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■ 圧倒的名演!

かなり前の記事ですが、リンクつなぎなおし、数曲追加してリニューアルUPしました。

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2021/10/03 UP

名曲、名アーティストに場のタイミングが重なって、ときに奇跡のような名演が残されることがあります。
再UP再アップが多くなりますが、そんな名演を集めてみました。
これから随時追加していきます。

■ 尾崎豊 - I love you (リンク切れ)


■ 旅姿六人衆 - サザンオールスターズ


■ プリンセス・プリンセス - 世界でいちばん熱い夏


■ 森恵 「そばに」 2008・6・25 吉祥寺路上


■ Yuna Ito - Endless Story


■ 松田聖子 - P・R・E・S・E・N・T (2006-2007カウントダウンライブ)


■ 井上陽水 - 最後のニュース


■ 今井美樹 Goodbye Yesterday Miki Imai from LIVE @ORCHARD HALL 2003 TOKYO


【絶対女王・新妻聖子🎤「白日」歌唱動画】関ジャニ∞のTheモーツァルト音楽王No.1決定戦


■ 西野カナ feat.WISE - 遠くても


■ 矢野顕子 w/ YMO - また会おね (1979)


■ 華原朋美 w/ 小室哲哉 - DEPARTURES


■ 華原朋美  LOVE BRACE(2013/11/25 NHKホール)


■ SAY YES / CHAGE and ASKA / CONCERT MOVIE GUYS


■ into the world - kalafina


■ GLAY - HOWEVER (2006 味の素スタジアム)


■ 二人の夏 - ZARD


■ アンジェラ・アキ - This Love


■ m-flo loves 加藤ミリヤ - ONE DAY (TOUR 2007)


■ 藤井フミヤ - True Love


■ 角松敏生・杏里 - I CAN'T EVER CHANGE YOUR LOVE FOR ME


■ KOKIA - 夢の途中


■ Sachi Tainaka - Saikou no Kataomoi (最高の片想い) - Live 2007 Concert


■ 森高千里 - 渡良瀬橋


■ ONE OK ROCK - Clock Strikes 35xxxv Japan Tour 2015


■ 『島唄』 Shima uta ☆ 夏川りみ Rimi Natsukawa


■ 遥海 -『Pride』 Live Ver. (HARUMI LIVE 2021”FOCUS”)


■ 薬師丸ひろ子 - 時代 (2013年10月)


■ 佐野元春 - ハートビート(ライブ 1983)


■ Everlasting song - FictionJunction
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熊田このはちゃんの7曲

BCM(ブラック・コンテンポラリー)聴いてたら、やにわに熊田このはちゃん聴きたくなり・・・。
これっていったいどゆこと?

このところ→この記事(熊田このはちゃんのセトリ(&出演記録)-Vol.2)、ずっとアクセス1位だし、7曲ほどリンクしてみました。
期間限定記事です。




 
■ 熊田このは 月のしずく

じつは深みのある中低音もっていることがわかる。

■ 熊田このは「少年時代」スライドショー

陽水の難曲を超絶ハイトーンでオリジナル化してしまった名テイク。

■ 熊田このは ひだまりの詩 - Le Couple

Le Coupleの名曲も、このとおりオリジナル化。

■ 熊田このは 花束は君に

抜群のリズム感をもっていることがわかる。

■ 熊田このは・西岡龍生「輝く未来 (小比木麻里・畠中洋)」2018/11/03 熊田このは バースデーLIVE 溝ノ口劇場

歌の女神降臨状態のこのはちゃん。

■ 熊田このは アイノカタチ feat.HIDE(GReeeeN) / MISIA

これも「このはオリジナル」ばりばり。

■ 熊田このは オリジナル曲「手と手」パフォーマート・オブ・ミュージック主催ライブ 2019.12.30 @江坂MUZE



どんな曲でも、このは色に染め上げてしまう希有のオリジナリティ。
これがこのはちゃんの魅力だと思う。

誰にも似ていない。誰のまねでもない。「熊田このは」というオリジナルのフォーマット。
ゆっくり、あせらず、思うがままに進んでいってほしい。
この才能、音楽の神様はきっと見守っているから・・・。
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■ 翳りゆく部屋 ~ ユーミン、名曲の変遷 ~

なぜか急にアクセスが増えたので、2024/02/25にUPした「ユーミンの名曲」と合体してリニューアルUPします。

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2023/01/14 UP

ユーミン屈指の名曲、「静かなまぼろし」。
アルバム『 流線形'80』(1978年)収録。

■ 静かなまぼろし 2021 松任谷由実 Yumi Matsutoya


高低差のすくないメロ展開ながら、複雑なコードが奥行きと趣きをつくるユーミンらしい曲。
→→ コード
ラストの「もう 忘れて・・・」の含蓄が深すぎる。


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(2022/12/15 22時過ぎ)
NHKでユーミン特集やってますね。

仕事中にリビングから「翳りゆく部屋」が流れてきて、いきなり気がついて速攻で録画した。
(連れがうかつにも録画しわすれてた(笑))

仕事にケリがついたらじっくり視てみます。

それにしても、この曲のフック感はやっぱりただごとじゃない。
時代を超えた名曲とは、こういう曲のことを指すのだと思う。

荒井由実(現:松任谷由実)の7枚目のシングル(1976年3月リリース)で、オリジナルアルバム未収録。
(1976年リリースのベストアルバム『YUMING BRAND』収録で有名。)

コード
あなた は夕陽 見てた  F#m B Esus4 E
横顔に 漂わせ  F#m Dmaj7 E E7  A
輝きは もどらない  D/E C#m D D#dim

サスフォー、メジャーセブンス、オンコード、ディミニッシュ・・・。
やっぱり日本のドメスティックな音階じゃない。

歌詞のワーディングもほとんど芸術の域で、いまでも聴き手のこころを打つ。
どこからどうみても、やっぱり天才なんだと思う。



この曲、最近やたらにTVで聴く。
この曲がヘビロテされる時代がまさかやってくるとは・・・。
回りまわって、いまの時代が求めている音なのかもしれぬ。


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提供曲も名曲揃い。

■ 松田聖子 - 瞳はダイアモンド(1983年)


コード

私(Bm7-5)はもっと 強いはずよ で(D#aug)もあふれて 止(C#7-5)まらぬ
ハーフディミニッシュ ~ オーギュメント ~ ハーフディミニッシュ
ユーミンらしいキレッキレのコード進行。
ベースはメジャー・セブンスだと思う。

■ 松田聖子 - 制服(1982年)


コード

これを知らないと聖子ちゃんファンとしてはモグリとされる伝説のB面曲。
長調・短調入り混じる複雑な構成の曲。アウトロのインストまで入れるとGメロまである?


