goo

■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-29

Vol.-28からのつづきです。
※文中の『ルートガイド』は『江戸御府内八十八ヶ所札所めぐりルートガイド』(メイツ出版刊)を指します。


■ 第88番 遍照山 高野寺 文殊院
(もんじゅいん)
杉並区の紹介Web

杉並区和泉4-18-17
高野山真言宗
御本尊:弘法大師
札所本尊:弘法大師
司元別当:
他札所:江戸八十八ヶ所霊場第88番

ついに札所第88番、結願です。
結願所の第88番は杉並の文殊院です。

第88番札所は『御府内八十八ケ所道しるべ』江戸八十八ヶ所霊場ともに高野寺文殊院で、第88番札所は開創当初から白金臺町の高野寺文殊院であったとみられます。

杉並区の紹介Web、下記史料、山内掲示、『ルートガイド』などから縁起・沿革を追ってみます。

文殊院は開山を高野山興山寺の木食応其上人ともいいますが、『寺社書上』には慶長五年(1600年)文殊院勢誉師が徳川家康公の帰依を受けて駿府に寺地を拝領して開創とあるようです。
開創当時は興山寺を号していました。

寛永四年(1627年)、文殊院応昌師が江戸浅草に寺地を賜り、駿府城北の丸の建物を拝領して移築といいます。

元禄九年(1696年)麻布白金台町(現・白金二丁目)に移り「白金高野寺」と呼ばれました。
江戸期の当山は、高野山在番所行人方触頭として真言宗では重要ポジションの寺院でした。

高野山行人方については第50番の大徳院でもふれています。

江戸時代、高野山内の組織は学侶方・行人方・聖方の「高野三方(三派)」から成り立っていました。
wikipediaの「高野三方」(こうやさんかた)には以下のとおりあります
-------------------------
高野三方は、平安時代から江戸時代まで高野山を構成した、学侶方・行人方・聖方による三派の総称。

・学侶方
密教に関する学問の研究・祈祷を行った集団。代表寺院は青巌寺であった。

・行人方
寺院の管理・法会といった実務を行った集団。また、僧兵としての役割も担った。代表寺院は興山寺であった。

・聖方
全国を行脚して高野山に対する信仰・勧進を行った集団。全国各地に伝わる空海による開湯・開山の伝説を生む要因となった。代表寺院は大徳院であった。
-------------------------

江戸における高野三方の拠点(在番所等)は、学侶方が高野山学侶方江戸在番所(現・高野山東京別院/第1番札所)、行人方が高野寺文殊院(第88番札所)、聖方が大徳院(第50番札所)。
いずれも御府内霊場札所で、しかも学侶方が第1番発願所、行人方が第88番結願所、聖方が第50番を押さえていたことになります。

御府内霊場は新義真言宗寺院が多いですが、こうしてみると高野山の江戸写し的な性格を帯びていることがわかります。
文殊院が結願所をつとめられている理由は、ここにあるのかとも思います。

『江戸切絵図』には芝三田日本榎高輪辺絵図に「高野寺」がふたつみえます。

ひとつは東禅寺の北側、もうひとつは清正公覚林寺の東側です。
前者が学侶方高野寺(現・高野山東京別院)、後者が行人方高野寺(現・文殊院、杉並に移転)とみられます。

行人方高野寺(文殊院の旧地)は、法華宗立行寺(港区白金2-2-6)の南側辺だったとみられます。
白金高野山(文殊院)と二本榎高野寺(高野山東京別院)は至近に位置し、御府内霊場は白金で発願し、白金で結願する霊場だったことがわかります。

また、■ 『江戸名所図会 7巻 [7]』の挿絵をみると、かなり広壮な敷地をもっていたことがわかります。

大正9年、文殊院は区画整理により現在地(杉並区和泉)に移転しました。
周辺は住宅地ですが、山内には弘法大師信仰を示す八十八ヶ寺大師石像や「お砂踏の石」があり、往年の御府内霊場結願所の趣きをいまに伝えています。

御本尊の弘法大師坐像は室町末期の作といわれ、「安産守護のご本尊」として広く信仰を集めたといいます。

弘法大師座像、弁財天像・付近出土の板碑・百度石・文殊院文書などが区の文化財に指定されている模様ですが、弘法大師座像をのぞいて詳細は不明です。
→ 弘法大師坐像についての杉並区史料(PDF)


-------------------------
【史料】
『御府内八十八ケ所道しるべ 天』(国立国会図書館)
八十八番
●●●●町
高野寺
高野山●人●直番所
本尊:弘法大師 不動明王 愛染明王

『寺社書上 [16] 白銀寺社書上 弐』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考P.30』
麻布白金臺町壱町目
高野山行人方在番所
古義真言宗触頭 東西二箇寺

