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■ 江戸六地蔵の御朱印

自分で書いたことを忘れていた記事です。
目下、年度末で仕事がテンパってるので時間ができたら追記します。

■ 武州江戸六阿弥陀詣 → 記事
■ 江戸五色不動 → 記事

これらの札所には桜の名所もいくつかあります。
また、武州江戸六阿弥陀詣は、お彼岸に詣でるものとされていました。
春の一日、桜を愛でつつ寺院めぐりでもいかがでしょうか。


■ 朧月夜 - 中島美嘉

名曲だから、こういう優れたアレンジテイクが生まれる。
中島美嘉の歌唱力も凄いが、葉加瀬太郎のバイオリンも圧巻。


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作詞:高野辰之 作曲:岡野貞一
大正3年『尋常小学唱歌 第六学年用』に初出

菜の花畠に 入日薄れ
見わたす山の端(は) 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて にほひ淡し

里わの火影(ほかげ)も 森の色も
田中の小路を たどる人も
蛙(かわづ)のなくねも かねの音も
さながら霞める 朧月夜
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■ 桜曲40曲! もどうぞ。


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2021/09/06 UP


「武州江戸六阿弥陀詣の御朱印」「江戸五色不動の御朱印」がけっこうなアクセスをいただいているので、江戸六地蔵についてもまとめてみます。

作成中です。文字だらけですみません。

江戸六地蔵は、江戸に入る街道の入口に安置された6体の地蔵菩薩を巡拝する地蔵尊霊場です。
江戸六地蔵には「はじめの六地蔵(最初建立江戸六地蔵)」と「後の六地蔵」があり、これを把握しないと混乱するので最初にまとめてみます。

「はじめの六地蔵」は、下谷池之端影向山心行寺三世の(慈済庵)本誉空無(浄土木食)が元禄四年(1691年)に建立開眼したと伝わります。
こちら(『本譽空無上人道影贊』翻刻と解題/関口靜雄氏・PDFに直リンク、以下資料1)に詳しいです。)
「後の六地蔵」は、沙門正元坊が宝永年間(1704-1711年)に建立したと伝わります。

「はじめの六地蔵」は毎月二十四日ないし十八日の縁日に多くの信者を集めたと伝わりますがいつしか衰退し、いくつかは廃寺となったこともあり、現在江戸六地蔵として知られているのは正元坊建立の「後の六地蔵」です。

ただし、資料1によると『地藏本願經囑累品』/谷中安立院光輪印施には、
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空無上人發願造立
○六地藏尊靈塲  ○毎月十八日巡拜ノ衜順ニ記ス
 番外 湯島新花町  靈雲寺
 四番 池ノ端七軒町 心行寺
 一番 駒込蓬萊町  瑞泰寺
 二番 同千駄木町  專念寺
 三番 日暮里    淨光寺
 番外 谷中五重塔ノ奥  安立院
 八万四千躰 上野山内  淨名院
 五番 上野慈眼堂内   地藏堂
 六番 金龍山仲見世   正智院
 番外 淺草       駒形堂
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とあり、「はじめの六地蔵」の番外に「後の六地蔵」関連の靈雲寺と淨名院が姿をみせています。

また、Web上でみつかった『地藏菩薩俗談(三』)/眞鍋廣濟氏・PDFに直リンクには、「元緑四年になつてから『江戸はじめの六地藏』が設定せられ、次いで寳永三年には『江戸六地藏建立勘化帳』一巻が著されてゐるが、今日いふ東都の六地藏は、本郷駒込蓬莱町の瑞泰寺、同じく駒込千駄木町の專念寺、豊島區日暮里町の浄光寺、下谷廣池端七軒町の心行寺、同じく上野慈眼堂内の地藏堂、それに淺草寺雷門内の正智院の六個所で、尚この外に鋳銅六地藏と構してゐるのもあるが、これは荏原區品川町南品川宿の品川寺、淺草榮久町の東禅寺、豊島區巣鴨町の眞性寺、四谷區新宿二丁目の大宗寺、深川區霊岸町の霊巌寺、下谷區上野山内の浄名院の六寺院で、洛陽の信仰に摸つて、江戸の人士たちがそこに安置した鋳銅の地藏尊を一組として巡拝するものである。」とあります。