こういった難曲を、あっさりと聴きやすく聴かせてしまう、聖子ちゃんの才能やはりおそるべし。

難しい曲を難しそうに歌うのは難しくないけど、難しい曲を難しそうでなく歌うのは難しい(笑)


■ 薬師丸ひろ子 Woman ~Wの悲劇より~(1984年)


コード

雪のよう な 星が降る わ
E♭ Am7-5 B♭sus4 B♭

ああ時の河 を 渡る船 に オールはな い 流されて く
B♭m7 B♭m7/E♭ A♭maj7 Fm7 

個人的にはユーミン屈指の名曲だと思う。
これもたぶんメジャー・セブンス系
しかし、どうやったらこういうコード進行を思いつくんだろう・・・。

この時代に、こういう難曲を歌いこなせる才能があったから、いまの歌手・薬師丸ひろ子があるのだと思う。


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(2022/12/16 2:27)
「NHK MUSIC SPECIAL 松任谷由実~私と荒井由実の50年~」、もの凄い番組だった。

目からウロコ的なコメントが随所に・・・。
あまりに驚いたので、番組中のコメントを引用させていただき、個人的感想をつけてみました。

■ コードは色彩?
「絵を描くことが音楽の勉強になると信じていた。その日、そのとき、その時間の、すべてを包む雰囲気の、タッチや質感を、音楽という形でアウトプットするやり方が性に合っている。だからこそ曲が書ける。」
「下手に音楽理論を学んでしまったら、この自分だけの感覚が失われてしまいそうな気がした。」


ピアノを弾きながら、
「コードって私にとっては色彩で、たとえばこれは紫がかった濃いブルー・・・、これは・・・、そこにちょっと光が差してるみたいな感じ。」
音楽は独学で、美術を専攻したユーミン。
でも、↑のコメントきくと、パレットに色彩をおくように音を紡ぎだしていたのでは。

ピアノでミスタッチして、
「いまみたいに一音違うだけで違っちゃうのが・・・。本当にコードって不思議なんですよ」
コードの大切さを熟知していながらコード進行に拘泥せず、あくまでも自分の感性を大切にしていたということか?


□ Message In A Bottle / Hitomi Wo Tojite (2022 Mix) / 瞳を閉じて 『MISSLIM』(1974年)


■ キャラメル・ママ ~ ティン・パン・アレー
キャラメル・ママにもスポットを当てていた。
ユーミンの曲も歌詞もすばらしいけど、やっぱりこういう質の高いアンサンブルがなければユーミンの曲は成り立たなかった。

サザンに原由子のキーボード&コーラスが不可欠なように、ユーミンサウンドにも松任谷正隆のバックアップが絶対に必要なんだと思う。

□ 青い影「A Whiter Shade of Pale」 - プロコル・ハルム(Procol Harum)(1967年)


ユーミンみずからが影響を受けたと語り、競演も果たした英国のバンド。
青い影「A Whiter Shade of Pale」は代表曲でカノン進行。
名曲「翳りゆく部屋」の原点が、ここにあるのかもしれぬ。

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ぜんぜん違うかもしらんけど、
初期ユーミンならではの曲想を聴いてると、どうも日本のドメスティックな音階から遠く離れたところで育まれた感じがする。
たとえば、シンフォニック・ロックとか、ユーロ・ロックとか・・・ ↓ 

■ Sea Of Tranquility - Barclay James Harvest(1976年)


■ La Fabbricante D'Angeli - Le Orme(1974年)


いまから考えるととても信じられないけど、「プログレッシブ・ロック(プログレ)」というジャンルで包括されたこれら一連の洋楽は、日本のミュージシャンや音楽好きに多大な影響を与えていた。

じっさい、プログレハードとかはめちゃくちゃ日本でも売れてたし。

■ More Than a Feeling - Boston(1976年)


1976年といえば、AORに先行するかたちですでにサーフロックが人気を博していた。

■ I'd Chase a Rainbow - Kalapana(1976年)


そしてこの年、Boz Scaggsのこの名曲がAOR人気を決定的なものにした。

■ Lowdown - Boz Scaggs(1976年)


1976年といえば、ユーミンでいうと『14番目の月』。
「中央フリーウェイ」とか「天気雨」とかですね。

ユーミンの曲とこういう曲たちが巷でアトランダムに流れていた。
だから、ユーミンのメジャー・セブンス曲や16ビート曲に、ほとんど違和感がなかったのかもしれぬ。

□ 天気雨 ~The 14th Moon to acacia~


ベースはLeland Sklar。ドラムスはVinnie Colaiuta......じゃないですわね、めちゃくちゃ巧いけど。
正隆氏のキーボードも負けていない。
こういう西海岸的なグルーヴをこなせるのも、ヴォーカリスト・ユーミンの力だと思う。


でもいま振り返ると、1976年時点の日本での洋楽の一般的なイメージは、メロが立って親しみやすいこういう曲だったと思う。↓
(これはこれで凄いメロディだと思うけどね。)

■ Dancing Queen - ABBA


だから、この頃のユーミン・サウンドの洗練感は、ある意味洋楽(MOR)を超えていたのでは。

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■カノン進行
□ ひこうき雲

↑これ、カノン進行だよね。
でも、ユーミンのカノン曲って応援ソングにもベタ曲にもならず、常に透明感にあふれている。
この”透明感”が荒井由美サウンドのキモだと思う。

