと可愛くない。ことがわかりました。

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