「東都の六地蔵」が「はじめの六地蔵」、「鋳銅六地藏」が「後の六地蔵」を示していることがわかります。

以降は「後の六地蔵」を江戸六地蔵とし、その概略を辿ってみます。
史料のほか、こちら(巣鴨史跡散歩)/巣鴨駅前商店街振興組合・PDFに直リンクの資料がたいへんよくまとまっているので、参考にさせていただきました。

〔 江戸六地蔵の略縁起と概要 〕
江戸深川の(地蔵坊)正元坊が若い頃大病を患い、父母とともに病気平癒を地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒しました。
快癒ののち、諸国を廻った正元坊は7つの苦行を成就しました。

正元坊は京都の六地蔵に倣い、宝永三年(1706年)に丈六金銅の地蔵菩薩坐像六体の造立の願を発しました。
正元坊は地蔵尊建立にあたり、愛宕、深川、神田、湯島などの神前に4年をかけて千日参りをなし、『江戸六地蔵建立之略縁起』という教化書(寄付を募る趣旨を記した書)発刊し、衆生に地蔵尊の御利益を説いて寄進活動をはじめました。

14年間にわたり寄進を募り浄財を集め、東都の(街道の)出入口にあたる六ヶ所にそれぞれ一体づつ安置開眼したといいます。
その六ヶ所とは東海道の品川寺(品川)・奥州街道の東禅寺(浅草)・甲州街道の太宗寺(新宿)・中山道の真性寺(巣鴨)・水戸街道の霊巌寺(白河)・千葉街道の永代寺(深川)です。

六体の地蔵菩薩像の像身ないし台座には勧進者や造立年代などが陰刻され、神田鍋町の鋳物師、太田駿河守藤原正義(儀)によって鋳造されたことがわかります。
寄進額は一文から二十両、身分を問わず幅広い人々から募ったという記録があるようです。

なお、『江戸砂子』や『東都(江戸)歳事記』には、正元坊は俗名を吉之郎といい、浮世草子『好色五人女』(貞享三年(1686年)刊)、浄瑠璃、歌舞伎などで広くとりあげられた八百屋お七の恋人(吉三郎)であったことを示す記述があります。(時代が合いませんが・・・)

江都三十三観音霊場(江戸三十三観音霊場の前身とされる)第11番の南緑山 圓乗寺はお七にゆかりがあり、江戸五色不動の目黒不動尊に向かう途中の明王院も、お七の恋人吉三郎が出家(西運上人)して入った寺と伝わるので、江戸のお寺めぐりと八百屋お七は、いずれつながりがあったのかもしれません。

六地蔵のうち、深川富岡八幡宮の二の鳥居付近にあった永代寺の地蔵菩薩(第6番)は、明治の廃仏毀釈で取り壊され現在は5体が残っています。
6体のうち、太田正義作の5体はすべて東京都指定有形文化財に指定されています。

現在は復興された永代寺のほか、旧6番の代仏とされる上野桜木の浄名院も参拝することが多いので、実質7ヶ寺の巡拝となります。

「後の六地蔵」の縁起は寶永三年(1706年)刊の『當國六地蔵造立之意趣』(『江戸六地蔵建立之略縁起』所収)(東京国立博物館デジタルライブラリー)に記載され、享保十七年(1732年)刊の『江戸砂子温故名跡誌』、天保九年(1838年)刊の『東都歳事記』にもとり上げられています。

原典とみられる『當國六地蔵造立之意趣』(同)から引用しますが、誤読があるかもしれません。(●は解読不能)