■ 愛は勝つ - KAN

↑典型的なカノン曲。応援ソングにばっちりな進行。

カノン進行は「禁断のコード進行」ともいわれ、あまりにインパクトが強烈なのでこの進行曲でヒットすると一発屋で終わる可能性が高い。
しかし、ユーミンはカノン進行のヒットを何曲ももっていながら、どれも既聴感がない。
これも天才ゆえになせるワザか。

■14番目の月(1976年)
自身が転機となったアルバムとコメントしていた。
中央フリーウェイのくだりでは、なんとリー・スカラー(Leland Sklar、LAの腕利きベーシスト)が登場していた。

□ 中央フリーウェイ


そのリー・スカラーが「(中央フリーウェイを聴いて)目を閉じると、パシフィック・コースト・ハイウェイをコンバチで走っているのが見えます。」と語っていた。
中央高速だけじゃなくて、パシフィック・コースト・ハイウェイにも合うのか・・・(笑)

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■ユーミンとリゾート
ユーミンといえばリゾート、リゾートといえばユーミン。
この頃のユーミンの曲は、リゾートにいて都会(あるいは都会にいる人)を想うというシチュエーションの曲も多かった。

たとえば ↓こんな曲。
□ ロッヂで待つクリスマス(Covered) 『流線形 '80』(1978年)


□ サーフ天国、スキー天国 『SURF&SNOW』(1980年)

1曲にスキーとサーフィンを盛り込んでしまった名曲。
リリース当時からの人気曲だけど、『私をスキーに連れてって』でさらに認知度UP。

「悩みごとはとりあえず 帰ってからの宿題」
「煮詰まる恋はこの際 都会に置き去り」
こういうケセラ感があって、それが赦された寛容な時代。

こういう曲は実際にスキーやサーフィンやってないと響かないけど、なんだかんだでけっこう皆やってたもんね。陸(おか)サーファーもいたし・・・(笑)

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■ユーミンとお嬢様
□ DESTINY 『悲しいほどお天気』(1979年)


1988年~のドラマ『季節はずれの海岸物語』で知った人も多いかもしれないが、リリース当時からアルバム曲ながら人気が高かった。LIVEの定番曲でもある。
こういう強気でプライドの高い(でも本当は強気じゃない)女性を描かせたら、ユーミンは敵なしだった。

「ホコリだらけの車に」→「みがいた窓をおろして」
「どうしてなの 今日に限って 安いサンダルをはいてた」
ここらへんの含蓄あることばの置き方はユーミンならでは。

これ、ベースはお嬢様視点だよね。
ユーミンじたいが正真正銘のお嬢様だから・・・。
当時のトレンドは基本、コンサバ、ニュートラ、ハマトラなどお嬢様志向だった。
だからユーミンの立ち位置にシンパシーがあったのかも。

□ One Afternoon By The Sea / Umi Wo Miteita Gogo (2022 Mix)/ 海を見ていた午後 『MISSLIM』(1974年)



ところで最近、お嬢様ブーム?(笑) 存じ上げませんでしたわ。  
○ サロメお嬢様



■「忙中閑あり」
1980年代の日本は活気があったけど、ときどき自分自身を振り返るような、透き通ったバラードがつくられた。
↓ は代表例だと思う。
□ Happy New Year / A Happy New Year 『昨晩お会いしましょう』( 1981年)


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1980年代前後はいささか迷いがあったようなコメント。「もがき」と表現していた。
でも、そんなことないと思うけどね。楽曲のできからすると。
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■ユーミンの母性曲
その迷い?打開したのが1981年の「守ってあげたい」だと思う。
これはユーミンの「母性」を感じさせる曲だった。
ここからの数年間でリリースした「ずっとそばに」「ノーサイド」を合わせて、個人的にはユーミンの3大母性曲だと思っている。

□ 守ってあげたい(1981年)

これもカノン進行だよね。でもベタつかない。

□ ずっとそばに 『REINCARNATION』(1983年)

バックのインストのフレーズどりが神すぎる。個人的にはユーミン屈指の名曲。

□ ノーサイド 『NO SIDE』(1984年)

この時代ならではのフェンダー・ローズの響きがたまらん。

たしかにこの時代(1980年代前半~中盤)、男性が同世代の女性に無意識的にでも「母性」を求める流れがあったのかもしれぬ。
それだけ女性サイドにも余裕があったのでは・・・。

□ YOU ARE NOT ALONE - ANRI 杏里 『Timely!!』(1983年)


□ Cloudyな午後 - 中原めいこ 『ロートスの果実』(1984年)


□ Anytime Anyplace - 当山ひとみ 『Hello Me』(1986年)


こういう路線を敷いたのはやっぱりユーミンだったのでは・・・。


社会の動きとシンクロしつつ時系列的に作品を追っていて、これも素晴らしいディレクションだった。
1981年の『昨晩お会いしましょう』では、ロンドンのアートデザイン集団・ヒプノシスまで出てきてびっくり。

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■1980年代の失恋観
□ ガールフレンズ 『VOYAGER』(1983年)


失恋の歌なのに、あえてこういう曲調に乗せる。
「先は見えている恋」、わかってても突き進む。
「ふられた私につけこむ誰かを 今日はけちらして」

リア充 or 非リア充しかなかった時代だから、誰もが恋愛に積極的だった気がする。
そんな時代ならではの歌詞だと思う。
ベースのカウンター・メロディが効きすぎ。

□ 23:45 - Juliet(2010年)

セツナ系の失恋ソング。
恋愛がよりパーソナルでシリアスなものになっていった時代?

□ 絢香 - 三日月(2006年)

セツナ系。「がんばる」「つながる」がパワーワードになっていった時代。
携帯やメールで、物理的には1980年代よりぜんぜんつながってるのに・・・。

でも、セツナ系はいい曲多かったな。いま振り返ると・・・。

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□ ANNIVERSARY〜無限にCALLING YOU 『LOVE WARS』(1989年)


いま振り返ると日本のメジャーアーティストの多くは、バブル崩壊直前の1988~1989年ごろに「祭りのおわり」的な名曲を残しているが、ユーミンはこの曲だと思う。
楽曲、歌詞ともに文句なしの名曲。

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■1980年代後半~1990年代の大ブレーク
「売れていくってことでの、自分のファンじゃない人たち、世界、社会を、巻き込んでいっていることでの、下に引っ張ろうとする力とかは感じました。」
万人受けするように、もっと曲幅を広げなくちゃいけないっていう、焦りみたいなものもあったのかな?

■春よ、来い(ユーミンのペンタ曲?)
ユーミン屈指の大ヒット曲で、ファン層を一気に広げた。
和調の曲想と捉える向きもあるが、ユーミンは「”和” だけじゃなくて」と語っていた。
各国の民族音楽や民謡を想い起こす旨、語っていた。
たしかにそうなんだと思う。

□ 春よ、来い(1994年)


民族音楽や民謡はたいていペンタトニック(5音階、ヨナ抜き音階)で、個人的にこの曲は「ユーミンのペンタ曲」だと思っている。
ペンタ曲はたしかに万人受けするから、それを捉えて大ヒットとなったのでは。

でも、この曲は「荒井由美ファン」の筆者にとっては、かなり違和感あったな(笑)
なんといっても、荒井由美はメジャー・セブンス(7音階)の女王だったから・・・。

□ ベルベット・イースター(Covered) 『ひこうき雲』(1973年)

↑ 荒井由実のメジャー・セブンスの代表曲。
ファースト・アルバムにしてこの楽曲完成度とは、才能があるにもほどがある。

□ Hello,my friend(1994年)


「春よ、来い」の同年にリリースした名曲。同じ作者とはとても思えぬ。
ここでは、もはや「母性」を超えて「人類愛」さえ感じる。

やはり「春よ、来い」は、意図的に(マーケティング的に)仕掛けたものでは。

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■荒井由美の再評価について
「荒井由美を越えたい、越えたいってずっと思っていて・・・、いろいろな記録を、80年代90年代出しても、何か越えられないエッセンシャル(必要不可欠・必須)なものですから」
「そもそも越えるって考え自体が、間違っているんだけれど・・・」
「そういうこだわりが、ふっと近年無くなったかな。」

たしかに最近のユーミンみてると、肩の力がふっと抜けたような余裕を感じる。

「荒井由美を越えたい、越えたいって」
そんなこと考えてたんだ。云えそうでなかなか口に出せないコメント。
これも肩の力が抜けたからか。

■歌の精?
「ステージに立っている私自身の存在っていうより、”歌”が主役なんですよ。常に・・・。私が歌の化身になりっていう・・・。」
歌の精がユーミンのなかに入り込むのかもしれぬ。
だから、あれだけの唯一無二のステージができるのかと。


□ 卒業写真 -Graduation Photograph-『COBALT HOUR』(1975年)
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■ 富士山周辺の御朱印

目下、富士山周辺はインバウンドに占拠されている感もありますが、GWで訪れる方も多いと思います。

先日、富士山周辺の御朱印情報をWebで当たってみたところ、浅間神社メインのものが多く、網羅的にまとめたものがあまりないので、一念発起して(こればっかし(笑))まとめてみることにしました。

富士山周辺の御朱印はおおむね拝受していますが、富士山頂の浅間大社奥宮をはじめ、未拝受の寺社もいくつかあります。
未拝受御朱印は拝受次第UPすることとし、とりあえず拝受済の御朱印情報をUPしてみます。

なお、御朱印は寺社様の状況やお考えにもとづき授与されるもので、以下の御朱印が現在も授与されているかは不明です。

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富士山の北側から時計まわりにリストしていきます。
富士河口湖町、富士吉田市、西桂町、忍野村、山中湖村、小山町、御殿場市、裾野市、三島市、長泉町、清水町、沼津市、富士市、富士宮市の順です。

まずは御朱印のみUPし、後日寺社の写真とコメントを入れていきます。

なお、現在、富士北麓の7社で「神玉巡拝」を催行している模様です。
詳細は→(こちら(富士吉田市観光ガイド))


01.富士河口湖町

■ 河口浅間神社
(かわぐちあさまじんじゃ)
公式Web
富士河口湖町河口1
主祭神:浅間大神
社格等:式内社(名神大)論社
授与所:境内
 

■ 母の白滝神社
(ははのしらたきじんじゃ)
やまなし観光推進機構Web
富士河口湖町河口
御祭神:栲幡千千姫命
授与所:河口浅間神社
 

■ 富士山遥拝所 (天空の鳥居)
(ふじさんようはいじょ)
河口湖.net
富士河口湖町河口1119-2
御祭神:浅間大神
授与所:遙拝所売店にて


□ 富士山パノラマロープウェイ山頂 うさぎ神社
御祭神:大国主命・大山祇命・木花開耶姫命
※御朱印未拝受です。

□ 浅間日月神社 (大石浅間神社)
山梨県神社庁
富士河口湖町大石268
御祭神:木花開耶姫命、天照皇大神、月読命
社格等:旧村社
授与所:境内
※御朱印未拝受です。

■ 鸕鷀嶋神社
(うのしまじんじゃ)
河口湖.net
富士河口湖町大石2584
主祭神:豊玉姫命
授与所:浅間日月神社 (大石浅間神社)


■ 霊鷲山 常在寺
(じょうざいじ)
富士河口湖町観光連盟Web
富士河口湖町小立139
法華宗本門流
札所:甲斐百八霊場第33番
授与所:山内庫裏


■ 蓮華山 妙法寺
(みょうほうじ)
富士河口湖町観光情報Web
富士河口湖町小立692
法華宗本門流
札所:甲斐百八霊場第32番
授与所:山内庫裏


■ 冨士御室浅間神社二合目本宮(奥宮)
(ふじおむろせんげんじゃ)
公式Web
富士河口湖町勝山
主祭神:木花咲耶姫命
社格等:別表神社/旧県社
授与所:冨士御室浅間神社里宮


■ 冨士御室浅間神社里宮
(ふじおむろせんげんじゃ)
公式Web
富士河口湖町勝山3951
主祭神:木花咲耶姫命
社格等:別表神社/旧県社
授与所:境内
 

■ 長徳山 妙本寺
(みょうほんじ)
富士河口湖町勝山609
法華宗
授与所:山内庫裏


■ 広大山 圓通寺
(えんつうじ)
河口湖.net
富士河口湖町船津3932
臨済宗妙心寺派
御本尊:十一面観世音菩薩
札所:甲斐之国都留郡三十三ヶ所観音霊場第3番
授与所:山内庫裏
※要事前予約


■ 筒口神社
(つつぐちじんじゃ)
山梨県神社庁Web
富士河口湖町船津5
主祭神:中筒男命
社格等:小船津組産土神、旧村社、神饌幣帛供進社
※タイミングが合えば拝受可?


■ 八王子神社
(はちおうじじんじゃ)
山梨県神社庁Web
富士河口湖町船津4013
御祭神:素戔嗚尊、、五男三女神
社格等:大船津組産土神、旧村社、神饌幣帛供進社
※タイミングが合えば拝受可?


■ 無戸室浅間神社(船津胎内神社)
(むつむろせんげんじんじゃ)
山梨県神社庁Web
富士河口湖町船津6603(船津胎内樹型フィールドセンター)
主祭神:木花開耶姫命
授与所:船津胎内樹型フィールドセンター



02.富士吉田市

□ 富士山天拝宮
富士吉田市上吉田(吉田口登山道八合目)
※御朱印未拝受

□ 富士山小御嶽神社
富士吉田市上吉田小御岳下5617(五合目御鎮座)
御祭神:磐長姫命、桜大刀自命、苔虫命
※御朱印未拝受

■ 新屋山神社 本宮
(あらややまじんじゃ)
公式Web
富士吉田市新屋1230
御祭神:大山祇大神、天照大御神、木花開耶姫命
授与所:境内
・金運上昇、商売繁盛の神様として広く知られる。
※ 御朱印はWebでたくさんみつかるので、そちらを参照下さい。
 
■ 新屋山神社 奥宮
(あらややまじんじゃ)
公式Web
富士吉田市侭5615
御祭神:大山祇大神、天照大御神、木花開耶姫命
授与所:境内
※12~4月下旬までアプローチ林道のゲート閉鎖。
・富士山麓を代表するパワスポとして知られる。
・Webには「ご縁のある人だけがたどり着ける」などのスピリチュアルな記事があるが、本宮で地図をいただけるので特段迷うことはない。ただし林道を30分弱も走るので慣れない方は要注意。
※ 御朱印はWebでたくさんみつかるので、そちらを参照下さい。

□ 冨士山小御嶽神社 里宮
(ふじさんこみたけじんじや さとみや)
富士吉田市上吉田4202
※御朱印未拝受

■ 北口本宮冨士浅間神社
(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)
公式Web
富士吉田市上吉田5558
主祭神:木花開耶姫命、彦火瓊瓊杵命、大山祇神
社格等:別表神社、旧県社
授与所:境内授与所
 

■ 諏訪神社
(すわじんじゃ)
公式Web
富士吉田市上吉田5558
(北口本宮冨士浅間神社境内社)
御祭神:建御名方神、八坂刀売神
授与所:北口本宮冨士浅間神社授与所


■ 大塚丘社
(おつかやましゃ)
公式Web
富士吉田市上吉田5619
(北口本宮冨士浅間神社境内社)
御祭神:日本武尊
授与所:北口本宮冨士浅間神社授与所
・景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊ご東征の折、相模国足柄の坂本より甲斐国酒折宮へ向かわれる途中に冨士を遥拝された丘で、当社発祥の地とされる。


■ 吉祥山 上行寺
(じょうぎょうじ)
富士吉田市上吉田38
日蓮宗
授与所:山内庫裏


■ 吉積山 西念寺
(さいねんじ)
公式Web
富士吉田市上吉田7-7-1
時宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:甲斐百八霊場第30番
授与所:山内庫裏

・寺伝によると、養老三年(719年)行基菩薩が富士山二合目付近・錫原の地に庵を結んだのが草創という。
・富士山頂に出現の阿弥陀三尊を行基みずからが三寸八分の像に彫刻し、この尊像を御本尊として、富士道場大蓮院と号したという。
・その後、古吉田に移転ののち、永仁六年(1298年)遊行二祖他阿真教上人が諸国遊行の砌、西念寺に留錫して念仏の法門を説かれたところ多くの信者が参集し、ついに宗派を時宗に改めたという。
・遊行二祖真教上人を開基上人、その弟子の真海和尚が開山となる。
・永仁年間、武田氏の一族・一条右衛門大夫吉積が伽藍を造営寄進し、吉積山西念寺と改めたという。
・元亀三年(1572年)、旧地の村が富士山の雪代(雪解け水の災害)を避けるため村をあげて移転の折、当山も現在地に移転。
・富士山信仰とのゆかり深く、江戸時代、富士講の信者は西念寺が定めた「西念寺精進場」で身を清めた後、富士に登拝したといわれる。

■ 水上山 月江寺
(げっこうじ)
富士吉田市下吉田869
臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
札所:甲斐百八霊場第29番
授与所:山内庫裏


■ 小室浅間神社(下宮浅間神社)
(おむろせんげんじんじゃ/しもみやせんげんじんじゃ)
公式Web
富士吉田市下吉田5221
主祭神:木花咲耶姫命
社格等:別表神社、旧郷社
授与所:境内授与所


■ 大塔宮社・雛鶴社
公式Web
富士吉田市下吉田5221
(小室浅間神社境内社)
御祭神・大塔宮護良親王、雛鶴姫
授与所:小室浅間神社境内授与所


■ 寶松山 大正寺
(だいしょうじ)
公式Web
富士吉田市新倉621
浄土真宗本願寺派
授与所:山内庫裏

・寺伝によると文永年間(1264-1275年)、真宗祖門六老僧の源誓上人が、宗祖親鸞聖人御真筆の無碍光如来の画像を安置した草庵を当所字宮の下に草創という。
・文安年間(1444-1449年)に本願寺8世蓮如上人が当地を御巡錫ま際、藤原氏の末裔・遠山伊豆守重正が蓮如上人に帰依し法名乗欽を賜る。
・その後、草庵を念仏道場として水石山新念寺と号し、後に新福寺と改め、さらに正保元年(1644年)に現在地へ移転、寛文八年(16658年)に寺号を大正寺と改めた。

■ 大原山 如来寺
(にょらいじ)
公式Web
富士吉田市浅間1-5-6
浄土真宗本願寺派
授与所:山内庫裏

・嘉禄三年(1228年)勝沼万福寺の聖徳太子旧跡を巡排中の親鸞聖人に帰依して真宗へ改宗。
・宝徳三年(1451年)法性寺、慶長十五年(1610年)万蔵寺と寺号を改め、さらに享保二年(1718年)如来寺と改めて現在に至る。

■ 新倉山 正福寺
(しょうふくじ)
TERA MACHI(築地本願寺Web)
富士吉田市浅間1-5-38
浄土真宗本願寺派
授与所:山内庫裏

・大同二年(807年)に弘法大師が当地を訪れ、弟子道海に寺院建立を命じ、富北院(ふほくいん/真言宗)として創建。
・当時は神仏習合色を帯び、富士山五合目神域の別当を勤めたという記録も残るとの由。
・安貞二年(1228年)、9代住職道祐が親鸞聖人に邂逅して真宗に改宗し、正福寺と改めた。

■ 三國第一山 新倉富士浅間神社
(さんごくだいいちさん あらくらふじせんげんじんじゃ)
公式Web
富士吉田市浅間2-4-1
御祭神:木花咲耶姫命、大山祗命、瓊瓊杵尊
社格等:旧村社、甲斐国八代郡荒倉郷氏神
授与所:境内授与所

・慶雲三年(705年)、甲斐国八代郡荒倉郷へ富士北口郷の氏神として創祀。
・大同二年(807年)の富士山大噴火に際し、朝廷からの勅使が参向せられ、国土安泰富士山鎮火祭を執行、平城天皇より「三国第一山」の称号および天皇御親筆の勅額等を奉納。
・境内上部の戦没者慰霊の五重塔「忠霊塔」と新倉山浅間公園の桜と富士山が重なる絶景はSNSなどでも人気で、とくにインバウンドの来訪が多い。

■ 荒濱神社
(あらはまじんじゃ)
公式Web
富士吉田市浅間2-4-1
(新倉富士浅間神社境内社)
御祭神:機神様
授与所:新倉富士浅間神社境内授与所

・当地はふるくから養蚕・織物の産地として栄え、養蚕・織物の神様として当社がお祀りされている。
・織物はタテとヨコの糸を交差させて織ることから、縁結びの神様としても知られている。

■ 福地八幡宮/福地八幡社
(ふじはちまんぐう/ふくちはちまんしゃ)
山梨県神社庁
富士吉田市下吉田5178
御祭神:天照皇大神、息長足姫、誉田別命、渡辺綱命
授与所:境内に案内あり

 
■ 北東本宮小室浅間神社(大明見浅間神社)
(おおあすみおむろせんげんじんじゃ)
山梨県神社庁Web
富士吉田市大明見2-1-1
御祭神:木花開耶姫命、誉田別命、国狭槌命、泥土煮命、上筒男命、他十三柱
授与所:境内授与所


■ 護国神社
(ごこくじんじゃ)
富士吉田市大明見2-1-1
(北東本宮小室浅間神社境内社)
授与所:小室浅間神社境内授与所


■ 明見山 慈光院
(じこういん)
公式SNS
富士吉田市大明見3-246
臨済宗妙心寺派
御本尊:
授与所:山内庫裏


■ 不二阿祖山太神宮
(ふじあそやまだいじんぐう)
公式Web
富士吉田市大明見3537
授与所:境内授与所


■ 引接山 西方寺
(さいほうじ)
公式Web
富士吉田市小明見2058
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:甲斐百八霊場第28番、郡内三十三番観音霊場第8番
授与所:山内庫裏


■ 小明見富士浅間神社
(こあすみふじせんげんじんじゃ)

富士吉田市向原1-21-11
主祭神:木花咲耶姫命
社格等:旧村社
授与所:忍野八海(忍草)浅間神社


■ 三寳山 此教院 萬年寺
(まんねんじ)
富士吉田市小明見6071
浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:郡内三十三番観音霊場第7番、同第14番
授与所:山内庫裏


■ 山之神社
山梨県神社庁Web
富士吉田市小明見4-9-22
主祭神:大山祗命
授与所:忍野八海(忍草)浅間神社


■ 明見根元神社
(あすみねのがみ)
山梨県神社庁Web
富士吉田市小明見6214
御祭神:天御柱命、罔象女命
社格等:御大沢部落の守護神
授与所:忍野八海(忍草)浅間神社



03.西桂町

■ 不二山 一乗寺
(いちじょうじ)
公式Web
西桂町小沼1997
臨済宗妙心寺派
御本尊:延命地蔵菩薩
札所:甲斐八十八ヶ所霊場12番、郡内三十三番観音霊場15番

・開祖は笑山西堂和尚。開山は永享三年(1431年)本如実性景川禅師(妙心寺四派の一・龍泉派開祖)
・延暦十九年~廿三年(800-804年)の富士山延暦大噴火の際、国家安寧の祈祷と衆生供養のために建てられた永興庵が前身と伝わる。
・元禄二年(1689年)鳳谷守逸和尚により再興、永興寺から一乗寺へと改める。
・昭和39年、旧品第寺本堂を移転して書院として再建した際に、旧品第寺の十一面観世音菩薩(郡内三十三番観音霊場札所第15番札所本尊)を合祭して札所となる。


04.忍野村

■ 忍草山 大日院 東圓寺
(とうえんじ)
公式Web
忍野村忍草38
天台宗
御本尊:阿弥陀三尊
司元別当:忍草浅間神社
札所:甲斐之国都留郡三十三ヶ所観音霊場第4番、富士山北口元八湖霊場発願・結願
授与所:山内庫裏
 
