民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「語りの力と教育」 その12 高橋郁子

2014年08月04日 00時59分01秒 | 民話(語り)について
「語りの力と教育」その12 高橋郁子

 第4節 「風化させないための語り」

 『話すということ』の中で、竹内氏は「表現する行為」は入ってきた情報を
外へ開放する道であるので自己認識の道であり、
自己認識することにより自己と世界の関わり方が違って見えてくるので
世界認識の道であり、さらに他者に向かって自分を差し出す行為であるので
本質的には他者にいたる道である、と述べておられる。

「自分の中で動き出したものが外に表れてくるという筋道を、色々な身体の、あるいはこころのこわばりで、
私たちは閉ざしている、あるいは阻害しているわけですから、表現するとは、
その阻害しているものを押しのける、あるいは取り除くという作業でもあるといえる(竹内234P」

 閉ざされていたものを、表現する…。たとえば心に大きな傷を受け、
そんな傷を人に知られないようにじっと口をつぐんでいた人が、
ある日、それは間違いだと気づいて人々に訴えるために語りだす…。

 こうした行為はどういうときに現れるのだろう。
夏になり、終戦記念日が近づいてくると、毎年のように特別番組が放送される。
そんなときに必ず登場してくるのが戦争の語り部達である。
彼等はどのような思いで語り続けているのだろうか。新聞投書より。

「『戦争を語り継がなくては』(前略)その母も数え90歳を迎え、昨日のこともおぼつかない状態であるが、
あの長岡空襲の夜のことは、決して脳裏から消えないであろう。
「戦争」を風化させないためにも、われわれ一人ひとりにとっての戦争を語り継いでいかなければ、
と強く思う昨日今日である。/SN氏63歳男性(新潟日報2001.7.26」

 いろいろな経験を積んできた中で、年輪を重ねてきたからこそ表現できるものがある。
戦争は二度と起こしてはならない、そんな思いが彼等を語らせているのか。

 これも、人が未来に伝えていくべき伝承であるから語られていくのではないだろうか。
他にも公害病や大きな事件、事故など、人々の記憶にとどめるための風化させないための語りは
どんどん出現してくるだろう。

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