「抑(そもそも)(正元房)十二歳の頃故郷を出。十六歳に志て剃髪受戒す。そののち廿四歳の秋乃頃より重病を請。廿五歳の春の末に至て。醫術も叶難く死既に極れり。是●来のませるところにを。前日よりその相既に現れり。父母是を悲。偏に地蔵菩薩に延命を祷奉る。自も親の歎骨髄に通(とをり)。一心に地蔵菩薩に誓願すら●。我●菩薩の慈恩を蒙て。父母存生の内命を延るを得(ゑ)ば。盡未来際に至るまで。衆生の為に菩薩の御利益を勧。多(おおく)尊像を造立して衆生に帰依せしめ。共に安楽を得(ゑ)せしめんと誓。其夜不思議の霊験を得(ゑ)て重病速に本復す。其後諸国をめぐり無縁の衆生に多縁を結ば志む。我まさに世に生をふるとも。●●●●に。報恩乃ため地蔵菩薩の像前にて。七の難苦行を修せり。(中略)人のあざけりを省●。名利を求るに似たりといへども。------予づ願誓のこ妄にあらざるを示す。童男童女の信を勧て。尊像造立の願速に成就せしめんが為の事あり。我先年回国志せし砌。御在城を拝奉るに前念願しける。回国依り●べ二度こくに来て信人を勧。帝都の六地蔵に同く 御当地の入口毎に一躰づつ金銅壱丈六尺の地蔵菩薩を六所(むところ)に都合六躰造立して。天下安全 武運長久 御城下繁栄を祝願し。兼●ハ又諸国往来の一切衆生へ。普(あまね)く縁を結べ志めんと誓。」

「抑(そもそも)帝都六地蔵の濫觴ハ。人王五十四代仁明天皇の御宇参議小野篁。平等利益乃旨を思惟し給ひて。六度の能化なれバとて。自(みずから)六地蔵菩薩を造立し。天下安全宝祚延長洛陽繁栄万民快楽の為。かつ諸人性来の衢(ちまた)に安置し奉て。一切の衆生に普(あまね)く縁を結バしめ給んとぞ。帝都の六地蔵是也。我既に時節を得て。今度六躰の尊像像立をもよほして。此書見もんの人々。吾志を憐れ●ひて。一紙半銭の撰なく助成を加させ●え。我生ゞ世ゞにおいて永くその恩を報べし。大凡この尊像像立ハ。国土あらん限りの宝なるべし。金銅仏なれば火災●●滅せじ。壱丈六尺の大像なれば盗賊の失もなかるべし。諸人往来の衢(ちまた)に立れば一切●生皆悉く縁を結び奉る。拝願ハ神明仏薩の加護を蒙て。六躰の尊像つつがなく像立志て。万代の一切衆生と共に同く善行に●ん事を。」
勤化沙門 深川 地蔵坊正元謹言 寶永三丙戌年5月吉祥日 地蔵坊(印)

『江戸砂子温故名蹟誌 6巻3』(国立国会図書館DC)の醫王山 真性寺の項には以下の記載があります。
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地蔵坊正元法師建立唐銅六地蔵の三番也所謂六軀ハ
一番 品川 真言 品川寺
二番 四谷 浄土 大宗寺
三番 巣鴨 同(真言) 真性寺
四番 山谷 禅 東禅寺
五番 深川 浄土 霊巌寺
六番 深川 真言 永代寺

右六地蔵の●●元坊ハ俗名吉之郎とて八百屋の女お七●●もの●出家と云もの●●出家 ●六軀を造立●といひつ
されは宝永年中沙門正元坊か建立せし金銅丈六の六軀ハ世に後の六地藏といふと也

慈済庵空無上人勧化の助力を以 金銅立像八尺の地藏六軀を造立し江戶六ヶ所に安置す 元禄四年開眼供養を執行す これをはしめの六地藏といふ所謂六所ハ
一番 駒込 浄土 瑞泰寺
二番 千駄木 浄土 專念寺
三番 日暮里 諏訪 浄光寺
四番 池端 心行寺
五番 東叡山 大仏側 慈濟庵
六番 淺艸寺内 正智院
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また、『東都(江戸)歳事記 4巻 付録1巻』(国立国会図書館DC)に以下の記載があります。
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「江戸六地藏參  銅仏壹丈六尺坐像なり享條の頃深川の沙門地蔵坊正元造立す●●勤化の以宝永三戌六月(托鉢)して施銭をつのり●●建立縁起あり
一番 品川品川寺
二番 四谷大宗寺
三番 巣鴨真性寺
四番 山谷東禅寺
五番 深川霊巌寺
六番 同(深川)永代寺