慶長五年(1600年)大権現様於駿府文殊院(当時興山寺ト申候)勢誉寺地拝領仕
其御御当地浅草から砌 寛永四年(1627年)於浅草●-● 文殊院應昌拝領仕
●-● 元禄九年(1696年)於白金臺町替地拝領仕候

本堂
 本尊 弘法大師木座像
 二脇士 不動明王木坐像 愛染明王木坐像
 二天幷八祖画像
本堂内護摩所
 不動明王木立像
本堂内大師前
 大聖歓喜天
 賓頭盧木座像
東在番所
西在番所
東在番交替所
西在番交替所
鎮守社
 丹生大明神 高野大明神 神體幣
八幡宮 神體幣
摩利支天小社 神體幣
入船稲荷社
金毘羅小社
 
『江戸名所図会 7巻 [7]』(国立国会図書館)
白金高野寺
高野山在ばん所行人方触所なり
本尊に弘法大師 幷 不動愛染観音歓喜天を安す
八十八ヶ所の札の打とめなり 



「白金高野寺」/原典:松濤軒斎藤長秋 著 ほか『江戸名所図会 7巻』[7],須原屋茂兵衛[ほか],天保5-7 [1834-1836].国立国会図書館DC(保護期間満了)


「高野寺」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』天,大和屋孝助等,慶1序-明2跋.国立国会図書館DC(保護期間満了)


原典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』目黒白金辺図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊.国立国会図書館DC(保護期間満了)

-------------------------


最寄りはJR・メトロ丸ノ内線「方南町」駅で徒歩約15分。
駅から南下して神田川を渡り、住宅街の路地をたどる道行きです。
駅からそれなりに歩きますが、御府内霊場結願に向かうにはこの程度のアプローチがあってもいいかもしれません。


【写真 上(左)】 参道入口
【写真 下(右)】 門前

住宅地のなかに突然に寺院があらわれます。
門前から背後を振り返ると、参道らしいまっすぐの道が延びているので歩いていくと院号標&札所標がありました。
正式にはここからが参道なのだと想います。


【写真 上(左)】 院号標
【写真 下(右)】 山内

門は門柱で、その手前に院号標。
山内は住宅地の寺院にしてはかなりの広さで、格式の高さが感じられます。

参道左手に文殊堂、正面が本堂、本堂向かって右手が庫裡です。


【写真 上(左)】 文殊堂
【写真 下(右)】 文殊堂扁額

文殊堂は宝形造銅板葺で頂に宝珠を置き、向拝に「文殊堂」の扁額と文殊菩薩の御真言が掲げられています。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 修行大師像

本堂は入母屋造桟瓦葺流れ向拝、屋根の勾配が急で迫力があります。
本堂向かって右手に修行大師像。本堂前には御宝号の石碑?があります。


【写真 上(左)】 修行大師像と本堂
【写真 下(右)】 弘法大師御寶前の石碑?

水引虹梁両端に雲形の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に板蟇股。
向拝見上げに院号扁額を掲げています。
向拝柱には札所板と御寶号の板とが掲げられています。


【写真 上(左)】 向拝
【写真 下(右)】 扁額


【写真 上(左)】 札所板
【写真 下(右)】 御寶号の板

シンプルながら随所にお大師さまゆかりの事物が配され、さすがに御府内霊場結願寺らしい趣きがあります。

御本尊は弘法大師。
初番・高野山東京別院の御本尊は弘法大師ですから、弘法大師で発願し、弘法大師で結願する、まことに弘法大師霊場らしい霊場といえましょう。

本堂向かって右のおくには五輪塔があり、そのまわりにはたくさんのお大師さまが御座されています。
そして、その回りがお砂踏場となっていて、これまでの巡拝をしのびながら巡拝することができます。


【写真 上(左)】 本堂向かって左手
【写真 下(右)】 お大師さま

御朱印は庫裡にて拝受しました。
結願証は授与されておられませんが、御朱印には「御府内霊場第八十八番 結願寺」の札所印を捺していただけます。


〔 御府内霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に弘法大師のお種子「ユ」「弘法大師」の揮毫と「ユ」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右に「御府内霊場第八十八番 結願寺」の札所印。
左に院号の揮毫と寺院印が捺されています。


-------------------------
これにて江戸・東京の弘法大師霊場・御府内八十八ヶ所霊場は結願となります。
結願に至るまでは長い道程ですが、それだけに達成したときの満足感はひとしおです。

興味をもたれた方は、トライされてみてはいかがでしょうか。


【註記】
この連載記事は、書いている途中で『御府内八十八ケ所道しるべ』の存在に気づいたため、
途中から構成が変わっております。
ひとまずはこれで完結としますが、後日前半の構成を整えていきたいと思います。


■ 札所リスト・目次など
■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-1



【 BGM 】
■ Goodbye Yesterday - 今井美樹


■ Mirai 未来 - Kalafina


■ 時代 - 薬師丸ひろ子
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )