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あみの3ブログ

ラーメン食べ歩きとお城歩き、その他感動したことを写真で綴る雑記帳
更新は不定期です

2019年12月のまとめ

2019-12-31 05:27:07 | まとめとカレンダー
12月に食べた杯数:30杯、、、前月比-8杯
1月からの累計杯数:449杯、、、昨年比-82杯


【推移】



【お店リスト】



【順位】



【目標管理】


【毎年の推移】



【総括】

◆毎月の低減目標40杯以下を-10杯で目標を大きく上回った、、、
◆石川で訪問回数が激減した、
◆新店:力八、神仙ファボーレ店、札幌海老麺舎、ぶた壱、YUZUKI
◆初訪:撲滅キャンペーン実施しなかった
◆2011年からの推移だが2017年をピークに、以降低減目標を達成した。
◆2020年は年間400杯未満を目指して取り組みたい。


今日の1曲
NHK紅白「ノーサイド」→こちら

141 郡上八幡城@岐阜県郡上市八幡町 令和元年(2019)12月8日 観光編・資料収集編

2019-12-30 23:29:24 | 城歩き
東海北陸自動車道の郡上IC付近を通過すると山頂部に見える美しい城。
特に夜間に通過するとライトアップされ、漆黒の闇に白く浮かび上がる姿は幻想的でもある。
いつかはライトアップ時間帯に訪ねたいと思いながら、結局帰途を優先させ一度も訪れることができなかった。

今回は1泊2日の行程だったので、2日目関の白神で限定ラーメンを食べてからこちらに立ち寄る計画を立てました。
紅葉は既に終わりを迎えていましたが、好天に恵まれ白い城壁と青空のコントラストが大変美しかったです。
高速道路からの遠景も美しが、天守閣からの眺望もまさに絶景です。



令和元年(2019)12月8日
東海北陸自動車道「郡上IC」下車、吉田川沿いに旧八幡町内に入り、安養寺脇から麓の第1駐車場に進む。「この先急坂・険しい細道」の警告看板に恐れをなし徒歩で登山する観光客も多い。一方通行なので対向車は無く、ワンボックス車でも通行可能。城直下の第2駐車場にはトイレや案内板も完備。そこから徒歩5分以内で到着できる。




駐車場からの参道・西側の石垣は、中央部に現代の積みなおしもあるが、周囲の石垣は往時の姿をとどめている。




追手道(登山道)付近の見晴らし広場は登山の疲れを取る人、やのんびりとお弁当を広げる人の絶好の休憩場となっている。


ここからのお城の眺めは抜群で、絶好の撮影ポイントです。


櫓も再建されており対比が美しい。


石段からの姿が美しく、雪に埋もれた風景は絶品。(でも来たくないw)



資料館事務所で入場券を買い、階段から大手門に向かいます。


正面に天守が見えてきます。



内部は資料館となっており、歴代藩主や郡上の城下町の歴史が紹介されています。
土佐藩主山内一豊の妻で内助の功で有名な千代は、初代八幡城主遠藤盛数の娘として生まれたそうです。
一豊の子孫で幕末の土佐藩主、山之内容堂は坂本龍馬の主君であり、大政奉還から明治維新にかけての一方の立役者として歴史に名を遺した人物です。


内壁や階段、太い柱、すべてが昭和8年に建造された純木造建築。
当時の外観を知る資料が無かったので大垣城を参考にしたそうです。その大垣城は戦災で焼失、再建する際は逆にこの郡上八幡城を手本にしたそうです。


ギシギシ・ミシミシときしむ音でそれを感じることができます。





天守閣からは郡上八幡の街並みが一望できます。


目を転じると深い山並みとそこを切り裂くように走る「東海北陸自動車道路」も見え、自分が見上げていた城に今たっているんだなぁ~と感慨もひとしお。


天下人はこんな風景を見ていたのでスケールが大きんだと思わずにはいられませんね。



【概要】
戦国時代末期、郡上一円は篠脇城を居城とする東氏(とうし)によって支配されていた。その後、東氏は郡上八幡の町を流れる吉田川の対岸にある赤谷山に赤谷山城を構えたが、永禄2年(1559年)牛首山(後の八幡山)の上に砦を築いた遠藤盛数により滅ぼされた。その時、赤谷山城を攻撃した時に砦を築いたのが郡上八幡城の起源である。
その後盛数の長男慶隆が城主となったが、本能寺の変後羽柴秀吉と対立する織田信孝の傘下に属していたため追放された。慶隆追放後、天正16年(1588年)に稲葉貞通が城主となり、郡上八幡城の大改修を行った。その内容は八幡山の麓に新たに濠を掘り、本丸に天守台を設け、塁を高くして、塀を巡らし、武庫と糧庫を増築し、鍛冶屋洞に面して大きな井戸を掘り、二の丸を増築して居館とした。この時、現在見られる近世城郭としての郡上八幡城の基礎が築かれた。
その後、関ヶ原の戦いの功によって再び慶隆が城主となり、城の改修を行った。『慶隆御一世聞書』によると、郡上八幡城は慶長6年(1601年)春から慶長8年(1603年)秋まで普請を行い「惣石垣三塀二重之矢倉松ノ丸桜ノ丸等出来」とある。5代藩主常久まで遠藤氏が城主となり、以後井上氏2代、金森氏2代、青山氏7代と城主が変遷。廃藩置県まで郡上藩の藩庁であった。

青山幸宜が藩主の際に明治維新を迎え、廃藩置県によって廃城となる。廃城の翌年の明治3年(1870年)に、石垣だけを残し、取り壊された。現在の天守は、大垣城を参考に1933年(昭和8年)模擬天守としては全国的にも珍しい木造で造られた(本天守は現存する木造再建城としては日本最古となる)。
1955年(昭和30年)8月30日に石垣などの城跡が岐阜県指定史跡に、1987年(昭和62年)9月10日に模擬天守が郡上市有形文化財に指定され、内部は歴史資料館などとして利用されている。

山城であり、市街地を流れる吉田川のほとりに聳える。城自体は小規模だが、城下から眺める城の風景や、城から見下ろす城下町のたたずまいは大変美しい。作家司馬遼太郎は『街道をゆく』で「日本で最も美しい山城であり・・・」と称えている。城の入り口までは徒歩でも自動車でも行くことができ、山麓には山内一豊と妻千代の像がある。
日本100名城の選定対象となるものの、検討の結果、選定されなかった。
2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(141番)に選定された。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


【縄張り】
築城時には吉田川を何党の外堀とし、山頂の要害部と山麓の居館部分からなる典型的なちゅせい山城であった。稲葉氏改修で中腹に二の丸が設けられ、江戸時代中期の改修でここは行政機能を持つ御殿を中心とする本丸となった。これに伴い山頂の旧本丸は丸・桜の丸に分割された。

郡上八幡城公式サイトは→こちら

【郡上八幡城】
《中世の砦から近世の山城へ》

名称(別名);積翠城
所在地;岐阜県郡上市八幡町一の平659
城地種類;山城
築城年代;永禄9年(1566)
築城者;遠藤慶隆
主な城主;遠藤氏、稲葉氏、井上氏、金森氏、青山氏
文化財区分;県指定史跡
近年の主な復元等;昭和8年(1933)10月
天守の現状、形態;
地図;



※出典、、、続日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)

19449 貪瞋癡「氷見産煮干しラーメン」@氷見 12月28日 店内リニュアル後ハツホー!さらにお客様の満足度を高めるために4Sが図られました!

2019-12-29 07:34:29 | 貪瞋癡
前回のエントリーは→こちら
ラーメンが美味しいワインバー
貪瞋癡(とんじんち)



ポチポチ進めていた店内のリニュアルが、ほぼ完成したとの事で年末のご挨拶がてらお邪魔しました。
さすがに年末休暇初日の土曜日とあって並びは半端ないだろうと予測し、13時過ぎに店着するもなお15人以上の外待ちがあり出直す。
13:30に舞い戻ったがまだ10人の外待ちがあり、14時の閉店ギリギリのタイミングなのでこのまま待つことにする。

暫くするとお店の〇〇さんが出てきて看板を外し、今並んでいる人で終了と告げ、暖簾を下げたのは14時きっかり。
そのタイミングで入店、紅出店主に軽く挨拶、軽いカエシのジャブを浴びながらリニュアルされた奥のカンター席に案内される。


厨房の中がスッキリしましたね。新たに取り付けた収納棚に細かい食器類が収まり扉が付いているので隠された格好。
仕切りガラスも奇麗に磨かれ清潔感が高まったね。


そして厨房に正対するカウンターは幅と厚みが増した無垢の一枚板にとって代わり、1/3は食器や食材を魅せるスペースとして使い、残り3席分は夜のワインバー専用席として、ラーメン客には奥のスペースを使ってもらうというコンセプト。
その分中待ち席を確保しているのはこの時期ありがたい。温かい空間で紅出店主の作業工程を見ているだけで、中待ちの時間が楽しく過ごせるね。


今迄大きなテーブルが1卓あって、合席していた奥の空間。
当初ビブグルマンを取る前まではソファー席が2卓あって、自分らが「ラヲタの遠足の会合」などで使わせてもらっていた。そのうちデスクや食材置き場となって、客席は前述の大テーブル1卓となっていた。
今回のリニュアルでは壁際2面にL字型にカウンターを配し、大テーブルの代わりに4人掛けのターブルを2卓に小分けした格好。
大幅な席数の増加にはなっていないかもしれないが、紅出店主のお客さんにゆったり過ごしてもらいたいというサービス精神が現れた改装だと言えよう。



メニューも奇麗になりました。
実はトイレも洋式ウォッシュレットになり、ビックリするくらいキレイになっていますが写真は割愛します(笑)


氷見産煮干しラーメン 800円(税込み)


どひゃ~ めちゃめちゃ美味しい!(Sやん風w)
今日のスープは一段と、いや過去最高に強い旨味が感じられ、一口目から感動の涙が溢れ出す。
表層の香味油がやや多めでそれが新鮮に感じる。


菅野製麺の#22低加水ストレート麺もドンピシャ。大鍋で麺を泳がせ、タイマーを使わず平ざるで麺揚げする行程は見ているだけでも飽きないが、それを目の前で見れなくなったのは若干寂しいが、食べると旨いのでよし!(笑)


そして今日も別皿の具材を忘れて完食(;^ω^)
残ったスープに黒ばらのりを入れて磯の風味を楽しみ、真空チャーシューをスープでしゃぶしゃぶして味わい、KK!


年末年始の営業予定は以下の通りです。


年明け早々には京都からあのお店の店主がやってくる!でも私、また仕事で参加できません😿もってないジジィですね。
その代わりとくしがおもてなししてくれることと思いますので安心です(笑)

では、皆様良いお年をお迎えください。
そして、今年一年のご愛読に感謝しつつ割り箸を置きます(笑)



♪ ♪
【お店情報】

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貪瞋癡とは仏教用語。貪とん=むさぼり(欲深く物をほしがる、際限なくほしがる)、 瞋しん=怒り(自己中心的な心で、怒ること、腹を立てること)、癡ち=迷めい妄もう(物事の道理に暗く実体のないものを真実のように思いこむこと)、これを人間が持っている三毒と仏教では言います。

店名;貧瞋癡 (とんじんち)
住所;富山県氷見市朝日本町1-30
電話:0766-72-0104
営業時間;11:30~14:00 19:00~翌0:00(ラーメンバーなので夜のラーメンは概ね21時くらいまで)
火曜日の夜営業は不定休
定休日;月曜日
駐車場;なし
地図;




今日の一曲ユーミン「ノーサイド」
2013年12月1日こくりつ競技場早明戦

19447,448 ちゃるめら ぐっぴ~「醤油 吉備地鶏」、「スパイシー」@富山 12月28日 2019年スパイシーの食べ納め!

2019-12-29 06:13:36 | 富山県東部(富山市周辺)のラーメン
前回のエントリーは→こちら
唯一無二の無国籍なスパイスラーメンも楽しめるちゃるめら醤油ラーメンのお店 富山の
ちゃるめらぐっぴ~

先週の10周年記念イベントは大盛況だったそうで、重ね重ねおめでとうございます。
年内の営業も29日を残すだけとなった土曜日、年内最後のスパイシーに巡り合うことができました。



醤油 吉備地鶏 880円(税込み)


一口目からガツンとくる旨み
プリッとした豚モモ肉チャーシューからの旨みでした
スープに浸して天地カエシ
地鶏の旨みとキリッとした醤油



明日の比内も楽しみ〜



◆スパイシー 1100円(税込み)


スパイススープ、ハフハフ
うぉ〜!
めっちゃ美味しい‼️



ポテト、ホコホコ
チキン、サクサク、ジューシー
今日はひよこ豆も入ってました🐥



麺チュルチュル、ムチムチ


来る年もよろしくお願いしますとご挨拶し
暖簾を後にしました(^^)/


♪ ♪
【お店情報】

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店名;ちゃるめら ぐっぴ~
住所;富山県富山市上飯野14-5
電話:076-452-4362
営業時間;
[月・水~土]
11:00~14:00 18:00~21:00
[日・祝]
11:00~15:00 17:00~20:00
定休日;火曜日
駐車場;あり
地図;

19445,446【新店】 弓月【YUZUKI】「醤油らーめん」、「塩らーめん」@金沢 12月27日 金沢駅前にまたラーメン新店オープン!

2019-12-28 08:10:40 | 石川県(金沢・野々市他)のラーメン
2019年12月25日
金沢市此花、金沢駅前郵便局ライフ金沢第1ビル1F(以前は保険の窓口だったみたいです)にオープンした
弓月YUZUKI(ゆずき)

目の前がコインパーキングで、最近オープンした『金澤吉宗 金沢駅前店』のはす向かい。→こちら

営業時間は17時から深夜2時までの夜専門。
場所柄、観光客や出張者の夕食や呑んだ〆としてのニーズに対応。
この辺はホテルも多く飲食店が立ち並び、ラーメン屋さんだけでも目の前には『吉宗』別院通りには『風花』『白鷺』、大河グループは『大河』『渉』『虎徹』の3店舗を構え、老舗の『万味』、少し離れた『巡』と枚挙に暇がない。

通りに面して大きく開放的なガラス張りのため、明るい店内は暗闇にぽっかり浮かび上がって見えます。



入り口を入るとまず券売機があります。写真と英語併記は外国人観光客向けの対応なんでしょうね。
ちなみに『白鷺』では店長が英語で対応してるのをたまに見ますが、こちら『YUZUKI』でも店長が英語、店主が中国語、スタッフのTakumiくんが新潟弁(笑)での対応が可能だそうです。



店内は白を基調として右手に厨房、そこからコの字に突き出たカウンター席、壁際にテーブル席が2卓と、スッキリゆったりとしたレイアウト。
オッサンにはよくわからないけど、おしゃれな音楽が流れ、イケメン男性が3人も揃って、こりゃ女性に人気がでそうですね~♡


厨房にも大きな暖簾が掲げられ『YUZUKI』FAIN RAMENのロゴと日の出ならぬ、雲と三日月のイラストが描かれています。



弓月ってどういう意味なんやろ?
イラストから想像するに弓張月(ゆみはりつき)、つまり上限の月に由来しているんでしょうね。
でも、なぜ上弦の月を店名にしたか? それは店主のみが知るところ、、、(本当は訊くのを失念www)
もう一つの推理としては、おすすめの柚子ペースト。 柚子=ゆず=YUZU=YUZUKI、、、なんか関係ありそうですね(笑)


さて
麺メニューの方ですが、「醤油」「塩」に自家製「生柚子ペースト」を載せた当店イチオシ「柚子醤油」「柚子塩」と「マイルドたんたん」の5種類。
その他トッピング、ソフトドリンク、サイドメニューのミニ丼
面白いにのは
「梅&わさ 海苔」 茶漬け風に〆ができるし
「焼肉屋さんの白菜キムチ」や
〆の〆「能登ミルクジェラード」まであって、ワンストップで自己完結できそうですね(笑)



まず頂いたのは
醤油らーめん 850円(税込み)


鶏清湯と節や煮干し昆布などの魚介を合わせたWスープ。
醤油は『自家製麺TERA』でもおなじみの、香川『かめびし屋』熟成再仕込みの「三年醸造醤油」を使った醤油タレ。

見た目の色合いよりも飲み口はスッキリしている。とはいうものの、まったり感とコクはかなり強くほんのり魚介が後口に残る。
刺身醤油としても使う醤油なので旨味と甘みが強い。


チャーシューは豚バラスライスの煮豚で、厚切り、豚トロ。箸でほぐれるくらい軟らかく、脂身がとろとろ。下地もしっかりあって、炙ってあるので芳ばしく冷たくないのがいいです。
またシャクっとした極太メンマは同じ醤油タレなのか? 薄味ながらもほんのり甘みが差し、こちらも炙りが入っています。


また水菜や晒した粗みじんのタマネギも清涼感に溢れています。


麺は#24位の細麺で、縮れが入っているのでわさわさ・ふわふわな感じでスープをたっぷり抱え込んでくれます。
またスープの吸い込みが早いので茹で時間20秒くらいですが着丼から早めに食べきる方が良いですね。




次に頂いたのは
あえてイチオシの柚子を外してデフォでスープの味を確認することにしました。

塩らーめん 850円(税込み)


こちらも基本は鶏清湯。黄金色に輝く透明スープは見ただけで美味しいと分かる(^^)/
淡麗コク旨! いやコクが強すぎるくらいです(笑)

こちらは海塩を使っているそうでミネラル豊富、それが旨味に繋がって後味スッキリ。喉の渇きはありません。
塩タレには乾物由来の旨味のほか、キノコのような香りと旨みがかなり舌に伝わってきます。ボルチーニ茸が使われているようです。


具材や麺は醤油らーめんと共通。

このスープに「自家製生柚子ペースト」をトッピングした「柚子塩」は絶対女性に受けるやろうな♡
あと、「梅&わさ 海苔」と「ごはん」でおじやと言うか茶漬けにするのは鉄板ですね(^^♪

次回はいよいよ柚子
そしてマイルドたんたん
も試してみたいですね(^^)/



♪ ♪
【お店情報】

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店名;弓月【YUZUKI】(ゆずき)
住所;金沢市此花町5-6
電話:080-9870-2563
営業時間;17:00~2:00(Lo01:45)
定休日;日曜日
駐車場;なし コインパーキング多数あり
地図;

19444 蔵出し味噌らーめん櫻蔵「櫻蔵味噌らーめん」@富山県氷見市 12月26日 お問い合わせが多かった新店!1か月フォローに行ってきました!

2019-12-27 06:09:49 | 富山県西部(高岡市周辺)のラーメン
前回のエントリーは→こちら
富山県氷見市、元麺飯店コウ改め味噌らーめん専門店としてリニュアルオープンした
蔵出し味噌らーめん 櫻蔵(くらだしみそらーめん さくらぐら)


11月26日のプレオープン訪問からちょうど1か月を迎えたこの日は、前回と同じく21時近くと言う遅い時間でしたが4組9名の来店があり着実にお客が増えているという印象。
閉鎖されていた小上がり席も解放され、稼働している事でもそれが伺えます。


入り口横の券売機はグランドオープン以降も使われていないようですね。


一番お問い合わせの多かった接客ですが、スタッフは厨房に男性2名、ホールに女性1名の体制で、来店・退店時の挨拶もしっかりとできていました。
女性スタッフはやや声が小さいですが、それ以上に明るくてかわいいので癒されます(^^)/
もう少し慣れてくれば店内のお客の様子を先読みして素早い対応が可能になるのではないでしょうか。

頂いたのは前回と同じメニュー
櫻蔵味噌らーめん 750円+バター100円+コーン100円(各税別)



デフォの「味噌らーめん690円」にチャーシューが1枚付くと店名を冠した「桜蔵味噌らーめん750円」となり、チャーシュー3枚で「チャーシュー味噌950円」、味玉とチャーシュー1枚で「味玉味噌らーめん850円」、さらに味玉+チャーシュー2枚+コーンで「豪華盛り味噌らーめん980円」(各税別)となる。

プレの際は豚バラスライスのチャーシューでしたが、今回はメニューの写真通りのロールチャーシューです。
拘りの炙りと柔らかさが特徴ですが、もう少し加熱して常温に戻した方が良いかもしれませんね。
熱々のスープに沈めてほたほたになったところで食べると旨いです。

心なしかバターも前回より厚切りになったようで、声が届いていたんなら幸いです(笑)
コーンもたっぷり、穴あきスプーンは無かったですがレンゲで最後の一粒まで掬い取って頂きました。
トッピングに覆われて見えませんがもやしの下には玉葱も入っていて、これがスープにほんのり甘みを与えいい仕事をしています。


中から出てきた挽肉。これがコリっとした食感とコク深さに一役買っています。


鉄中華鍋で強火の炎で煽った野菜とひき肉、その中に出汁と味噌が入った熱々のスープ。油はおもったより少ないのでスッキリした飲み口。
みその芳醇さとコクが強いスープ。


黄色い透明感のある多加水熟成、中太麺。
もう少しもっちり感があるとツボですが、各自の好みもあるでしょうね。



総じてプレオープンの際より出来栄えも味も進歩していると感じました。
ランチや遅い時間でも利用できる地域の拠点として親しまれ長く続いて欲しいと願いつつ、暖簾を後にしました(^^)/





【年末年始の営業予定です】





♪ ♪
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店名;蔵出し味噌らーめん 櫻蔵(くらだしみそらーめん さくらぐら)
住所;富山県氷見市下田子104-1
電話:0766-92-6050
営業時間;11:00~15:00 18:00~23:00
定休日;月曜日
駐車場;20台
地図;

00 清洲城@愛知県清須市 令和元年(2019)11月12日 観光編、資料収集編

2019-12-26 23:09:47 | 城歩き
平成元年(1989)清須四百年近くの年月を経て歴史ある城が「清洲城」として天守閣をはじめ、芸能文化館、清洲城広場などを従え地域のシンボル、平成のお城として蘇りました。
現在の清洲城は、
1、(1階)清須の成り立ちを、遺跡から発掘された資料などを展示して解説するエリア
2、(2階)関東の巨鎮・清須の全貌を体感するエリア
3、(3階)清須がはぐくんだ先人たちの偉業にふれるエリア
4、(4階)清洲城天主閣、先人たちが夢を叶えていった清須の眺望を楽しむエリア
として、展示品も分かりやすく、見て楽しめる仕掛けがいっぱいあります。スタンプラリーやイベントで小さい子供から大人の女性でも親しめ・勉強になる施設となっています。

入場料
大人300円、小人150円
休館日
月曜日、年末(12/29~31)
営業時間
9:00~16:30


令和元年(2019)11月12日訪問
お城の裏手にある駐車場に車を停め、搦門(からもん)から日本庭園を通り入城。


1Fの受付窓口と下足棚を経て入館
まずは清須の町の成り立ちを、遺跡や中世・近代の発掘資料等展示物で学びます。


いよいよ天守
階段を登って2階へ。
スマホアプリで「バーチャルウォーク」(現実の風景がお城創建当時の風景に置き換わって観ることができる)するのも楽しい。

こちらは大きなパネルや、等身大のフィギアが当時の衣装や甲冑を身に着け、リアルで分かりやすく展示してあります。




ジオラマシアター「清洲城物語」も上映中


歴史的史実を瓦版で紹介。現在のスポーツ新聞風にアレンジしてあるのでとても面白い。



続いて3階へ
こちらでは信長公の偉業を解説、NHK大河ドラマや、映画等で使用された衣装も展示してあります。


また合戦の様子や火縄銃体験コーナーもあってめっちゃ楽しい


清須会議のコーナーもあって、一番興奮する、見ごたえのあるエリアです。
映画清須会議→こちら


映画清須会議予告編は→こちら


そして最上階
4階は天守閣。
外観は白壁に朱塗りの欄干が四方にめぐらされ、見た目にも美しく、写真映えします。
天守からは名古屋駅前のビルや、


城跡を分断して走る東海道本線と東海道新幹線が見え、時代の流れを感じます。


また眼下には、五条川に架かる赤い大手橋がひと際美しく映えています。



1階に戻り、隣接する「芸能文化館」で一休み。


「御殿」の庭を散策して、


お城の日本庭園を一回りすれば大手門から五条川に出る。



五条川にかかる赤い橋と清洲城は絶好の撮影ポイントです。


橋を渡れば休憩所があり、お土産が買えます。
清洲公園、清須古城公園もあって潤いの空間となっています。



土日・祝日の清洲城にはボランティアによる市公認武将隊がおもてなし!
信長を支えた家臣団とも会えますよ!
また10月には信長まつり月間として、特別展示や時代行列、火縄銃演武などが行われ多くの人でにぎわうそうです。



【歴史】
応永12年(1405年)、尾張・遠江・越前守護の管領斯波義重によって築城。または永和元年(1375年)とも。当初は、尾張守護所である下津城の別郭として建てられたが、文明8年(1476年)に守護代織田家の内紛により下津城が焼失し、文明10年(1478年)に守護所が清洲城に移転することで尾張国の中心地となった。一時期、「織田弾正忠家」の当主織田信秀が清須奉行として居城した以外は常に清洲織田氏(織田大和守家)の居城としてあり、尾張下四郡を支配する守護代織田家の本城として機能した。
織田信秀が古渡城に拠点を移すと守護代織田信友が入城したが、弘治元年(1555年)織田信長と結んだ織田信光によって信友が殺害され、以降信長が那古野城から移って大改修を加えた後、本拠として居城した。信長は、この城から桶狭間の戦いに出陣するなど、約10年間清須を居城とした。1562年(永禄5年)には信長と徳川家康との間で同盟がこの城で結ばれた(清洲同盟)。永禄6年(1563年)には美濃国斎藤氏との戦に備えて小牧山城に移り、以後は番城となった。
天正10年(1582年)の本能寺の変で信長が斃れると、清洲城にて清洲会議が行われ、城は次男・織田信雄が相続した。天正14年(1586年)に信雄によって2重の堀の普請、大天守・小天守・書院などの造営が行われている。小田原征伐後の豊臣秀吉の国替え命令に信雄が逆らって除封され、豊臣秀次の所領に組み込まれた後、文禄4年(1595年)には福島正則の居城となった。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの折りには、東軍の後方拠点として利用され、戦後は安芸に転封した福島正則に代わり徳川家康の四男・松平忠吉が入るが、忠吉が関ヶ原の戦傷がもとで病死すると慶長12年(1607年)には家康の九男徳川義直が入城し、清洲藩の本拠となった。
慶長14年(1609年)徳川家康によって、清須から名古屋への遷府が指令されると、慶長15年(1610年)より清須城下町は名古屋城下に移転され(清洲越し)、清須城も名古屋城築城の際の資材として利用され、特に、名古屋城御深井丸西北隅櫓は清須城天守の資材を転用して作られたため「清須櫓」とも呼ばれる。慶長18年(1613年)名古屋城の完成と城下町の移転が完了したことにより廃城となった


【現在の清洲城】
現在、城跡は開発によって大部分は消失し、さらに東海道本線と東海道新幹線に分断されており、現在は本丸土塁の一部が残るのみである。東海道本線以南の城跡(清洲公園)に信長の銅像が、以北の城跡(清洲古城跡公園)に清洲城跡顕彰碑がある。なお、現在城址のすぐ横を流れる五条川の護岸工事の際に発掘された石垣の一部が、公園内に復元されている。
現在の天守は、平成元年(1989年)に旧・清洲町の町制100周年を記念して、清洲城跡に隣接する清須市清洲地域文化広場内に建設された鉄筋コンクリート造の模擬天守である。創建当時の絵図が残っていないため、その規模も不明である。そのため、外観や規模は、実在した当時を想像して設計された。建造された天守は、桃山時代の城を再現するデザインで、江戸時代の漆喰塗廻の白い城とは異なる、装飾に富んだ姿となっている。
また、清洲城の天守または小天守の部材を転用または、移築したものとされる名古屋城御深井丸西北隅櫓は現存し重要文化財に指定されている。尾張旭市の良福寺山門は裏門を移築したものと言われ、市の文化財に指定されている。また、名古屋市の含笑寺と長久寺の山門も移築された門として伝わっている。清洲城の障壁画は一部が総見寺に移されて現存し、愛知県指定有形文化財(絵画)に指定されている。崇福寺にも清須城の鯱と伝わっているものがある。

【清須会議】
清洲会議(きよすかいぎ)は、安土桃山時代の天正10年6月27日(1582年7月16日)に開かれた、織田家の継嗣問題及び領地再分配に関する会議である。清須会議の表記が使用される場合もある。

参加者
天正10年6月の本能寺の変において、織田家前当主織田信長は京都で家臣の明智光秀の謀反で自害し、信長の嫡男で織田家当主であった織田信忠も二条新御所で切腹した。光秀は山崎の戦い後の逃亡中に討たれ、織田家後継者及び遺領の配分を決定することを目的に、尾張国清洲城(愛知県清須市)で開催された。集まった織田家家臣は柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興の4人で、滝川一益は直前の神流川の戦いで後北条氏に惨敗し、信濃から伊勢へ敗走中で間に合わなかった。恥じて不参加か、織田氏の勢力を関東から撤退させたことを理由に、参加を拒まれたとの説もある。

織田家家督と体制の決定
織田家の後継者問題では信長の二男・織田信雄と信長の三男・織田信孝が互いに後継者の地位を主張し引かなかったため、秀吉がその隙をついて勝家・秀吉ら宿老たちが事前に信長の嫡孫である三法師を御名代とする事で双方が了解した。勝家も秀吉の弔い合戦の功績に対抗できなかった。『多聞院日記』にも「大旨は羽柴のままの様になった」と記している。いっぽう『川角太閤記』では、秀吉が三法師を擁立し勝家が信孝を後継者に推して対立して、秀吉が席を立ち、残された三人での話し合いで勝家も矛を収めて三法師の家督擁立が決まったとしている。4日後4重臣が対面することになったが、その間に秀吉が玩具で三法師を手なづけて、対面の場に三法師を抱いて秀吉が現れ、それに三重臣が平伏する形となったと記している。
こうした通説に対して、柴裕之はそもそも信長の後継者である信忠に何かあれば、その嫡男である三法師が家督を継承することは信長存命中からの方針で家中に異論がなく(勝家が信孝を推したとするのは『川角太閤記』の創作とする)、会議が清州城で開かれたのも織田家家督の三法師が滞在している城だからである。会議で問題になったのは三法師が成人するまで「名代」を設置するか否かであり信雄と信孝の対立の焦点もそこにあったが、信忠の同母弟であるが光秀討伐の功績のない信雄と光秀討伐の功績はあるが三法師との血縁が薄く三法師の後継者としての貴種性を揺るがしかねない信孝いずれも家中の納得を得られないために単独の名代の設置は回避されたとしている。つまり、柴の指摘に従えば清州会議は「信長の後継者を決める」会議ではなく、信長の後継者である三法師がいる清州城に集まって「三法師を支える体制を決める」会議であったということになる。
三法師が織田家家督を継ぎ、叔父の織田信雄と信孝が後見人となり、傅役として堀秀政が付き、これを執権として秀吉、勝家、丹羽長秀、池田恒興の4重臣が補佐する体制ができた。

織田領地再配分
領地再分配では、次男・信雄は尾張国を、三男・信孝は美濃国を相続し、信長の四男で秀吉の養子である羽柴秀勝は、明智光秀の旧領である丹波国を相続した。家臣団へは、勝家は越前国を安堵の上で、勝家の希望で秀吉の領地である長浜城と北近江3郡12万石の割譲が認められ、長浜城は養子の柴田勝豊に与えられた。長秀は若狭国を安堵の上で、近江国の2郡を、恒興は摂津国から3郡を、それぞれ加増された。新当主である三法師は近江国坂田郡と安土城を相続し、秀吉には河内国と山城国が増領され、丹波国も含めると28万石の加増になり、勝家と逆転した。
また、神流川の戦いの後、北条氏政・上杉景勝、そして織田家の従属大名状態となっていた徳川家康が織田氏の支配が動揺している旧武田領国に侵攻した(天正壬午の乱)。このうち、徳川家康から羽柴秀吉ら織田家重臣に対して旧武田領国への進出の了承を求めてきていた。重臣達は当初は旧武田領国の奪還を方針としていたが、家康の申し入れを受けて家康による旧武田領国の平定を容認することになった[8]。ただし、これによって滝川一益ら旧武田領国に与えられた所領を失うことになる諸将への対応は決定されず、後日旧武田領国を家康に委ねたことを知った滝川一益から代わりの所領を要求されるが、重臣達は会議で決定した所領配分のやり直しも出来ずに結論が先送りされ、一益の不満を強めていくことになる。また、信雄が支配することになった尾張国と信孝が支配することになった美濃国の国境についても両者の意見の対立があり(信孝は洪水による木曽川の流路変更を理由に国境線自体の変更を求めた)、信孝の意見を支持する秀吉と信雄の意見を支持する勝家が対立した(秀吉は信孝の意見を支持する代わりに三法師の安土移動を取引する算段であったという)。最終的に信雄の意見が会議の合意に基づいたものとして認められることなるが、これは信孝の不満を強めていく一因となった。

会議の影響
清洲会議では、それまで織田家の重臣筆頭として最大の発言権を持っていた勝家の影響力が低下し、代わりに秀吉が重臣筆頭の地位を占めるなど、織田家内部の勢力図が大きく塗り変えられた。
清州会議後に秀吉は三法師の傅役の堀秀政と組み、執権の丹羽長秀と池田恒興を懐柔し秀吉陣営を形成する。これに危機感を覚えた信孝は勝家と組んで反秀吉陣営を構築し、会議から排除された滝川一益も加わり、織田家重臣たちは二分される。
この会議において織田家の後継者になろうとした織田信雄は北畠から織田に復姓したため、北畠家は名実ともに滅亡した。
会議決定の破棄
10月11日から15日、秀吉は信長の葬儀を、羽柴秀勝を立てて喪主として、大徳寺で挙行し、葬列では秀吉が信長の位牌を持ち、信長の後継者として大きく世間の耳目を集めた。主筋で、岐阜城で三法師を抱えて離さない信孝の側に対抗するため、11月1日までに、秀吉は信孝と勝家の謀反を理由に、清州会議の決定を破棄し、織田信雄を織田家の家督に据えると丹羽長秀と池田恒興との三者合議で決めた[13][14]。こうして対立が深まっていき、翌年の賤ヶ岳の戦いにつながり、秀吉の天下取りとなる。




【清洲城】
《清須会議の城 尾張の首府が甦る 歴史織りなす清須のお城》

名称(別名);
所在地;愛知県清須市朝日城屋敷1番地1
城地種類;平城
築城年代;応永12年(1405年)
築城者;斯波義重
主な城主;斯波氏、織田氏、豊臣氏、福島氏、尾張徳川家
文化財区分;
近年の主な復元等;廃城年慶長15年(1610年)、天守は、平成元年(1989年)に旧・清洲町の町制100周年を記念して模擬天守建造
天守の現状、形態;望楼型3重4階 1989年RC造模擬天守
移築現存櫓(名古屋城)、土塁
地図;



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高岡開町の祖 加賀藩初代藩主前田利長 墓所@富山県高岡市 令和元年(2019)11月8日 資料収集編

2019-12-25 23:39:03 | 城歩き
ラーメン食べ歩きの腹ごなしにお城を巡るというお城ファンにとって不埒な行為ですが、訪ねるとそれなりに深く知りたくなり知ると楽しくなります。
知識が全く無いので先ずは訪ねた先の資料を集め、今後の活動に活かせればいいなと思い日記代わりに記録しました。

北陸・富山に住む者として一番身近なお城は「富山城」
一番身近な大名は高岡開町の祖「前田利長」
その本家本元がお隣の石川県金沢市。兼六園を庭園として有する加賀百万石の「金沢城」であり、「加賀藩主前田氏」です。

お城の歴史、前田氏の歴史を訪ねるうえで、墓所の存在を忘れることはできません。
歴代加賀藩主の墓所は金沢の野田山にありますが、
高岡開町の祖、加賀藩初代藩主 前田利長の墓所は富山県高岡市にも有ります。しかも大名個人の墓としては日本最大級の規模を誇ります。
金沢の野田山墓所と、高岡の墓所を合わせて、平成21年国指定史跡に指定されました。

利長は
前田利家の嫡男として生まれ、高岡との関わりは
天正13年(1587)守山城主となり以来10年間守山城を居城としますが、
慶長2年(1597)秀吉から越中国射水、砺波、婦負に加え新川も加増となり、それを機に平城の富山城へ転居。
慶長4年(1599)には父利家が死去し名実ともに加賀藩初代藩主となるが、関ヶ原以降の激動期を乗り越え、異母弟の利常に二代目を託し、
慶長10年(1605)富山城で隠居生活にはいる。
慶長14年(1609)富山城火災で焼失、高岡城築城。9月13日完成を待たず高岡入城、この日をもって高岡開町の日とする。
慶長19年(1614)5月20日高岡城にて没。享年53歳
つまり、守山城主時代の10年間と高岡城隠居時代の5年間、都合15年間にも渡る高岡との関わりがある。
、、、出典:高岡市立博物館→こちら

子供が無かった利長は、父利家の遺言で実弟利政に二代目を譲る約束を反故にし異母兄弟の利常を養子に迎え二代藩主に据えた。
二代藩主利常は
利長没後33回忌法要にあたり高岡に於いて、一万坪二重の堀で囲まれた利長御廟を造営。これは一大名の墓としては国内最大規模を誇る。(国指定史跡)
また50回忌にあたり瑞龍寺を建立した。(国宝指定)
こうした破格の規模の造営は、家督を譲ってくれた異母兄利長に対する恩義の現れだと考えられている。


◆北陸新幹線高岡駅からJR高岡駅へ向かう直線道路には新たに石灯篭が並べられ、国宝瑞龍寺と前田利長の遺徳をアピールしている。
その直線上に国宝瑞龍寺と墓所をむすぶ八丁道が交差する。


国宝瑞龍寺の山門と伽藍


瑞龍寺から墓所までは直線で結ばれている。遊歩道が整備されている。


途中には利長公のモニュメントも



◆八丁道の突当りにある国指定史跡前田家墓所(前田利長墓所)


墓所は二重の堀で囲まれている。
正門に沿って外側の堀




墓所内は森の中といった風情で寄進された石灯篭がならび




墓石がある正門前には巨大な石灯篭が建っている


鳥居の向こう、橋を渡ると巨大な墓石の陵墓がある。


石橋


四方を内堀が固めている




陵墓は閉鎖されているが、毎年9月13日開町祭には法要が営まれ解放される


金沢野田山の前田家墓所にあるどの陵墓・墓石よりも立派で大きい規模である。



◆墓所の横手には曹洞宗 繁久寺がある
前田利長公墓所の廟守の寺として造営された曹洞宗の寺院。







つつましく静閑な趣があり、回廊の五百羅漢の豊かな表情に心がなごみます。、、、観光協会webより引用






金沢市小立野、二代藩主利常正室珠姫(天徳院)前田家菩提寺 曹洞宗天徳院と非常によく似ている。
山門、五百羅漢や回廊、唐破風の屋根と本堂。前田家家紋の入った屋根瓦等。



【国史跡 前田利長墓所】
住所:高岡市関72番1の1外
面積:高岡市33,391平方メートル(金沢市を含めると119,686平方メートル)
墓石がある内堀内は非公開:但し開町記念の9月13日は法要のため開放
前田利長墓所の概要
加賀藩初代藩主前田利長は、慶長14年(1609)に高岡城を隠居城に定め、生涯を閉じる。高岡市の「前田利長墓所」は、二代藩主利常が利長の三十三回忌にあたる正保3年(1646)に造営したものである。
一辺約180mの正方形区画を有し、大名個人墓として全国でも最大級の規模をもつ。墓域は、外堀、内堀の二重の堀で囲まれ、高い規格性を有する。その中心に一辺15.5mの御廟が位置する。御廟は、加賀で産出する戸室石で覆った二重基壇上にかさ塔婆(かさとうば)型墓碑が立つ。基壇の立面には狩野探幽の下絵と伝承される130枚の蓮華図が陽刻される。
地図:





【国宝瑞龍寺】
住所:富山県高岡市関本町35
山号:高岡山
宗旨:曹洞宗
本尊:釈迦如来
創建年::614年(慶長19年)
開山:広山恕陽(こうざんじょよう)
開基:前田利常
地図:



19442,443 ちゃるめらぐっぴー@富山 12月22日 10周年おめでとう! 10周年記念限定牛づくしに感動!

2019-12-24 05:15:15 | 富山県東部(富山市周辺)のラーメン
前回のエントリーは→こちら
唯一無二の無国籍なスパイスラーメンも楽しめるちゃるめら醤油ラーメンのお店 富山の
ちゃるめらぐっぴー

今週はラーメンが食べられる週間なのに、どうしても都合が合わず行けて無い(;^ω^)
そんな日曜日の明け方、ふとTwitterを見るとこんな呟きが!




、、、、ぐっぴーTwitterより転載


この日は別のお店の月一の限定狙いだったんですが急遽予定変更! 来月になったらまた食べる機会があるでしょう。
10年に一度のイベントに参加しない選択肢はないやろ!(笑)

今年のぐっぴーはなんかおかしかった(笑)
突然「スパイシー&チキン」をメニューから外したり
「醤油ラーメン」に本腰を入れるのだと豪語
これまで明らかにしていなかったブランド鶏の「吉備地鶏」を公表したり
「比内地鶏」の醤油も間に挟んで
なんといっても「自家製麺」の幟端をおっ立てて
さらにはTwitterで情報発信を始めるなど

つまり主張しなかった『ぐっぴー』が、自己主張を始めたのです。
そのすべては、10年の節目にかける店主の意気込みだったのです(>_<)

お店に到着したのは開店1時間前。その後30分以上経っても誰も来ません! そんなはずはない(;^ω^)
開店15分くらい前になってから三々五々ファンが集まりだして、開店待ちの可愛い行列ができました。

女性スタッフが1枚の紙を貼りだしました。
「この時間は限定の牛骨ラーメンの提供しかありません」みたいな告知。

まもなくその女性によって暖簾が掛けられ、いよいよ開店です。

10周年の黒板
限定メニューは何食限りなのか書いてありませんが、
「牛のらーめん」「和え玉牛ミート」「ローストビーフのせライス」
10年に一度のメニューなので全て受け止めさせていただきます(笑)




牛のらーめん 1100円


牛の骨と肉から摂ったという清湯スープ。すき焼きのような強烈でバター臭い匂いは全くありません。
上品な牛の香りと味わいがじんわり染み入るようで、醤油との相性も良くめっちゃ美味しい(^^)/



今年の夏以降「牛」復活を思わせる試作や新作の「鶏+牛醤油」もこれに繋がる伏線だったんですね(@_@)

トロトロに煮込まれた牛の赤ワイン煮


粗挽きの牛ミンチ
出汁にコクを与えコリっとした食感も楽しい。


自家製の中太麺。
小麦粉感を引き立たせつつ、喉ごしや啜り具合を楽しませてくれる絶妙な加水具合。
細麺では味わえない強靭なコシとしなやかな食感が特徴です。





和え玉牛ミート 450円


まるでミートソースの生パスタのようなファルム。
トマトの酸味と牛ミンチソースにうっとりしますね。


和え玉と言えば
そのまま混ぜそばとして
スープに放り込んで替え玉として
麺をスープに漬けてつけ麺風に
3種類の楽しみ方があるようですが、今迄の経験上そのまま混ぜて食べるのが後悔させない食べ方(笑)
スープをチョット加えるのもアリです。
麺がポリポリしていないのが最高に嬉しい!!




ローストビーフのせライス 480円


おしゃれなタイトルですね~♪ 一般的に言うところの「ローストビーフ丼」
表面の焼き具合と中のレア感が最高。
芳ばしくてじゅわっと肉汁が染み出す感じ。肉肉しい食感!


ご飯との相性も良くタレが絡んでめっちゃ美味しい!
普段サイドメニューやご飯ものを食べない自分ですが、こればっかりは頂いて良かった~



◆そして〆は
ローストビーフのせライスの余った(あえて残した)白ご飯に、ラーメンの牛スープをかけてオジヤにしました。もちろんチョットだけお肉も残しておいて豪華にトッピング。
まさに牛づくし!


退店する頃には中待ちが10人くらい、その中にはフォロワーのキンクマさんも。
こんなにも熱心なファンがいたんだ!と胸が熱くなる思いで暖簾を後にしました。

感動の美味しさと、
満足度★★★★★
幸福度★★★★★
達成感★★★★★

10周年、改めておめでとうございますヽ(^o^)丿
来る年も、私たちに感動の一杯を食べさせて下さいね。


♪ ♪
【お店情報】

お店(店主)のtwitterは→こちら

店名;ちゃるめら ぐっぴー
住所;富山県富山市上飯野14-5
電話:076-452-4362
営業時間;
[月・水~土]
11:00~14:00 18:00~21:00
[日・祝]
11:00~15:00 17:00~20:00
定休日;火曜日
駐車場;あり
地図;