すっぴんハート

心の声、つぶやきを思うまま綴ります

愛犬の死

2010年10月31日 | 思うこと
友達の愛犬が亡くなってしまった。
とても、可愛がっていたのに、残念で仕方ない。
動物と接していると、死を目の当たりにすることが多い。
「昨日まで、元気に遊んでいたペットが、今日は、死んでしまった。」と、いうことがある。
可愛がれば、可愛がるほど、死は痛々しい。

あるおばさんが、「飼っていた小鳥が手の中で、静かに死んでいった。それは、ものすごい悲しみだった。旦那が死んだ時より、心が痛んだ。」と、言うのを聞いた時は、笑ってしまった。
でも、物言わないペットだから、余計に心がペットに入り込んでいるというのがわかる。
私も、愛犬を亡くしたことがある。
その時は、心が空洞化して、何もする気が起きなかった。
「もうこんな悲しい思いをするのなら、動物は飼わない。」と、誓った。
しかし、心の空洞化は、埋めることが出来ず、新しい犬を飼った。
友達も、今は、亡くなった愛犬を思いしのび、心が沈んでいるだろう。
「もっと可愛がってあげればよかった。もっといろんなところに連れて行ってあげればよかった。」と、後悔もしているだろう。
今は、ひたすら悲しみに沈んでいたほうがいい。
そうでなければ、愛犬は、何のために友達のところで飼われていたのかわからなくなってしまう。
そのうち、また元気な友達の姿を見ることができるようになるだろう。
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医療

2010年10月27日 | 思うこと
そろそろインフルエンザの季節だ。
予防接種も考えておかないといけない。
以前に1度、インフルエンザの予防接種をしたことがある。
あれは、超痛い。ちりちりとした痛さで、針を抜いたあとも、まだ痛みがある。
しかし、インフルエンザになることを思えば、一瞬の痛さである。
予防接種をしたからって、インフルエンザにならないとは限らないらしい。
でも、軽く済むと聞いている。
最新のインフルエンザの予防接種は、新型インフルエンザの抗体も入っていて、一度打つだけでいいらしい。
医療は、日進月歩している。
予防接種には、子宮がんを予防するものもある。
ガンを予防できれば、言うことがない。
もっと、医療が進歩すれば、不老不死の世界が待っているかもしれない。
長く生きれたら最高だろう。
でも、いつ死ぬ?
死ぬのは簡単だ。自分の意志ひとつで、あっけなくこの世を去れる。
でも、死ぬのは、一生のうちで一回だけだ。
それを選んだら、後悔もできない。
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性格

2010年10月24日 | 思うこと
A型は、几帳面だ。と、いいながら、全然几帳面ではない私。
なぜだろう。
どの占いでも、努力型だと書いてあるのに、全然努力とかしない能天気な性格をしている。
性格は、占いでは決めれないものである。
母が言うには、性格は、育てられ方だそうだ。
何でも母がやってしまうせいか、私は、いつも気楽に暮らしている。
出来る人と、出来ない人の関係は、出来る人が、出来ない人を育ててしまう。と、私は思う。
母の母、おばあちゃんは、あまり器用な人ではなかったみたい。
その器用でない人に、育てられた母は、何でもこなしてしまい、話術も天下一品だ。
その器用な母に育てられた私は、何も出来ない平均以下の能力しかない、しがないただのおばさんになってしまった。
もし、私に子どもがいたら、何でもこなす器用な子どもを育てていたのかもしれない。
残念だか、私の代で血筋が止まってしまった。
能力は、隔世遺伝すると、私は踏んでいる。
すると、私は、おばあちゃんのようにボケてしまうのか。それとも、父方の祖母のように、半身不随になって面倒を見てくれる人も無く死んでいくのか。
よく考えて、子どもを作っておけばよかったと、後悔している。
しかし、自分の介護してもらうために子どもを作るのも酷な話だ。


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2010年10月22日 | 思うこと
自分の力不足のため、大泣きしてしまった。
涙を流すと、スッキリすると思いきや、全然スッキリするどころか、逆に落ち込んでしまった。

昔、会社でタイピングテストを受けたことがある。
その時、一番ビリになってしまって、泣きながら母に「もう、会社なんて辞めてやる。」と、嘆いたことがある。
その時、母は、「練習しなさい。ほら。ちゃんと!!」と、タイピングの絵を描いて、その上を指で押させたことがある。
でも、その時は大泣きしたことで、心が洗い流された感じがして、必死にタイピングの練習をして、翌日、ビリから二番に這い上がった。

でも、今回は、そんな些細なことではない。
自分の実力では、到底たどり着けない試験を受ける。
落ちるとわかっているのに、逃げることができない。
今度ばかりは、母も、「やれるだけやりなさい。」と、遠巻きに見ている。
自分次第である。
泣けば泣くほど、気持ちが試験から逃げていく。
すごい悪循環。その上、病気までも、勉強の邪魔をする。
八方塞とは、こうゆうことをいうのだと思った。
試験前から、悔し涙を流さないといけないほど、実力がない自分に腹が立つ。


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友達の愛犬

2010年10月17日 | 思うこと
今、友達の愛犬が大変な病気になってしまっている。
なんだか、可愛そうになった。
私も、前に愛犬を亡くしている。
あの時の気持ちは、もう言いようのないどん底を見たようだ。
そんな、悲しい思いをして欲しくはない。

たかが犬なんだけど、ただの犬ではない。
家族なのだ。
しかも、犬は自分の子どもと同じなのだ。
その子どもが病気になって、苦しんでいるのは、見ていて、どんなに胸を締め付けられるか計り知れない。
我が家の2代目の愛犬が元気であれば、あるほど、友達の愛犬の様子が気になり、また、我が家の愛犬を省みて、元気でよかった、と胸をなでおろす。

犬の命は、人に比べて短い。
だから、必ず死を受け入れないといけない。
死を見るのが、つらいから動物は飼わないという人もいる。
それは、それで理屈が合っている。
しかし、死をなんとも思わない人も中にはいるだろう。
そういう人の気持ちが、私にはわからない。

今は、友達の愛犬が、回復して、また元気な姿を見れるのを祈っている。
神様は、無慈悲ではないと、思っている。
あんなに可愛がっている愛犬を死なせはしないだろう。
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