【写真 上(左)】 御本尊の御朱印(常時授与かは不明)
【写真 下(右)】 聖観世音菩薩の御朱印

 
【写真 上(左)】 鈴原不動尊の御朱印
【写真 下(右)】 鈴原不動尊の御朱印

・弘仁年間(810-824年)、弘法大師が東国巡錫の折、富士山北麓で霊泉の湧出を見つけられここに一宇を建立、大日如来を安置されたのが創建と伝わり、当初は湖畑山南泉寺と号した真言宗寺院とされる。
・鎌倉時代に入って天台宗寺院となり忍草山大日院東圓寺と改めたという。
・寺伝によると、古くは富士山の鬼門を守護する蛇頭疫神社に隣接する地にあったといい、源頼朝公より広大な寺領の寄進を得たという。
・正徳元年(1711年)現在地に移転。
・古くから富士修験の道場として重要なポジションにあり、朝日浅間宮(現・忍草浅間神社)の別当を務めた。
・江戸後期には、富士講中が禊の地とした元八湖霊場(現・忍野八海)の拠点の寺として隆盛したという。
・古本尊は大日如来。現在の御本尊として阿弥陀三尊を奉じている。
・明治の神仏分離で富士山北口一合目より御遷座の不動明王像は鈴原不動尊と呼ばれて信仰を集める。

■ 蛇頭疫神社
忍野村忍草1967
御祭神:大禍津日神、八十禍津日神
授与所:忍野八海(忍草)浅間神社

・御祭神の性格については諸説あるようだが、現地縁起書に「忍草部落の北東艮(うしとら)の方表鬼門に位置し、古来から部落の安泰をみそなはしてきた。」とあり、東圓寺公式Webに「富士山の鬼門を守護する」とあるので、当社は富士山および忍草部落の鬼門鎮護の性格がうかがわれる。

■ (忍野八海)浅間神社/忍草浅間神社
(おしのはっかいせんげんじんじゃ/しぼくさせんげんじんじゃ)
公式SNS
忍野村忍草456
御祭神:木花開耶姫命、天津日高日子番能邇々藝能尊、大山祇命
旧社格:村社
元別当:忍草山 大日院 東圓寺(忍草)
授与所:境内授与所

・大同二年(807年)創建、建久四年(1193年)源頼朝公の富士巻狩りの際に広大な御朱地を賜り、和田義盛と畠山重忠が随神門と金剛力士像(運慶作)を建立したという。
・広い地域の神社を官掌され、複数の御朱印を授与されている。

[ 富士山北口元八湖霊場 ]
世界遺産富士山の構成資産の一部として認定された忍野八海の8つの池それぞれを守護する八大竜王を巡拝する霊場。発願、結願ともに忍草の東圓寺。
八のつく日(8・18・28日)限定で御朱印が授与されている。→ 情報

■ 忍草山 大日院 東圓寺
(とうえんじ)
忍野村忍草38
札所:富士山北口元八湖霊場発願・結願
札所本尊:八大竜王(守護)
授与所:山内庫裏


■ 忍野八海一番出口池守護 灘陀竜王
(でぐちいけしゅご なんだりゅうおう)
忍野村忍草3483-2
札所:富士山北口元八湖霊場第1番
授与所:忍草山 大日院 東円寺(忍野村忍草38)

・やや離れて最も面積が広い池で水深0.5メートル。
・別名「精進池」とも呼ばれ、富士講信者はこの池の湧水で登山前に身を清めたという。


■ 忍野八海二番お釜池守護 跋難陀竜王
(おかまいけしゅご うぱなんだりゅうおう)
忍野村忍草111-2
札所:富士山北口元八湖霊場第2番
授与所:忍草山 大日院 東円寺(忍野村忍草38)

・最も小さな池で 水深:4メートル。

■ 忍野八海三番底抜池守護 娑加羅竜王
(そこなしいけしゅご しゃがらりゅうおう)
忍野村忍草272-2
札所:富士山北口元八湖霊場第3番
授与所:忍草山 大日院 東円寺(忍野村忍草38)

・樹林が生い茂る静かな池で水深1.5メートル。「はんの木林資料館」入館料300円が必要。

■ 忍野八海四番銚子池守護 和修吉竜王
(ちょうしいけしゅご ぶぁ-すきりゅうおう)
忍野村忍草266-3
札所:富士山北口元八湖霊場第4番
授与所:忍草山 大日院 東円寺(忍野村忍草38)

・銚子の形から名付けられたといい水深4メートル。縁結びの池と伝わる。

■ 忍野八海五番湧池守護 徳叉迦竜王
(わくいけしゅご とくしゃかりゅうおう)
忍野村忍草361-2
札所:富士山北口元八湖霊場第5番
授与所:忍草山 大日院 東円寺(忍野村忍草38)

・八海一の湧水量で水深4メートル。中心部にあり賑わう。

■ 忍野八海六番濁池守護 阿那婆達多竜王
(にごりいけしゅご あなぶぁたぶたりゅうおう)
忍野村忍草269-2
札所:富士山北口元八湖霊場第6番
授与所:忍草山 大日院 東円寺(忍野村忍草38)

・湧池に隣接し、阿原川と合流して水深0.5メートル。濁ってはいない。

■ 忍野八海七番鏡池守護 摩那斯竜王
(かがみいけしゅご まなすう゛ぃんりゅうおう)
忍野村忍草339-2
札所:富士山北口元八湖霊場第7番
授与所:忍草山 大日院 東円寺(忍野村忍草38)

・見事な逆さ富士で知られ水深0.3メートル。

■ 忍野八海八番菖蒲池守護 優鉢羅竜王
(しょうぶいけしゅご うっぱらかりゅうおう)
忍野村忍草444-2
札所:富士山北口元八湖霊場第8番
授与所:忍草山 大日院 東円寺(忍野村忍草38)