正元房●十二歳の頃故地(未詳)を辞し其師に従ひ十六歳にして薙髪受戒を志うるに廿四歳の頃より重キヤマヒに伏し●●薬石の験もあらで今ハ黄泉の客と成ぬ●うりし●ハ 父母深く悲しみ地蔵尊●願●●れハ(中略)命を延る●らば(中略)多くの尊像を像立し後世の衆生に永く帰依せしめ●るべしと一心に誓しに 其夜不思議の霊夢(験)を感じて忽に快復しぬ 爾後諸国を回●●●衆生に縁を結ひ(中略)を修し或ハ千日に万巻の地蔵経をずしなりと東都●● 
頃●●必復ひ●に此に来て銅像の六地蔵を造立し一軀ツツ東都の入口毎に安置し
保元二年例●●慕し天下安全を祈り●●往来の人々に●く縁を結んで
宝永三年●●の五月に●て初て●人と勤化し愛宕深川●田の三所へ
心願成就を祈り享保の(中略)建立縁起の●を志●●江戸砂子小云六地蔵の願主正元●俗名吉●●とて八百屋の女や七と云●●ふ出家し●六軀を造立●といひつ●ふ
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六地蔵の造立については、『蓮華三昧経』の所説に依るという説があります。
資料1では、當國六地蔵造立之意趣(東京国立博物館デジタルライブラリー)の「六地蔵の図」に「御姿ハ十王経によるなり。利益●ハ蓮花経に志たかふ」とあるのは、「その出典を明らかにしている。」とし、「正元のいう『蓮華経』は『蓮華三昧経』すなわち『法蓮華三昧秘密三昧耶経』のことである。」と記されています。

それにしても、東都江戸の街道の出入口に「天下安全洛陽繁栄万民快楽の為」に地蔵菩薩を造立安置するというのは、どうみても為政者の発想です。
実際、江戸守護のために置かれたという江戸五色不動は、「天海大僧正が江戸の守護結界のために五色の不動尊を安置」あるいは将軍家光公の命により整備されたと伝わります。

発願・建立者の正元坊の出自ははっきりとしていませんが、いかに地蔵尊への誓願により重病が快癒したとはいえ、六体の金銅仏を建立し市内各寺に安置開願するということは並大抵の苦労ではなかったと思われます。

6体の地蔵尊のうち5体までが東京都指定有形文化財に認定されている名作で、露仏で身近に拝せるということもあってか、江戸六地蔵はいまもなお参拝者を集めています。

〔 江戸六地蔵の所在 〕
江戸六地蔵には札番が振られていますので順にリストします。
第6番永代寺の代仏とされる浄名院、江戸六地蔵と同じ仏師作とされる地蔵尊が御座す浄土寺についてもご紹介します。

第1番 旧東海道
■ 海照山 普門院 品川寺
品川区南品川3-5-17
真言宗醍醐派 御本尊:正観世音菩薩


第2番 奥州街道
■ 洞雲山 東禅寺
台東区東浅草2-12-13
曹洞宗 御本尊:釈迦如来


第3番 甲州街道
■ 霞関山 本覚院 太宗寺
新宿区新宿2-9-2
浄土宗


第4番 旧中山道
■ 医王山 東光院 真性寺
豊島区巣鴨3-21-21
真言宗豊山派 御本尊:薬師如来


第5番 水戸街道
■ 道本山 東海院 霊巌寺
江東区白河1-3-32
浄土宗 御本尊:阿弥陀如来


第6番 千葉街道(房総往還)
■ 大栄山 金剛神院 永代寺
江東区富岡1-15-1
高野山真言宗 御本尊:


第6番 千葉街道(房総往還)の代仏
■ 東叡山 浄名院
江東区富岡1-15-1
高野山真言宗 御本尊:阿弥陀如来


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■ 平河山 源照院 浄土寺
港区赤坂4-3-5
浄土宗 御本尊:阿弥陀如来


〔 江戸六地蔵の宗派 〕
第1番 海照山 普門院 品川寺 / 真言宗醍醐派
第2番 洞雲山 東禅寺 / 曹洞宗
第3番 霞関山 本覚院 太宗寺 / 浄土宗
第4番 医王山 東光院 真性寺 / 真言宗豊山派
第5番 道本山 東海院 霊巌寺 / 浄土宗
第6番 大栄山 金剛神院 永代寺 / 高野山真言宗
第6番(代仏) 東叡山 浄名院 / 高野山真言宗

7箇寺のうち、真言宗が4、浄土宗が2、曹洞宗が1で、江戸五色不動や江戸六阿弥陀でみられる天台宗寺院が入っていないのが特徴かもしれません。

〔 江戸六地蔵の回り方 〕
江戸時代には1番と6番以外は札番にこだわらず回られていたようなので、1日で回れそうな下のコースを考えてみました。

1.品川寺/1番(青物横丁)
2.太宗寺/4番(新宿御苑前・新宿三丁目)
3.真性寺/3番(巣鴨)
4.東禅寺/2番(東浅草)
5.霊巌寺/5番(清澄白河)
6.永代寺/旧6番(門前仲町)
7.浄名院/6番代仏(上野桜木)

駅からのアプローチはおおむねいいですが、4.東禅寺は駅から離れており、ここへのアプローチがポイントになります。
各寺見どころも多いので、できれば9時すぎには品川寺に到着したいところです。

1.品川寺/1番(青物横丁)
最寄り駅は京浜急行「青物横丁」駅、徒歩4分です。
「青物横丁」から「新宿御苑前」までは、JRを使うと品川・新宿の乗り換えがやっかいなので、下記がおすすめです。
■青物横丁(京浜急行・都営浅草線)→新橋〔乗換〕(メトロ銀座線)→赤坂見附〔乗換〕(メトロ丸ノ内線)→ 新宿御苑前 【乗換2回、約40分】
※青物横丁から都営浅草線直通に乗るか、品川で浅草線直通に乗り換える必要があります。

2.太宗寺/4番(新宿御苑前・新宿三丁目)
「新宿御苑前」駅3番出口(前寄り)、徒歩2分。
■太宗寺(徒歩3分位)→新宿三丁目(都営新宿線)→神保町〔乗換〕(都営三田線)→巣鴨 【乗換1回、約25分】

3.真性寺/3番(巣鴨)
「巣鴨」駅A3番出口(前寄り)、徒歩3分。
巣鴨からつぎの東禅寺(東浅草)までが最大の難関です。
ルートはいろいろとれますが、徒歩と乗り換えが少ないのは以下のルートかと思います。
■巣鴨(山手線・9分)→鶯谷〔乗換・徒歩約7分〕根岸三丁目バス停(区営バスぐるーりめぐりん・17分・時刻表)→吉原大門バス停  【乗換1回、約40分】

4.東禅寺/2番(東浅草)
吉原大門バス停、約200m徒歩3分。
鉄道駅までは遠いので、バスを使います。
■東禅寺→(徒歩200m3分位)→東浅草バス停(都バス42-1または42-2系統/本数多い・12分)→蔵前駅前バス停〔乗換〕蔵前(都営大江戸線・5分)→清澄白河  【乗換1回、約20分】

5.霊巌寺/5番(清澄白河)
「清澄白河」駅A3番出口(前寄り)、徒歩2分。
霊巌寺から旧6番永代寺までは1㎞ほどで歩けます。鉄道利用の場合は↓。
■霊巌寺→(徒歩2分)→清澄白河(都営大江戸線・2分)→門前仲町  【乗換なし、約4分】

6.永代寺/旧6番(門前仲町)
「門前仲町」駅1番出口(前寄り)、徒歩2分。
門前仲町から浄名院まではいろいろなルートがありますが、徒歩距離が短いのは下記のルートです。

■永代寺→(徒歩2分)→清澄白河(都営大江戸線・12分)→上野御徒町(A3出口)〔乗換・徒歩約2分〕上野公園バス停(都バス上25系統・時刻表・15分)→上野桜木バス停  【乗換1回、約30分】
ただし、都バス上25系統は30分~1時間に1本と本数が少ないので、時間が合わないときは御徒町からJRに乗り、鶯谷下車(北口・前寄り)で浄名院まで徒歩約8分です。

7.浄名院/6番代仏(上野桜木)
上野桜木バス停下車すぐです。
こちらは「上野さくら浄苑」寺務所で御朱印受付しており対応時間は原則17時までのようですが、16時を過ぎる場合はTEL確認がベターです。(0120-257-577/03-5832-9511)

なお、六地蔵の御朱印はすべての寺院で拝受できます。


それでは、1番から順にご案内していきます。

(つづく)
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