・菖蒲が繁る水深0.5メートルの池。奥は八海菖蒲池公園。


■ 出口稲荷社
(でぐちいなりしゃ)
忍野村忍草3483-2
御祭神:
授与所:忍野八海(忍草)浅間神社

・忍野八海一番出口池のほとりの小高い場所に御鎮座の稲荷社。
・池のほとりに3匹のキツネが棲み、いたずらをしては村人を困らせていた。『キツネを神として祀れば災いは無くなる』とのお告げを受けた村人たちは、大正14年お告げ通りに「出口稲荷大明神」を建立し祀ったところ、キツネの被害はなくなったという。

■ 穂見神社
(ほみじんじゃ)
忍野村忍草2206
御祭神:保食神
授与所:忍野八海(忍草)浅間神社

・金融通の守護神として崇敬される。

■ 醫王山 承天寺
(じょうてんじ)
公式Web
忍野村内野192
臨済宗妙心寺派
御本尊:薬師如来
札所:甲斐百八霊場第31番、郡内三十三番観音霊場第9番
授与所:山内庫裏
 
【写真 上(左)】 甲斐百八霊場の御朱印
【写真 下(右)】 郡内三十三番観音霊場の御朱印
・寺記によると壽永三年(1184年)、真言宗寺院、長寿山上天寺として現在より山寄りの地に創建。
・開基は鎌倉の有力御家人・畠山重忠公。建久四年(1193年)に鎌倉往還の普請奉行として忍野に来た重忠公がこの寺を定宿とし、時の住職に帰依して堂宇を整え開基となったという。
・御本尊薬師如来像、脇立日光大士十二神将像はいずれも運慶作と伝わる。
・江戸時代の再建時に臨済宗に改め山号を醫王山とし、寺号を承天寺としたという。
・甲斐百八霊場、郡内三十三番観音霊場のふたつの霊場の札所となっており、郡内三十三番観音霊場の札所本尊は十一面観世音菩薩。

■ 内野八幡神社(八幡社)
(うちのはちまんじんじゃ)
山梨県神社庁Web
忍野村内野3
御祭神:誉田別尊
授与所:忍野八海(忍草)浅間神社

・幕末までは神仏混淆で法華経の題目講が行われていたという。
・神仏分離令により神社と視点から存続するが、村資料によると9月15日の例祭日の前日14日の夜には現在でも法華経信者が集まり、唱題が行われるという。
・例祭では相撲が奉納され、境内は賑わいをみせる。

■ (内野)浅間神社
(うちのせんげんじんじゃ)
山梨県神社庁Web
忍野村内野1
御祭神:木花開耶姫命、天児屋根命、太玉命
旧社格:村社、神饌幣帛供進指定社
授与所:忍野八海(忍草)浅間神社

・山梨県神社庁資料によると、南北朝後の応永年間(1394-1428年)に尹良親王が南朝の四皇を奉祀して四皇三社浅間大神と称した。永享六年(1434年)尹良親王の従兄・與良親王の孫・梅若王が神主となるが3年で亡くなり、その霊を祀り富士浅間神社と称したという。山梨県神社庁資料には「其の霊を産土神に祀る足利氏に憚り富士浅間神社と稱す。」とある。
・本殿には貞治二年(1363年)の棟札が現存し、村内最古の建物とされる。

■ (内野)天狗社
(てんぐしゃ)
山梨県神社庁Web
忍野村内野381-1
御祭神:武甕槌命
授与所:忍野八海(忍草)浅間神社

・創祀不詳。御神体は三百年以上前に稲荷坂の脇から掘り出されたという。
・内野地区は日清日露戦争で多くの兵士を送り出したが一人の戦死者も無かったことから天狗社のご加護と崇められている。


05.山中湖村

■ 山中諏訪神社
(やまなかすわじんじゃ)
公式Web
山中湖村山中13
御祭神:建御名方命、豊玉姫命
旧社格:村社
授与所:境内授与所

・人皇十代崇神天皇の御代七年(西暦104年)、国中に疫病が蔓延したとき、勅命をもって土人創祀されたのが創祀と伝わる。康保三年(966年)には、村人が諏訪大明神を奉ったといい、天文二十一年(1552年)には武田信玄公が北条氏との合戦に際して、戦勝祈願のため本殿を造営寄進という。
・安産子授けの守護神として広く崇敬される。

■ 山中浅間神社
(やまなかせんげんじんじゃ)
公式Web
山中湖村山中113
御祭神:木花開耶姫命、天津彦々火瓊々杵尊、大山祇命
授与所:山中諏訪神社境内授与所

・承平元年(931年)、郷民が社殿を造営し、三柱の神を勧請して奉ったのが創祀という。

□ 平野天満宮((平野)天神社)
(ひらのてんまんぐう)
山梨県神社庁Web
山中湖村平野1877
御祭神:素盞鳴尊、菅原道真朝臣
授与所:
※御朱印未拝受

□ 石割神社
(いしわりじんじゃ)
山梨県神社庁Web
山中湖村平野1979
御祭神:天手力男命
授与所:
※御朱印未拝受

■ 海雲山 寿徳寺
(じゅとくじ)
公式Web
山中湖村平野147
臨済宗妙心寺派
御本尊:地蔵菩薩
札所:郡内三十三番観音霊場第10番
授与所:山内庫裏
 
【写真 上(左)】 御本尊の御朱印
【写真 下(右)】 郡内三十三番観音霊場の御朱印
・山中湖東岸にある臨済宗の古刹。甲斐、駿河、相模の国境に当たる要衝の地のため、武田信玄公が国境守備の祈願所に定めて栄えたという。
・狩野常信作という涅槃図、明兆作といわれる星曼陀羅など多くの文化財を蔵する。
・国際的なプリマドンナとして知られた三浦環の墓所。

■ 山中観音堂
(やまなかかんのんどう)
山中湖村平野741
臨済宗妙心寺派?
御本尊:一葉観世音菩薩
札所:郡内三十三番観音霊場第11番
授与所:海雲山 寿徳寺(平野147)

・江戸時代中期には創建されていたという郡内三十三番観音霊場の札所観音堂。
・郡内三十三番観音霊場は、現在でも御朱印をいただける札所が多い。


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■ far on the water - Kalafina
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